平治の乱後の源頼朝の少年時代疑問
素朴な疑問です
源頼朝の少年時代についてですが
平治の乱で父・義朝が
平清盛に敗れるわけですが
その後、息子の頼朝は。。。?
(1)何かで読んだのですが
まだ当時少年ながら武将として参戦していて
囚われの身になり殺されそうになるが
清盛の義母が「死んだ息子(清盛の弟)にそっくりだから助けてあげて」
とか言い出して
結局流罪になる
(2)私が子供の頃源義経の話は「牛若丸」と言う昔話としてあったのですが
それによると
頼朝は今若、もしくは乙若と言うまだ幼児として登場し
母・常盤と赤ちゃんの牛若(義経)と共に雪の中を落ち延びていたが
兵士軍に捕えられたが
常盤への情(常盤は美女だった)に負けた清盛に助命されて寺に入れられた
と私が読んだ限りでは2通りの描かれ方があるのですが
どちらがより史実に近いのでしょうか?
お礼
遅くなりました回答ありがとうございます そうなんですよ俺も調べても分からないので 博識の研究者さんの回答に期待したのですが 菅谷この近くには、渋谷金王丸伝説もあるみたいです 虎丸が子孫で虎丸地名有 残念です 気長に回答待ちます 他文献になければないのでしょうね 愚管抄 その他