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源義経
源義経は家族思いだったと思います。 兄、頼朝に呼ばれ、兵の指揮官に任じられました。 平家を次々と攻略します。 そこに目とつけた天皇が、天皇の外敵をも倒してと官位を与えたと思います。 兄、頼朝は、棟梁だと自負していました。 余計、ねたみが出たのか、弟の義経が関東に近づいたら、そこより近づくなと、門前払いしました。 門前払いされたら、天皇に近づくと思います。 妬んだ頼朝は天皇に悪評を言い、義経を追い出しました。 義経は、今度は、東北に逃げました。 でも、妬んだ、頼朝は、東北まで攻撃し、殺しました。 もし、皆さんが、嫉妬深い、頼朝が身近にいたとします。 義経が自分ならどうしますか?
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義経が家族思いであったかどうか? 時代の動きを読めない、愚か者でした。 旧精度維持の側にたったアンチ改革派です。 時代の改革者である、身内の頼朝に敵対したことが家族思いであったとは言えません。 頼朝にとっては、自分達がよって立つ、新興開発農民(武士)の権利を奪うものは、敵です。それは藤原貴族もそうだし、皇室もそう、その手先になった義経も敵でした。 嫉妬深いなんて生易しいものではなかった。
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- hirarno36
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目立たないように過ごすのがこの時代の弟の務めです。任官は辞退するのが当然です。(兄が任命したら別なのでしょうが・・・) 人望を中途半端に集めるとろくなことにならない良い例ではないでしょうか。
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そうですね。。 だから、人がこわいです。 ありがとうございます。
これは同じような立場の方がどうなったかを見るとはっきりします。 まず、足利尊氏、直義兄弟、北条氏に対して兄弟仲良く手を取り合って戦い抜き、その後新田義貞、楠木正成、北畠顕家などの南朝方諸将と戦い、足利幕府を築きます。 ところが組織ができあがると、尊氏の部下の高師直と直義は対立、尊氏の実子の直冬と組んで、南朝と結び幕府に反旗を翻します。 つまり、兄弟は他人の始まりと言うように、共通の敵がいるうちは協力し合いますが、家族や家臣が絡んでくると「骨肉の戦い」になってしまう、頼朝・義経兄弟も平家が滅亡した時点で対立は目に見えています。 それでは義経がうまく立ち回った場合、これももう一人の兄弟である範頼の末路を見れば明らか、洋の東西を問わず、功の多い臣下は誅される定めですから、義経が生き延びる道は適当なところで出家し、他人に利用されないように交際を絶って、身を律するくらいしかないでしょう。 徳川家光・忠長、織田信長・信行など、兄弟は争う物であり、定めです。
お礼
>他人に利用されないように交際を絶って、身を律するくらいしかないでしょう。 ぐらいですね。 よくは怖いです。 だから、関りたくないと思います。 ありがとうございます。
ん? 頼朝は妬みで義経を追っ払ったのか? 違うだろ? 当時は、中央政権である朝廷から自治権を奪い、東国に自治国家を打ち立てることができるかどうかという瀬戸際だった。そこへ、自治政府の許可も得ず、中央政権から褒章を受けちまった、しかもそいつが自治国家のトップの弟だ。こりゃ、トップの弟だからこそ絶対に許すわけにはいかなかったんだろ。冷徹で先を見る目のある為政者なら、当然でないか? 家族思いかどうかはこの際、関係ないだろ。 逆に、家族の「血」を重んじて緩い処罰に済ませてしまったら、できたてほやほやの自治国家は崩壊の憂き目にあったかも知れないぜ? そうなったら、頼朝は「血縁を甘やかして国を滅ぼした愚か者」と呼ばれたかもしれないだろ。 だから、オレの中のイメージとしては、義経は「戦は上手だが、世間に疎く、発足したばかりの鎌倉政権にとっては害になる存在だった」という感じなんだよな。血に甘えて身を滅ぼした男、だな。 なもんで、 >義経が自分ならどうしますか? オレなら、朝廷から褒章が出た時点で、「まずいな」と思い慌てて幕府に指示を仰ぐだろうな。受けちまった後で、兄貴が烈火のごとく起こってることを知ったら、壇ノ浦の戦いで勝利した後、すぐさま大陸に渡ってひたすら逃げるね。
お礼
戦好き?ですか。 別の側面ですが、兄から認めて貰いたいから、戦をした。 当時の天皇は、お人よしの義経を利用したですね。 権力志向の人は、自分は安全の確保をして、鉄砲玉として、義経を利用した。 と思います。
お礼
別の会見、兄の頼朝に認めて貰いたいから、戦をした。 お人よしの義経を当時の天皇が利用した。 結局、槍玉に挙げられた。 と思います。