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生きる目的がわからなくなってしまいました
20代前半の学生です。 生きる目的が全くわからなくなってしまいました。周りからは学生の身分で何を悩む必要があるの?と言われますが、自分にとっては生きるか死ぬかの懸かった大きな問題です。 私は、自分のことをすごく歪んでいる人間だと思っています。 歪みの根本の原因を考えると、自分の育ってきた家庭環境にけっこう問題があったのではないかと考えています。 私は貧しい家に二人兄弟の長男として生まれました。幼少期から父親はアルコールを飲んでは母や自分に暴力を振るい、借金を作りました。ほとんど夜逃げ同然の形で離婚できたと思ったら、養育費は一切払われず、誘拐までされかける有様でした。当然生活はより一層厳しくなり、母親は知人の勧めで次第に宗教にのめり込んでいきました。いつも一人でした。父親がいないことで小学生時代はいじめも受けました。しょっちゅう貧しさを馬鹿にされました。 そのため、他人に認められる努力だけは続けてきました。高校は努力を重ねて進学校に進み、大学受験では7,8キロ痩せるほど自分を追い込んで奨学金で一流大学に。大学院に進学しての就職活動を経て、4月からは誰もが知るメーカーに就職することが決まりました。しかし、今生きる意味がまったくわからなくなっています。 申し上げにくいことなのですが私は2年程前、進路に関する悩みから自殺未遂を繰り返した時期がありました(逆に自分は自殺では死ねない。そんな勇気もないと思い知っただけでした)。その時、特に病名は付けられてはいませんが2ヶ月間精神病院(閉鎖病棟というやつです)に入院させられていました。その時にいろいろなものを失いました。3年間お付き合いをしていた女性からも捨てられました。毎夜薬を飲まなくては眠れなくなりました。生きる意味も見失いました。傍から見てもひどい生活を送っていたため、虫歯がひどいことになり、歯がぼろぼろになってしまいました。その頃から、なんとなく自分は長く生きられないだろうという実感に常に襲われるようになりました。 なんとか立て直して就職活動を終えたものの、終始、自分の人生や未来に希望や目的を持つことはできませんでした。達成感もありません。血反吐を吐くほど頑張っても、母親や周囲の人間からは常に「神様のおかげだね」「導きだね」で済まされてきた私には、一度だって達成感を感じたことはありませんでした。 この一年、死んだように生きる目的を探し続けていました。 一度だけ、生まれて初めて「この人のために自分の人生を捧げよう」と思えるような女性と出会いました。しかし、ある事件で私が大いに傷付けてしまい、関係は最悪の形で破綻。今では連絡すら取れなくなってしまいました。 もはや自分には何もありません。 自分の持てるものは全て差し出してきました。自分の能力で届く限界のところまで手を伸ばしてきました。それでも幸せになれないなら、私はなんのために生まれてきたのでしょうか。 自分には、なぜ他の人達が何の問題もなく生きることができているのかわかりません。皆目的を持って生きているのでしょうか。自分のように歪んでしまった人間は、どんなみじめな努力をしても幸せになれない構造が出来上がっているのでしょうか。もしそうだとしたら、私は自分の生きる目的をどこに置けば良いのでしょうか? 長文申し訳ありません。よろしくお願いいたします。
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- Rwalk
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20歳前半ですね。 質問箱というものを利用して初めて質問箱をのぞき、二つの質問をたまたま拝見しました。そしてもう一つの質問に回答して、あなたの質問に対しては寄せられる回答を読ませて頂きながら、経過を見させて頂いてました。それほど、あなたの質問に答えるのは難しいことで、他の回答者同様、いい加減な発言はできない問題だと思って差し控えていました。もし万が一、もう一つの質問に対して送った自分の回答がご本人になんらかのヒントなり、光を与えることが出来たら、あなたの質問の回答を送ってみようと思ってました。で、もう一つの質問の女の子が今日、自分の送った回答をベストアンサーに選んで下さった事で、自分の考え方に少しは力になるものがあったのだとほっとして、あなたの質問に一つの回答・・・回答というのではなく自分の心情を散文詩にして送ります。 20歳前半の君へ 散歩道のさくらの枝に花の芽がめぶいてきた もうすぐ桜の花が咲く Rと最後に歩いた一年前の散歩道 桜の花で満開だった その花びらの舞う中を Rはたまらなく嬉しそうにワタシに言った 「バンドを組まないかと演劇部の仲間に誘われた」 久々に見る笑顔だった 3年半の闘病を乗り越えて でもまだその途中でありながら どうにか一年の死闘の休学のあと 小春日和程度の回復に掛けて 復学をすることになっていた 薬の副作用で 血管は痛みきってボロボロで リンパが腫れた足をひきづっていた それでも 自分を励ますように いつになく桜を見に 散歩をすることで復学の体調つくりに努めていた 復学と仲間の待つ演劇部への復活を夢見て 8月公演用の台本を一生懸命書いていた 「夏の公演はオレの書いた芝居 みんなでやってくれよ」と 4月の中旬 みんなを集めて 飲み会を開いて その思いを告げた それが最後の晩餐となった 演出は後輩に頼んで 旅立つその日まで台本をしあげていた 徹夜でしあげて 下書き完成のその翌日に 湯舟の中 ほっとしたように微笑みを浮かべて永遠の眠りについた 薬の副作用からくる心臓マヒだった 苦しみのない命の回復を願いながら 親は見守ってきたのだけれど 最後の徹夜あけする朝 寝てなかったんだと愕然としたが その時Rの見上げた目は「助けて、運命にひっぱられる」というような悲痛な目でもあり 「寝ろなんて言わないで オレには時間がないんだ そっとしといて これを書き上げたら寝るから」という懇願するような目でもあり 自分はただ天に任すと一人にさせた 其の日なぜか「寝なきゃ倒れちゃうよ、もう寝なさい」という言葉をかけられなかった 自分は手を離してしまったんだと後から思った ただ天に任すと手をあわせた 昇天して半年後、Rの台本は演劇仲間がささやかな舞台にしてくれた ――Rの病気は 大学入学して一年目に初めて発症 大発作てんかんでした。これは睡眠不足とストレスと過労が同時に襲ったときに電磁波など高圧線被害をうけやすい状態になり成人になって発症するもの。でもよほどのことがないと、人は少々のことでは倒れません。Rにとって致命的だったのは遺伝体質でした。父方の祖父母ともてんかん質だったことが後でわかり、祖母の方はストレスが大きいと皮膚アレルギーを伴う発作体質でした。結局薬を飲んで副作用が出やすく全身桜吹雪のような湿疹とかゆみに襲われ七転八倒の2年間、やりたかった舞台にでることは不可能、車の免許を取ることや留学の夢もとんでもない)そんな自分の体にどれだけつらかったことでしょうが、それを全て自分の中で耐えることでストレスは巨大なものになり、薬を減らすと大発作なので薬はやめられない・・・その繰り返しの中で、それこそ小春日ほどの体調のいい時間を見つけては、ギターを弾き、台本を書き、人と会う約束をしたりしていました。当然一年の時つきあった子も離れてゆきました。 Rはとにかく「みんなで楽しむ芝居を書き、打ち上げで酒飲んでもう一回楽しむ」というささやかな夢で芝居をやりはじめ、最後までそれでした。 旅立ってからわかったことは、Rの場合の大発作は精神的ショックがひきがねになるもので、そのショックが後でわかりました。信じていた人の思いがけない背信と同時進行していた初バイト先での店長さんのいびりでした(でも高校でたての社会に未熟すぎる純粋さが対応できなかったのかもしれません)でも、もしそうなら、治療は発作を止めるためだけの薬に依存しないで睡眠と精神安定を促す方を選んだほうがよかったともいえるのですが、それに気づいて減薬と睡眠療法に切り替え体調を取り戻してきたのですが、もう遅すぎました。体は薬の副作用で肝機能も心臓も血管も致死状態だったようです。 長々と状況を書きましたが、ここから本題です。 あなたの質問を読んで思ったことは、あなたが苦しかった幼少期から成人になるまでの苦労をお書きになっているのですが、そのどこにもあなたが親への恨み言を書かれていなかった。それはあなたの心がほんとうに澄んでいるからだと思いました。それは息子Rにも感じたことです。Rは家族とか先祖の遺伝とか環境で本当に可哀想なことをさせました。でも最後までそれに恨むことなく耐えていました。きっとあなたもRも、恨んでも仕方のない、そういう非生産的な発想を自分に許さない厳しさがあったからでしょう。それよりも今の自分に出来る光の場所をつくることに全身全霊をかたむけることに賭けてきたのだと思います。息子の場合は台本書きとギターでした。あなたの場合はいい大学に自力で合格し、卒業し就職すること。それは普通の感覚ではやり通せない乗り越えるパワーの持ち主であることの表れです。息子もあなたも勇士だと思います。 それだけの克自力へ尊敬すら感じてRの最後の誕生日に贈った言葉があります。 「天ひとつ 富士もひとつ 君もひとつ」 富士山はどんな暴風雨でも豪雪でも泰然としてじっとたえて、その美しい姿を見せてくれます。情熱は消える事なくマグマのようにその下に眠ってます。獅子は傷を負うと自分の唾液で自分の傷をいやしてなおしてゆく。その泰然とした姿はあなたや息子と同じです。 親も先祖も生まれてみな同じように澄んだ心で始まったいのちです。親も、あなたが生まれて以来苦しんだいろんな事情と、形や質は違うけどなんらかの苦しみを背負ってそれを乗り越えようと必死でいきてきたことでしょう。でもその乗り越え方はさまざまで、子供や他人から見れば無様で格好悪く非人間的に見えることはありますが、やはり必死さでは誰も悪くないのです。多分あなたは無意識の内にそれを認めているから、恨み言を書かなかったんだと思います。聖人ともいえる達観があなたにはあるようです。 ひとつだけ、あなたに弱さがあったとしたら、その苦しみを精神科医に問うたところかもしれません。自分もたいしたことは言えませんが、精神科医というもの自体が精神病に近いものを持っています。自分はRが大きなストレスが原因だと思いましたが精神科の扉だけは叩かせないように、できたら心の窓は友達とか他人に少しでも開いてもらったらという方向を崩せませんでした。それはある意味よかったと思うのは、Rが死ぬギリギリまで前向きであったことを思うと、癒しや窓の開閉はほとんど周りの友人(もちろん病状が病状なだけ、逆にRの絶望をきたすような友人もおりました。でも10人中一人でも心から支えてくれる存在がいると、他の9人の悪言も一掃しました)そういう友人のおかげです。親ははっきりいって無力なので、かえってストレスの重積を促すことになりそうで、自分は看病に必要なこと意外には立ち入らないように、それこそ祈るだけでした。 お母様が宗教に・・・という一節を読んで、おそらくそのお母様も、息子の苦しみに余計な立ち入りをせず見守る場所に自分を押し込めることで祈っておられるのだと思います。予測ですが、お母様もお父様もあなたが幸せになるように精一杯準備しようと思っていたにも拘わらず社会や現実に押しつぶされて、結局不幸な桶しか用意できなかったことをつらく思われてるでしょう、それをあなた自身が乗り越えて自力で今に及んだことを心から嬉しく泣いておられると思います。人間、生まれながらに背負わされた不幸を子供にだけは背負わすまいと思うのですが、人生短くてあっという間に年をとってゆきます。ただ、自分たちの必死さを受け止めて子供がそれをどういう生きる力にかえてくれるかが親の祈りで、その力を子供に見たとき、反面教師であれ、息子がそういう力で生き始めたと知ることが唯一の財産だと思います。 何のためにいきるのではなく 生きるために生きるから草はたくましくはえ、花は美しくさくものです。 回答にならない話でしたが、もうすぐ去年息子が満喫した桜が咲くでしょう。 自分は母親として、救えなかった悲しさと、手を離してしまった苦しみから解放されることはないでしょう。 後を追って死ぬことが一番楽です。でも天国に行っても親の地上での生き様が内申書になって(苦笑)息子がまだ苦しんでいたらつらいです。後追いは自分の幸せのためになるだけで、苦を乗り越えてきたRへの幸せにはならないでしょう。それに一つでも二つでも徳を積んで誰かの生きる力のかけらにでもなることを果たしてからでないと、息子のいるところの近くにさえ行けないと思いますので、もうすこし生きて精進しようと思ってます。 4000字までお便りできるとされてますので、ぎりぎりここまで書きました。最後まで読んでくれてありがとう。 あなたのこれからのがんばりを遠くから見守らせて頂いている人間がいることを忘れないでください。 むすこは23歳でした。
- waterremon
- ベストアンサー率23% (10/43)
40代です。 生きる目的をどこに置けば良いか?考えたことはありません。日々の子育てや、仕事、食事の世話などしていると自分の事は後回しで、後はどれだけ睡眠時間を確保できるかを考えて一日終わってしまいます。 目的というのは、自分のライフスタイルによって変わると思います。婚活している人は結婚するのが目的だし、家族を扶養している人はお金を稼いで養わなければならないし.... 生きるってそれだけで大変だと思います。 家庭環境のことを書かれておられますが、私もあまり良い環境ではありませんでした。記憶は定かではありませんが、4歳か5歳くらいの時から小学校卒業まで施設に預けられました。親に会った(面会)のは小学校4年生の時です。施設を出て家に戻りましたが、まぁそれからもいろいろありました。 結婚もしましたが、その結婚も好きでしたわけではないので、常に、どうしたらあとくされなく別れることができるかを一日中考えていました。結局シングルマザーになりましたが、子育ても終わって、今まで生きてきて今やっと、ホット一息ついてる感じです。 すみません。私のことばかり書きすぎました。ところで、ご自分のことを「歪んでしまった人間」と書かれておりますが、お付き合いされた方もいらっしゃるようだし、就職も決まっておられるようだし、歪んでるとは思えませんが。 今までは進学校に行くこと、一流大学に入ることが目的で、就職も誰もが知る会社に決まって、そのために死に物狂いで頑張って、その目的が達成された。もちろん「神のおかげ」でも「導き」でもありません。ご自分で頑張ったからこその結果です。すごいですよ本当に。 どなたかが書かれておりましたが、海外を旅してみるのも良いかと思われます。 いろんな世界を見てご自分の殻を破ってみては?今は考えることをやめて外に出た方が良いと思いますが。 努力をすることはみじめではありませんし、お分かりだと思いますが「幸せ」と感じることの内容は人それぞれです。 「あなたの生きる目的は?」と質問されて即答できる人はほとんどいないと思います。それよりも目の前の「やらなければならないこと」を消化することの方が先なので。 就職すると忙しくなると思いますので、今のうちにゆっくり休んで、少しのんびりして下さい。 そういう時の方がかえって見つかるかもしれませんよ。
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 >私は自分の生きる目的をどこに置けば良いのでしょうか? 私もあなたのように、恵まれない家庭の中で成長してきました。 同じ年代の頃に、同じような所でつまずき会社を辞めて旅に出ました。 日本を離れ、気付けば自炊道具一つでどこでも暮らしていける逞しさを身につけました。 何処でも死ねるけれど、何処でも生きていける。 長い旅の中では、生きている事の喜びを一杯見つけました。 今は小さな家と、小さな庭のある家に一人で住んでいますが、心はまだ旅の途上です。 じじいですが、またケロシンストーブと鍋一つでふらっと旅に出てみたいですね。 人生を深刻に考えても回答などありませんよ。 人生を如何に喜びで満たしていくかですよ。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
私は何もしなくても今の職業に就いた。さて稼ぐぞと思ったとき、三人の人が次々やってきて「幸せを失いたくなければ儲けようと欲を書くな」といわれました。 三人にも言われたんだからしょうがないと諦めると、患者さんから「いい顔になった」と言われました。 お陰で稼ぐでもなく、必要な時に必要な金額だけが手に入るようになりました。 母がトラブルに巻き込まれ、その解決策のために一年間心労が続き心臓発作を起こしました。 毎日起きると地獄。いつも死なせてくれと神に祈りながら疲れ果てて眠る毎日。 無事に解決して発作が起きたときには「これでやっと楽になれる」と喜びました。 でも神は死なせてくれなかった。「意識をなくしたらダメでした。よく意識が保っていた。奇跡的です」と医者が言う。否、生きたかったわけじゃないんです。自分の心臓が止まる瞬間を見たかっただけ。だからモニターを凝視していただけなんです。 それまで私はカトリックでした。 でも好きな人をもう一人の男と奪い合い負けたとき、私は死のうと思いました。 でも三日間意識不明で、目が醒めました。だから私は天国にいけません。 それから三人とめぐり合いましたが、親の反対やつまらぬことで失いました。 もういいやと思ったときに出会ったのが今の妻です。 私は死にかけてから神道と出会いました。某外国系の教会とトラブルに巻き込まれた友人を助けようとして殺されそうになったのでキッパリと縁を切りました。 今では一社でも多くの神社を巡ると決めています。それは罪ほろぼしではなく、その土地が栄えるようにと祈願するためだけです。 人生の折り返しを過ぎてやっと生涯の目的を見つけました。でも最近はナカナカいけません。 人生って目的に向かって進むんじゃないんです。目的を見つけるためにあがくことなんです。 そのつどそのつど目の前にあることにガムシャラに向かって行くだけなんです。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
就職おめでとう。 神様のお陰かどうかは存じませんが、あなたの頑張りがあったればこそです。 自信を持って下さい。 人間は一人では生きていけません。 誰かの役に立ちたいし、世間に認められたいですよね。 あなたの可能性は無限に広がっています。 今はなくともいずれ見つかります。 私が社会に出た頃は自分に何が出来るかなんて分らずにいました。 目の前の仕事を黙々とこなし、気が付けば30年の歳月が流れていました。 何かをなし得たという実感も然したる業績もありませんが、一日の終わりに一人風呂に浸かりながら、今日も恙無く一日が過ぎたことに感謝の気持ちを抱きます。 50年近く生きてきた私にもそれなりのことはありました。 若い内は親の無心に随分と腹も立てました。 なんのために私は働いているのだろうかと疑問を抱き続けました。 しかし私には拒否するという選択肢もあると気付いた瞬間、とらわれから解放されました。 今あなたも同じ状況ではないでしょうか。 誰のために生きるのか? 私はハッキリと断言します。自分のために生きています。 自分が幸せに生きることで余力が生まれると、その力を必要としている人の為に役立てることが可能となってきます。 反面自分が疲弊している時は無理をするので空回りに終わります。 焦ってはいけません。 今は充電期間だと自分に言い聞かせ、余計なことは考えず、しっかりと休養を取って下さい。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”なぜ他の人達が何の問題もなく生きることができているのかわかりません” ↑ 目的を持って生きている人なんて、ほとんどいませんよ。 米国での調査ですが、そんな人はどこの国でも5%ぐらい だということです。 だから、あなたのように悩む人など少ないのです。 そもそも人間は特別な生き物ではありません。 ミミズと同じです。 意味も無く生まれ、意味も無く生き、意味も無く死んで いくだけの存在です。 人間が特別な存在だ、なんてのはキリスト教による思想に 過ぎません。 キリスト教では、神は己に似せて人間を創った、という ことになっていますから、人間は特別な存在になる訳です。 しかし、人間の特別製は、生物学的にも遺伝学的にも否定されて います。 生きる目的などというのは、目的が無いと人生おもしろくない と思った人が、勝手に作り上げた思想に過ぎません。 そんなものに左右されるのは愚かなことです。
- YUNAS
- ベストアンサー率27% (113/411)
他の人が幸せ? 本当にそうかな?そう見えるだけなんじゃ? 目に見えるものが全てではない・・・ 中のよさそうな夫婦ですねって言われるけど。。。けんかはいさかいは日常茶飯事・・・ 外見はつくろえる・・・ 生きる目的? ほんのささいな楽しみの時間を作るために、名目上家族を養うために・・・働いて、、、 疲れ果てて・・・。 じゃ幸せってなんなの? 後から思うこともあると思う。。。あのときが幸せだったな・・・ そして今進んでる現状も・・・ 叱咤するのは簡単だけど・・・乗り越える目的も必要かな? 乗り越えてあれは失敗だった、。不幸だったなどと言えるもので。。。 幸せを求めてというより後で考察するのが目的。。。それで後から幸せかどうかわかる。 そんな気がします。(持論) ま、あなたの2倍は生きていますので、その分悩み苦しみ、死のうと思ったり、馬鹿やったり。。。で、後か ら思って来たわけです。 参考になるかならないかはあなた次第。ま、大学生なら考え付くかな?大学中退の私が言うのもなんです が・。。。
- Glico1965
- ベストアンサー率23% (28/120)
こんばんは。 深刻ですね。 私ははたからみたら、恵まれた家庭環境で育ちました。でも、50歳近くなる今でも、子供まで出来たのに、未だに両親に対しては、漠然とした違和感、はっきり言えば、恨み、有ります。 恨みの内容?生まれてから今までですよ、一杯あって、自分でも何だかわかんないですよ。私は、要は、親の敷いたレールの上を走って、今の職業に就きした。羨ましいと言う人もたくさん居ます。多分その影に、親がその職業だから、お前もなれたんだと思っている人が沢山居るのも、わかっています。 まぁ、そのせいか、未だに自分には、さっぱり自信が無いし、定期的に死にたくなるし。まぁ、自殺未遂のうちには入らないけど、リストカット、眠剤のオーバードーズ、高い建物の上から下を見下ろしたり、鴨居に縄掛けたり。 死ねないし、結局は死なないのはわかってるのに、定期的に、発作的に、やっちゃいますねぇ。 閉鎖病棟もねぇ、2年ぐらい前かなぁ、初めて入院させられましたよ。 まぁ、2度目の離婚したばっかで、子供も小さくて、もう一人じゃ無理で実家に帰ったんだけど、なんか、親が言うには子供の面倒をちゃんと見ないってんで、なんか入院させられたらしい。これだって、意味不明。 職業柄、はっきり言って、閉鎖病棟に入院って、ありえないんですけどねぇ。同業者で、まぁ、眠剤、安定剤少々飲んでる人間はいるみたいだけど、流石に、閉鎖病棟に入院したって、聞いたことないよ。仕事で閉鎖病棟に用がある人はたくさんいるけど。(職業は、まぁ、想像してね。多分女性からしたら、この職業の男性って、憧れらしいです。女は売れ残ります。) いやさぁ、自分が大人だからって、説教じみたこと書いたりはしたくないんだよね。とか、根拠もなく、自信もてとか、希望もてとかさ。 だって、今、兎に角、生きる希望も自信も何もない訳でしょ?まぁ、要はお嬢様育ちの私じゃさ、君の苦労ははっきり言って、全然わかんないからさ。でもね、死にたい時の気持ちとか、の、感触は、わかるかなって。原因も、理由も違うだろうけど。 あー、そういえば、私は、金持ちだって、虐められた。子供の頃。そんなのどーでもいいけどさ。 多分、何書いても、今の君は、簡単には、元気にならないんだろうなぁ。なんか鬱のサイクル的なものにはいっちゃったんだろーなー。 でも、おばさんは、なーんかほっとけなくってさ、こうしてかきこんでるけど、全然まとまりないなぁ。 まぁ、最後に一つ、自分が生きてるのがやんなっちゃったに、いつも自分に言い聞かせる言葉。慌てるな、今死ななくても、嫌でもいつか必ず死ねる。安心しろ。 以上で~す。 あ、別にふざけてないよ。私さ、多分はたからみたら、けっこーお気楽に生きてるように見えると思うんだ。2回も離婚しといて、また彼氏とか作っちゃうし。職業知らない若い子には、ずーとやんちゃやってた人かと思ってたって、言われたし。 離婚はさ、1回目は、私が浮気してでてっちゃったんだけど、2回目は、因果応報?同じことされました。でも、そいつ、今刑務所。裁判の時は、もうとっくに離婚してたのに、身元引受人になって、弁護士費用まで出してやったのに、逮捕から、裁判までの期間やっととった保釈の間に、一度も貸したこともなかった私のカードを勝手にネットで使いやがった。恩を仇で返すとはこの事。 でもね、こういう、わかりやすい、ムカつく事って、こん畜生、何とかしてやる!って、思うから、案外思う程虚無感には襲われなくて、却ってなんとかしなくちゃって、頑張るんだけど…そう、ここまで書いて思った。君もそうじゃない?ずっと頑張ってきたから…。 まぁ、これは、実行しなくて、全然構わないんだけど、もしかして、いまだから、恨んでたお父さん、会ってみるのも、いいのかも?