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全ての体罰が悪なのでしょうか?
ニュースで体罰の問題がクローズアップされています。 確かに、生徒を自死に至らしめるような体罰は悪と思いますが、 私は全ての体罰が悪とは思いません。 私が中高くらいの15年前は、不良や校則違反に対して ゲンコツや平手は日常茶飯事でした。 しかし、父母たちは「もっと厳しくしつけてやって下さい」という風潮でした。 どう思いますか?
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質問者の仰るように,私も体罰を全否定するものではありません。 ただしそれには厳しい条件があります。 「体罰」とは言え,立場の強い者が無抵抗の相手に身体的苦痛を与える訳ですから,緊急性と他に手段が無い場合であることが必要だと思います。また「教え諭す」という教育の敗北でもあり,下記に示すように「傷害罪」「暴行罪」などの犯罪行為でもあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B7%E5%AE%B3%E7%BD%AA よって,体罰を行うからには「自らの職を辞する覚悟」が必要でしょう。「熱心な指導の余り」や「愛のムチ」などと自己弁護や擁護されることも少なく無い様ですが,自らの犠牲も厭わない無償の行為・使命感によるものだけが「愛のムチ」と呼べる行為であると思います。 >私が中高くらいの15年前は、不良や校則違反に対してゲンコツや平手は日常茶飯事でした。 生徒は学校の規則「校則」に従わねばならないように,教師は「学校教育法」などの法律に則って職務を行う義務があります。自らが違法行為をしながら,生徒の校則違反を指導するのは正しい行為であると思えません。 「宿題を忘れた」「スポーツの試合でミスした」程度でゲンコツや平手打ちをする教師は教育者ではなく,言葉の通じない「ペットや家畜の調教師」に過ぎないのではないでしょうか。 暴力による支配でなく,人を人として育てることこそが教育であると思います。 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm 回答の中で「ペットや家畜の調教師」という言葉を使いましたが,決して生徒を「ペットや家畜」と認識している訳でも無く,調教師という職業を教師よりも下に見ている訳ではありません。
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- mtap
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叩く以外の指導が苦手な方が多いからかもしれないし、自分が叩かれて育ったなら当たり前だと思います いずれ「体罰じゃない」という人が増えれば、それは体罰ではなくなっていくはず どんな「叩く」でも一種の慣れや麻痺らしく、大人は自分の信念を省みるのが怖いだけと言われましたが、まだ私も心のどこかで「大したことじゃない」と信じています
お礼
回答ありがとうございます。私も叩かれて育ちました。いずれ、昔と違って世間の常識が変わっていくのかもしれmせんね。
- elephant_tiger
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学校で、体罰という名で行われていることの多くは、教育的指導ではなく、比較的未熟で粗暴な教師たちが、単にかっとなって子どもや生徒に暴力を振るっている例が多いので、そういうものをなくすためには、学校での体罰は、完全に禁止した方がよいと思います。
お礼
最近は、体罰はいかなる場合でも悪という風潮ですね。私も自分の中でどのような方法が最良なのか悩むところですが、最近は少し考えが変わってきたところです。
- onarasitaine
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全ての体罰が善です。
- shift-2007
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確かにどんなものにも例外はありますよ。 あなたの言う善となる体罰もあるでしょう。 でもやはりそれは例外なんですよ。 例外的に生徒のためになる体罰があるからといって、 日常的に30~40発殴っていいわけじゃないんですよ。 例外はどこまで行っても例外なんですよ。 例外と通常の区別がつかなくなる、それが学校という狭く閉ざされた社会の怖さですよ
お礼
生徒のためになる30-40発の鉄拳は、ないですよね。 自分(叩いた本人)の中だけで完結するのではなく、体罰を受けた生徒の思いをいかに正しく感じるか、が難しい問題なのだと思います。
- miz-yuka
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危険なことや犯罪行為すれすれなら、止めさせるその場では必要かもしれないけど、それ以外では必要ないでしょう。効果がないと言う意味です。 今回の事件も、叩く必要ないでしょう。ミスばっかりして怒りたかったのなら、ベンチに下げればよかったのです。使ってもらえないと言うのが一番の罰です。 しっかりやれ!ならお尻や背中を1つポーンと叩いて送り出せばいいのです。 顔を平手打ちして闘志が沸いてくるとは思えません。みんなの前でやられたらプライドずたずた、ふてたくもなります。やる気が出るわけないでしょう。 そういう点で、教育者として失格じゃないでしょうか?
お礼
確かに、今回の件では生徒の気持ちを全く汲み取っていない体罰が 自死の原因となったのでしょうね。 何が一番本人にとって効果のある指導なのか、難しいですね。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
竹刀を持った指導者が、生徒を竹刀で叩くのがダメなら・・剣道部は成立しませんね。 体罰は肯定はしませんよ。 生徒が指導者を尊敬・信頼し、自然と厳しい指導などにも従うなどと言うのが、最善だからです。 ただ、そんな「師弟ともに人格者」みたいなケースばかりじゃありません。 むしろ、そんなケースでは無い方が、圧倒的に多いと思います。 いずれにせよ、「いじめが悪い」「体罰が悪い」なんて言ってる間は、問題は解決しないことだけは確かです。 「犯罪が悪い」などと言ってるのと同じで、極めて幼稚なコトを言ってるに過ぎませんし、「犯罪は無くならない」のと同様で、いじめも体罰も、決して無くならないです。 むしろ、いじめや体罰ばかりを問題視すれば、いじめが陰湿化したり、精神的な苦痛を与えるなどが増えるだけだし、それらもますます隠ぺいされる様になると思います。 あるいは、たとえ無くなったとしても、ではその先は、「親が殴って子供が家出」だと、「親がやり過ぎ」なんて言い出すのでしょう。 それが自殺と言う例だって、有り得ますしね。 社会に出て、上司の暴言がイヤで・・クレーマーの対応に悩んで・・などで自殺だって有り得ます。 自殺の問題に対して、「自殺の原因」に、焦点を当てても、キリが無いです。 問題解決は、「何があっても、自殺だけは防ぐ」です。 体罰の良し悪しは判りませんが、学校での教育や指導と言うものは、社会に出てから最も要求されるものの一つである「我慢」を教えると言う側面もあると思います。 たとえ殴られた教師を、一生、恨んでも構いませんから、それでも「それを乗り越えて生きて行く!」が、基本では無いか?とは思います。 スポーツで、肉体的には強くても、精神が弱ければ、無意味です。 本人か、指導者か、学校か、親か・・・。 誰かが、「絶対に自殺だけはいけない!」と徹底的に教え、それを納得させていれば、最悪の事態だけは 避けられました。 問題の本質は、それだけでは?と思います。
お礼
乗り越えて生きていく力を、どのようにつけさせるか? コトバで言っても解らない生徒に対する指導は、非常に難しいですね。 ただ、相手(生徒)の気持ちを解ろうとせずに、自分の考え(情熱?)だけで 手を出すことは、たとえ自殺に結びつかなくても悪だと思いました。
- shin1417
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今騒がれている大阪の高校の件は「体罰」ではありませんよ。 自殺した生徒は殴られなければならないような事をしてないでしょう? 教師の気分で生徒を殴るのは体罰ではありません。 だから、大阪の橋元市長は「あれは体罰なんてものじゃ無い、暴力だ!」と公言しているわけで。 これを「体罰、体罰」と報道する方がおかしいんですよ。 大阪の高校の件は「体罰問題」とは関係無いことです。
お礼
たしかに、体罰問題とは無関係です。 しかし、もし悪いことをした生徒がいて(罰の対象となる)、 それに対する指導者の対応はいかなるものが最善か? 「カッ」となる先生は、やはり教育者としての資格に?マークが つくのではないかと思っています。 指導者は、生徒の気持ちをわかった上で、冷静に対処することが必要と思います。
- maryan1965
- ベストアンサー率50% (1/2)
教師の体罰は学校教育法で禁止されている違法行為です。 人を教育する立場の者が違法行為を行なうことなど、 どのような理由をつけても正当化されません。 私の通っていた学校にも暴力教師はいましたが、 殴られて反省している生徒など私は見たことがありません。 校則に違反した生徒に、法律で禁止されている体罰を加えて、 規則を守れと説教したところで何の説得力もありません。 タバコを吸っている所を見つかって殴られた生徒は、 次は見つからないように吸うだけです。 暴力で人を従わせるのは一番安直なやり方で、 熱心な教育者が行なう行為ではありません。
お礼
結局は、生徒の心に訴える指導は 暴力では得られなという考えは、 私も賛同します。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
確かに、御指摘の通り騒ぎすぎ、という 感じがします。 自殺者が出たから、体罰は絶対にダメという のは行き過ぎです。 それなら、交通事故で人が一人死んだら、以後 自動車の運転、製造販売は総て禁止することに なりかねません。 ただ、体罰などなくても済むようにすることが 一番大切だと思います。 生徒に尊敬されるような教師であれば、体罰など 使わなくても、教育は出来ます。 生徒のしつけがきちんとなされていれば、体罰 の出る幕などありません。
お礼
体罰を使わなくても教育ができる先生、 羨ましいです。 すぐカッとなって手が出るのは、 やはり「教育」者としては指導力不足、そのものですね。
- qzec
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教育現場全体の考え方としては「絶対悪」にすべきでしょうね そうしないとまた同じような事件が起こります あなたのように「全ての体罰が悪ではない」と考える人は多くいるでしょう しかし、必要な時は体罰も辞さないというような考え方は非常に危険な考え方なんですよ 日本の教育現場では体罰は昔からずっと禁止されています。 あなたが子どもの頃も規則上は禁止されていたんです そんな禁止されている行為を肯定しちゃうとですね、歯止めが効かなくなるんですよ 通常であれば、「規則に反する」という事が一つの「歯止め」になるんです 規則に反することはやってはいけない。当たり前ですね で、体罰というのは、程度に関係なく体罰という行為自体が既に規則違反です 禁止されている行為を暗黙的に認めてしまうと、「歯止め」を自己の裁量に任せるようになってしまうんです 自己の裁量に任せる。これは非常に危険だということは説明不要だと思います 今回のように、生徒を自殺に追い込んでしまうようなことだって起こりえるのです 他にもにも生徒が教師に殴られて歯が折れたとか、発覚していないのも含めると 体罰によって多くの問題が発生しているでしょう 個々のケースを考えれば、確かに体罰が必ずしも悪というわけではないかもしれません しかし、何度も言いますが、そもそも体罰は禁止されている そこに例外を認めると徐々にエスカレートしていきかねず、自殺のような悲しい事件を生みかねないのです 教育現場全体として考えれば、今回のような悲しい事件を起こさないために必要なのは「体罰禁止の徹底」なのです 仮に必要な時は体罰を認めるのであれば、「明確な規則」が不可欠 曖昧な規則だとやはりエスカレートしていきかねない
お礼
「教え諭す」という教育の敗北 まさに、その通りかと思いました。 結局、相手の考えを汲み、それに対して いかに「正しい」考えを理論的に諭すか、 ではないかと思います。