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明治以後の天皇の実力は?
明治、大正、昭和天皇は、実のところどれだけの権力をもっていたのでしょうか? 天皇が「No」と言っていたら、数々の戦争は回避されたのでしょうか? 私は、彼らも単なるシンボルだったのではないか、と思うのですが。
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実質的にシンボルですね。 明治天皇がアンパンや肉を食べたために、それが広まった、昭和天皇の動物学の広い知識が学会に与えた影響など、文化に関しては多大な貢献はありましたが(大正帝は病弱で御在位も短かったのでそういったエピソードが豊富ではありませんが)、政治的には今と変わらず、法的には最高権力者でしたが実質的には象徴のようなものだったはずです。 実際、昭和天皇が関東軍に対して進軍を中止せよという声明を出したことがありますが、関東軍は「天皇直属の軍」であるにも関わらず、これを無視します。 そもそも「統帥権」というものは法に明記されていません。天皇陛下は「陸海空ヲ統括」するとだけ書かれており、法律的にも何でも命令できたわけじゃありません。 軍部はこれを拡大解釈して、戦果を挙げる場である戦線の拡大を叶えるために利用しただけです。 現在で言えば、憲法九条を素直に見れば軍事力をもてないはずですが、解釈によって自衛隊は存在しているのと同じでしょうね。他にも法律には無い非核三原則なども単なる解釈といえばそうです。 (ここで憲法九条の善悪は問いませんが、現状に全く合っていない法であることは間違いないでしょう)。 政治的には、天皇は決まった方針に対して了承するだけの存在であり、軍を止められる可能性は全く無かったはずです。
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- makochi
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美濃部「天皇機関説」が不敬だと問題にされたのも、それが唱えられた直後ではなく、昭和ファシズムが台頭していく過程であり、むしろそれまでは「大正デモクラシー」を支える理論ともなっていました。 天皇自身の存在と、天皇制というシステムは別個のものです。天皇制の枠組みの中では、天皇自身の意思(権力)はさほどの影響力もなかったのでしょう。 では、天皇に戦争責任はなかったか?という問いとなると、また話は違ってくるのですが。
- SCNK
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戦前、戦中については回答が出ていますので戦後のことで回答します。 もちろん制度的な意味では権力は持っていません。しかし政治家に対する精神的な圧力とか、知・親日派外国人との人脈とかというところで大きな権威的な力を持っていたのも事実です。 たとえば戦前の駐日大使グルーと天皇のパイプは太いものだったようで、彼らが戦後米国で作った、対日米国評議会が日本の占領政策を大きく転換させました。 また吉田などの首相は、ことある度に天皇に内奏しています。サンフランシスコ講和条約や日米安全保障条約などを巡る交渉には影で大きな影響力を示したそうです。当時の政治家にとっていくら象徴天皇と言っても簡単には頭は切り替えることができなかったようです。 戦後、日本の赤化をもっとも恐れたのは皇室だったようで、それが国外の自由主義者との連携を可能にしたようです。
- mig15fagot
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天皇の権力というよりもカリスマ性の問題ですね。 実際、明治天皇は日露戦争当時維新の元勲山県有朋の意見を退けて当時の旅順攻略軍司令官野木希典をそのまま使い続けたような例もあります。 大正天皇は病弱であられたこともあって 「大正デモクラシー」の時代になりましたが 天皇大権は別に法律上何の制約もありませんでした 昭和天皇の即位初期に当時の田中内閣は 関東軍による満州侵攻を黙認して 昭和天皇に「話が違う!」 と言って田中内閣から浜口内閣になりましたね。 但し、昭和天皇は戦後 「自分は立憲君主であり専制君主ではない。 臣下の決定に異議を唱えることは出来ない」 と言ったことがあったようです。 参考文献 「陸軍良識派の研究」 「陛下のご質問」
- uso888
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明確にNoと言えば、回避された可能性はあります。 なぜなら、孝明天皇が攘夷主義者だったからこそ、幕末の尊皇攘夷運動が成立したわけで、 単なるシンボルであるがゆえに実力を持ちうることもあるわけです。 特に、昭和天皇は権勢随一と言われた田中義一を辞職に追い込んでいます。