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死ぬ事についてアンケート的な質問です。

(1)御回答者様は自分の死ぬ年月日を知る事が出来るとしたら知りたいですか?、又それが10日後と知ったら何したいですか?…。 (2)御回答者様は自分の大切な方々の10年後の死を知った時に本人に告知しますか?…。 (3)御回答者様は全く名前も姿も何も知らされない儘、死刑囚の死刑執行のボタンを押すだけの3人の1人に選ばれたとしたらボタンを押しますか?…。 (4)病気の奥様の御腹には大切な胎児!…出産は奥様の死を覚悟…子供を今すぐ下ろせば大切な奥様は助かるが2度と子供は出来ない!…御回答者様はどちらを望みますか?…。 一面でタブーな質問で本来質問しては駄目なのかも知れませんが現実に何処かで誰かが今も回答を求められて困って悩んで憂鬱に思ってる現実も有ります。 御回答者様はどう考えますか?… 具体的なコメント含め何卒、宜しく御願い致します。

みんなの回答

  • shirou5
  • ベストアンサー率20% (4/20)
回答No.5

(1)知りたくないです。自分の死が何時だろうと興味がないですし、知っても悩むだけで得しません。 (2)しません。不安にさせたくないし、責任が取れないからです。 (3)押します。凶悪な死刑囚は同じ人間でありません、良心を持つ人間には凶悪なことはできません、凶悪なことができるのは人の皮をかぶった残虐な悪魔だけです、悪魔を処刑するのは当然のことです。 (4)本人の望む方に私も賛同します。他人が助言はしてもどうするかなんて決めることではない、本人の意思を最大限尊重させるべきであり、本人に決断させるのが最善だと考えます。 全ての回答は即答でした、損得勘定しないのですぐに決められました

jamamono2
質問者

お礼

参考に成る御回答、本当に、ありがとうございました。

回答No.4

私の回答は質問者様が期待していらっしゃる性質とは違うかもしれませんが、私の死について、もしくは自分の死についての私見を説明いたします。(1)~(4)のそれぞれの質問に対しての答えは私の死についての私見をご理解いただければ、答えは必要ないと思います。それでは説明いたします。私は「私の死」は「私の存在」には関係なく、単に生命活動が可能な肉体の終わりという意味しかありません。例えば自分の車が壊れてしまい、廃車になってしまっても、その車を運転していた私がいなくなるのではないということです。自分の存在というのは「霊的存在」言い方を変えれば「魂」のことだと思います。私は魂は自分が誕生する前から存在し、自分の死後も存在を続けるものだと信じています。科学が進めば、いずれは肉体を人工的に作り出すことができるようになると思いますが、魂を作ることができるようになるとは思いません。もちろん人工的に作り出した肉体に魂が宿る可能性に関しては否定はしませんが、それでもやはり、魂を作り出すことにはなりません。魂を作り出すことができない以上、魂は初めから存在するものだと思います。初めからというのは「宇宙の初めから」ということですが、もしかしたら「宇宙の初めより前」から存在しているのかもしれません。ですから私にとって「死」は活動の停止という意味しかありません。車のエンジンをスタートさせたり、止めたりすることと同じぐらいの意味しかありません。自分が死についてあまり真剣に受け止めてはいないのではないかと思われるとこまりますから、はっきりさせておきますが、私は遺伝性の脊髄小脳変性症患者で、私の父や父の長兄2人も同じ病気(?)で他界していますから、私に残されたこの世での人生が5年弱であることも分かっていますが、私には死に対する恐怖や不安は全くありません。

jamamono2
質問者

お礼

御回答、本当に、ありがとうございました。 生命の永遠性は今更言う迄も無く釈尊が3千年以上前に解き明かしてます。 法華経を読んで見て戴ければ…と思います。 起きる事と寝る事とが生死と同じ感覚です。 肉体には記憶が存在しないだけで根本の魂には過去世の因果の全てが現在に繋がってます。 質問からも脱線しますので是以上は機会が御座いましたら改めて…とさせて戴きます。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.3

(1)知ることができれば、身辺整理はできますね。多分、仕事の片付けに追われます。   それ以外は、日常と同じに過ごすと思います。 (2)告知しません。多くの人は受け入れがたいでしょうから。 (3)押しません。死に至らしめる必要があるかさえ分からぬ人に、手を下すことはできません。   たとえ執行が決まっていたとしても、私が手を下すことを私が良しとしないからです。 (4)子供を諦めます。すでにかけがえのない人になっていれば、居なくなることが耐えられないと思うからです。 子孫繁栄も大切でしょうが、魂の共鳴に抗えません。 回答は求める人が自身の中に持っているもの。 他の人がどう答えようと、はいそうですかと受け入れられるものではないと思います。 その人の中からその回答を引き出せる努力が必要なのではないでしょうか。 与えられるままに生きる人生であれば、与えられるものが与えられた時 すべて受け入れながら生きるのが最善でしょう。 質問や疑問は必要ないように思います。 質問や疑問が湧くのは、自分で答えを探しなさいってことだと思っています。

jamamono2
質問者

お礼

御回答、本当に、ありがとうございました。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.2

1.どうでもいい。知ったら知ったでそれから考える。たぶん、普通の生活をし、自分の仕事を終わらせ、父の最期の指導を子どもに伝える。 2.言わない。言う責任を持ちたくない。 3.冤罪であろうと真剣につけた結論。躊躇なく押す。 4.妻の選択は無条件に受け入れる。妻であろうと妻の死を私が決めてはいけないと考える。たぶん、妻は自分が死んで子どもが生きるなら、それを選ぶことはわかっている。妻が決められないなら、何も積極的にせず結果を受け入れる。

jamamono2
質問者

お礼

御回答、本当に、ありがとうございました。

noname#171471
noname#171471
回答No.1

1)知りたくない。  10日後…オーロラでも見に行こうかな…まだ見たことないから 2)たぶん言わない 3)泣き叫ぶ死刑囚の姿や、死刑執行時の生々しい映像を目の当たりにした経験がなければ押せるかもしれない。 4)おろす

jamamono2
質問者

お礼

御回答、本当に、ありがとうございました。 この質問にベストアンサーは無いと思いますから選びません。

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