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柴又帝釈天と災害との関係
観光や散策でにぎわう名所として有名な帝釈天題経寺について、 これまで、大きな災害があると、その犠牲者を供養しているようですが、 この柴又帝釈天題経寺は、何か特別な由来はあるのでしょうか? 公式サイトには祈祷や参拝に関する案内はありましたが、 この点よくわかりませんでした。
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- shin1417
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回答No.2
浅間山の天明の大噴火が関係しているらしいですよ。 帝釈天のすぐ近くを流れている江戸川は、上流に遡ると利根川へつながります。 天明3年に起きた、浅間山の「天明の大噴火」と呼ばれる噴火で、利根川の上流の方で川をせき止める自然のダムが出来ました(いわゆる土砂ダム)。 がっ、この土砂ダムはしばらくして水量に耐え切れず自然崩壊。 この時、鉄砲水が発生し下流の集落を飲み込み、死者が2000人以上発生する大惨事となりました。 その時に鉄砲水に飲み込まれた犠牲者の多くの遺体が流れに流れて、帝釈天の近くの江戸川の方まで流れて来たのです。 その流れてきた遺体を、周辺の人達が川から引き揚げ、帝釈天で供養しました。 これがきっかけで、自然災害の犠牲者の供養と言えば「帝釈天」になったようです。
- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.1
関東大震災とか東京大空襲で無傷だったから ご利益があるとか思ってじゃないの? 死後も守られるみたいな 寺が犠牲者を供養するのは当然で なにも帝釈天に限ったことでもないですし