「 男はつらいよ 」 を語る
本質問を御覧頂いている皆様、今更ながらですが、今年も宜しく御願い致します。
さて 「 男はつらいよ 」 と言えば葛飾柴又、逆もまた然り。
その柴又帝釈天へ夫婦して初詣に参ったのが、1月4日・・というかたった4日前の事。
人出が一段落していたせいでしょう、 「 えっ !、ここの参道ってこんなに短かったっけ ? 」 ・・と印象を新たにしましたが、当柴又は葛飾の外れというよりもむしろ東京・千葉・埼玉の都県境、帝釈天と江戸川 & 矢切の渡しを除けばもうどこにでもあるといった風情、ところがこの鄙びた街が皆様御存じの通り知名度では全国有数を誇ります。
その街並みも「 男はつらいよ 」 公開当時と殆ど何も変わっちゃいない、江戸川の河川敷だってそう、京成のプラット・ホームなんて、旅に出る傷心の寅次郎をさくらが見送ったあの頃のままと想像頂いていいでしょう、駅前だって精々寅さんの銅像が出来たぐらいでして・・。
一方映画を貫くスタイルも殆ど変わらずマンネリと言えばその極致にありました、ところが斜陽の日本映画界にあって、長年松竹の屋台骨を支え続けたのもまた事実でして、「 恋と旅 」 という男の夢とロマンを凝縮したような気ままな生き方に、その秘密があるのかも知れません。
そんな「 男はつらいよ 」への個人的な思い入れは、出来損ないの兄貴と出来の良い妹という設定にあります、 これは謙遜でも何でもなくて 「 うちもそうだったな~~ 」 ・・と。
さて寅さんは元より、おいちゃん・おばちゃん・タコ社長他がお亡くなりになり随分と経ちますが、宜しかったら皆様が持つ「 男はつらいよ 」に纏わる話をお聞かせ下さい。