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極楽往生するには一度だけ南無阿弥陀仏と唱えればよい
「善人であれ悪人であれひとたび南無阿弥陀仏と唱えれば皆等しく極楽浄土へ往ける」 親鸞聖人はこのよーに説いております。 極楽往生するには一度だけ南無阿弥陀仏と唱えればよいのであるから、極楽往生するのに戒名するしないは何の意味もありません。 あるいは極楽往生するのに無縁仏になろーがなるまいが何の影響もありません。 往生とは坊主の力を借りて往生させてもらうことではありません。 ただ一度だけ南無阿弥陀仏と唱えればよいのです。 皆もこれについては何の疑いも有りますまい。
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noname#175206
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noname#195588
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お礼
御回答有難うございます。 前半の考えについては全くその通りであると思います。 >しかし、目の前の人を救おうとして努力した人の言葉を恣意的に使っては駄目でしょう。善い方向に活かせるなら、その言葉を借り、間違った使い方なら正す。そういうことでなければなりません。親鸞も、既に救われていることを曲解する輩に警告を発しています。たとえば、死後に必ず救われるなら悪行を重ねても良いかと問われて、毒消しがあるからといって、進んで毒を飲んではいけないと喩えています。 さて問題はこの部分であります、 どのよーな教えに対しても、その裏をかこーとする輩は常におります。 しかし喩えそーであったとしても「善人であれ悪人であれひとたび南無阿弥陀仏と唱えれば皆等しく極楽浄土へ往ける」と説いた親鸞の教えはやはり正しいのであり、これを全面に出さねばなりません。 何故なら、そのよーに説く以外に真の大乗は成り立たないからです。