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なぜミャンマーは開放路線に転じたのでしょうか。
少し前まで軍事政権が厳しく国家統制を敷き、その下で長年アウン・サウン・スーチー氏が自宅軟禁などを強いられてきたミャンマーが、このところ180度方向転換をしたように見えます。この劇的な変化はどのようにして起きたのでしょうか。詳しい事情をご存知の方がおられましたら宜しくご教示の程お願いいたします。
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カレン民族同盟が事実上壊滅した事が最大の理由です。 今年の1月に、カレン民族同盟がミャンマー政府に降伏しました。 これにより、ミャンマーには大きな反政府勢力が消滅しました。 昨年暮れにのカレン民族同盟の本拠地が占領された事がきっかけです。 カレン民族同盟が、ミャンマー政府に加わることとなり、ミャンマーでは、軍事政権である必要性がなくなりました。 (軍事政権は、英米がカレン族などを利用して反ミャンマー武力闘争をしているために、軍政を行っていたのですが、カレン民族同盟が崩壊し、反政府勢力が力を落したため、軍政である必要性がなくなった) その段階では、国際社会からの経済制裁が、ミャンマー国民にのしかかるため、国際社会との和解をミャンマーが求めることになったのです。 一方イギリス植民地時代の利権確保のため、カレン族を使用してミャンマーの利権を主張していた英米は、利権主張の根拠と手段を失うことになりました。 そのため、ミャンマー側では、民政移管がすすみ、英米ではミャンマー利権を確保するためにミャンマー政府へと接近することになります。 アメリカとしましては、ミャンマーと中国との経済関係が深まる事を危惧した面もありました。 ミャンマーと中国とを結ぶ石油や天然ガスのパイプラインが建設準備中で、もし完成したら、中国がマラッカ海峡を経由せずに石油や天然ガスを確保することを恐れたことも理由でした。 ミャンマーの急速な国際化は、ミャンマー側にも、英米側にも双方に理由があったのです。
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- あずき なな(@azuki-7)
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開放とみせかけてまた軍部が何かやりそうですよね 国際社会は騙されてると思います 数十年も軍事政権下にあった国が そう簡単に民主化するでしょうか? 軍部とて簡単には政権を手放したくないはずです 有る程度の経済支援と自立のメドが立ったところで再び元に戻りそうですよ
お礼
なかなかわかりにくい国であるということは確かなようですね。どの国も、その国の成り立ちにはなかなか複雑な要素が絡み合っておりますので。大変参考になりました。御礼申しあげます。
- hekiyu
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1,欧米の経済制裁で経済が行き詰まった、という ことが挙げられます。 2,次は、中国一辺倒からの脱出です。 ミャンマー市場は、かつては日本が独占していました。 しかし、米国の圧力で、引き払い、その後を 継いだのが中国です。 お陰で今は中国が市場を席巻しています。 政治的にも中国との関係が密接になりました。 このままでは中国に支配され、属国化しかねません。 中国という国は、領土的野心が強い国だからです。 ミャンマーには中国人がゾクゾクと入り込んでいます。 それで、このままではまずい、ということになり 民主化を嫌っていたソー・ウィン首相の死去を契機として 民主化に踏み切りました。
お礼
経済制裁やミャンマーが置かれた地政学的な中国との関係、また国内の政治的状況の変化など大変わかりやすくご説明頂き有難うございました。御礼申しあげます。
- tomoac
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一口では難しいですね。本が出ていますので読まれてください。 10年前から民主化の準備はしていたようで、劇的ではありません。 日本の報道が劇的なだけです。
お礼
10年前から民主化の準備はしていた、とのことで私のような素人は、もっとそのあたりを勉強すべきですね。有難うございました。御礼申しあげます。
- rokometto
- ベストアンサー率14% (853/5988)
単純に経済制裁で行き詰ったんだと思いますよ
お礼
早々にご回答を頂き有難うございました。御礼申しあげます。
お礼
非常に詳細でわかりやすい解説をして頂き有難うございました。カレン族の反政府運動というのは聞いたことがありましたが、英米や中国との関係を含めた全体の構図とその時系列的な推移が大変よくわかりました。御礼申しあげます。