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スーチー女史への評価
- ノーベル平和賞受賞を始めとする、欧米諸国に於けるアウンサンスーチー女史への肯定的評価は揺るぎのないものであり、国際的にも注目されています。
- 一方で、彼女の功罪については意見が分かれており、西欧風民主主義に偏りすぎる姿勢や特異な地域性を無視した行動によって混乱を招いたとの指摘もあります。
- また、成熟しない国政選挙による秩序破壊は軍事政権による圧制よりも大きな罪と考える意見も存在します。
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>ノーベル平和賞受賞を始めとする、欧米諸国に於けるアウンサンスーチー女史への肯定的評価は恐らく揺るぎのないもの、御多分に漏れず我が国のメディアも、彼女の功罪に就いて殆んど何の検証もせずに只々絶賛、但しもう一方では明らかに英国の紐付きであると揶揄される背景もある、国際社会にデビューして以来のスーチー女史に就いて、果たして貴方はどう評価されますか? 小生は、ノーベル平和賞がEU諸国の政治ツールである・・と認識しているので、その権威を認めていない。 そもそも権威そのものを精査しているから、大概の権威を唾棄しているが、ノーベル平和賞はその典型例であろう ノーベル平和賞は、知らないうちに、平和行動者のためではなく、民主化運動のための褒賞に変貌しているなどの傾向からも指摘できるだろうし、なにより民主化運動指導者によって拡大する騒乱・内紛被害などは『平和』という主眼を亡失しているとしか言えないだろう まぁ、気候温暖化問題で授賞したゴア氏の件などは、平和賞のロビー性などを表象するものとしか認識しえないものであるが・・・ 小生からすれば、近年のノーベル平和賞は、その価値が極めて怪しいものであって、作為的選出を思慮すれば、もはや「政治手段」であるとしか思えない。 なお、佐藤栄作氏の授賞などは、今になっては、むしろ恥ずかしい話になりつつあるわけだが・・ ちなみに、彼女は国際デビューしている、とは思っていない。一部の人権団体が競合して彼女を担ぎ出している現場はあるが、外交レベルではまだまだ彼女の主体性などは発揮する余地はない ちなみに、英国のヒモ付きというよりも、人権団体のヒモ付きの方が実態としては適切らしい・・・・小生の知己がそう指摘していた・・・ここらはダライラマにも通じる話だが・・・ >その反面ただひたすら西欧風民主主義のみを善とし、民主・自由主義の概念すら無い特異な地域性を無視した時期尚早感、そしてその事に依り無用な混乱を招いた印象は否めないのですが。 同意見である 彼女らは、民主主義・自由主義を功利主義的に多数原理主義として政治情動にしようとする危険性が指摘できる ミャンマーの国政は、少数民族との兼ね合いも思慮しなければならないが、彼女がそのような配慮が出来る人物とは思えない ある意味、彼女は、古い日本の明治維新のヒステリックなまでの列強意識に近似した『自由主義』意識に憑依され、支配されている、と思えてならない。民主主義の弊害について思慮するだけの能力は彼女には見受けられないわけだが・・・ もっとも問題なのは、押しつけ型の民主主義と批判するような日本の保守系ですら、彼女を支援している現況にある。 歴史的には、むしろ彼女は抗日運動家の末裔であるのだから、嫌悪感を抱くのが道理であり普通なのだが(嘲笑) >例えば明治維新直後の日本ですが、「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。」的な官僚専制体制も、民度が成熟するまでの助走期間という前提で、必ずしも間違いではなかったと思う次第です。 ほぼ同意見である。 ただし、その官僚先生体制が、中央集権であるべきか?地方分権であるべきか?という権利主体の違いについては、小生は、”地方分権であるべきだった”とは思う なお、未だに日本の民衆の近代社会での習熟度・周知度合い(民度という概念は主観・抽象すぎる)は、まだまだ未開人な部分が多い・・と思う 簡単にいえば、『衆愚政治を経て、仕方ないから「賢人政治」でやるしかないよね?』もしくは『正答は分からないから、納得を調達しえる意思決定手段で我慢するしかないよね?』という市民革命過程を経た上でしか、社会の成熟はありえない・・と思うので、未だに日本はその段階を経ていない・・と思う。 ただし、総論的には経ていないが、一部の識者は、それを机上論で認識しているとは思うが・・・・・ >民度が成熟しない段階での国政選挙は果たしてどうなのでしょう? 上記したように成熟しない状況を経る必要性がある、と思う。机上論で理解できる人間は少ないことからしても >他に有効な方策、例えば段階的・漸進的な方法は無かったものか? 『劇薬が必要である』と安易に評するのは無責任かもしれないが、進捗度を加速度的に進めるためには、失敗が必要であって、小規模な成功では、劇的進捗・社会進化はありえないだろう ただし、小生は習熟手法として、より穏健な方法を知っている。それは、出発点を地方分権にして、地方毎に格差の少ない社会情勢に至らしめ、自由主義・個人主義・近代化によって生じるリスクを小規模でレベルで認知・慣れさせることである。 要は、予防接種であって、彼女の政治改革は単なる副作用の多い『抗がん剤』であろう もっとも副作用が出ないように、出ても支える、とする主権国家もあるが、どこまで支えてくれるのだろうか?・・というレベルの話もある >対案が無い秩序破壊は、ひょっとすると軍事政権依る圧制よりも大いなる罪では?、そう考えたりもするのですが。 ほぼ同意である まだ未明なことが多いわけだが、単なる国内問題ではなく、逆に国際的な圧力などで国情不安に落とされかねないことにならないように祈る 簡単にいえば、諸外国依存の社会になってしまい、支援する国の支援次第というお粗末な社会になるように思うが、潜在力があるだけに、そうなってほしくない 以上 質問者の視座が小生からすれば、大変優れているとは思うが、まぁ、おそらく支持者は少ないだろう
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- hekiyu
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全くその通りで、同感です。 民主制だから正しい、というおかしな 風潮がある、ということはさておいて、 民主制が成功するには、民主制のインフラ というものがあります。 経済、教育、通信などのインフラが整って いなければ民主制は上手く機能しません。 アジア最貧国といわれるミャンマーで、いきなり 民主制を敷いて、それで上手く機能するとは思えません。 急激な変革は、混乱を生じるだけで終わる 可能性が高いです。 その後は、もっと悪い政治が待っているかも しれません。 欧米がミャンマーの軍事政権を非難するのは、 彼らがミャンマーの人たちのことを心配した からではありません。 石油の為に、侵略し、10万もの国民を平然と殺す 国が、ミャンマー人のことなど心配する訳が ないでしょう。 非難するのは、ミャンマーと仲が良い中国との 関係を弱めるためであり、ミャンマーで商売を 独占している中国経済に、切り込み、ミャンマーで 金儲けをしたいからです。 民主制を敷いたらミャンマー人が幸せになれるから、 ではありません。 民主制は欧米に都合がよいからに過ぎません。 スーチーさんにしても、統治能力は全くの未知数ですし、 ああいったタイプの人は、実務には疎い場合が多い のです。 国家の軸が無いミャンマーのような国では、軍が 軸となって統治するのは、ある程度やむを得ないと 思われます。
お礼
御回答を賜り、誠にありがとうございます。 回答者様の御指摘には総論賛成、ほぼ同意であろうかと。 >非難するのは、ミャンマーと仲が良い中国との関係を弱めるためであり、ミャンマーで商売を独占している中国経済に、切り込み、ミャンマーで金儲けをしたいからです。 多くの国家・メディアがスーチー女史を支持する事の本質は、或いはこの点にあるのかも、私としてもそう考える次第です。 >国家の軸が無いミャンマーのような国では、軍が軸となって統治するのは、ある程度やむを得ないと思われます。 この点に就いても全面支持、民主主義の概念が無い国民に、いきなり民主主義の政体を持ち込んでも無用な混乱を招くだけ、軍事政権という過渡的な政体も、止むを得ない選択であったと考えます。 尚多くのメディアは今尚軍事政権呼ばわりしておりますが、その実態はかなり柔軟に変化しており、且つ現テイン・セイン大統領は相当にしたたか、今のミャンマーに最も必用なのは、実務に堪能な政治家であるのかも知れませんね。
- HAL2(@HALTWO)
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彼女が政権を執って国を乱したわけではないですし、彼女は 1990 年以来軟禁状態にあって大衆を扇動する組織作りなどできなかったのですから、Myanmar の混乱を彼女の功罪に数え上げるのは難しいのでは? と考えます。 確かに民主・自由主義が根付くかどうかも判らない社会に西洋の政治理念を持ち込もうとしているという見方はできますが、持ち込んで混乱させたわけではないのですから・・・。 それが無用の混乱を招くようでは彼女以外の誰かが明治維新直後の日本のような緩衝時期を作り出すような体制を目指すでしょうし、それを受け入れるか否かは Myanmar 国民の責任であり、私達に彼女の功罪を問うことはできないだろうと思います。 彼女の Nobel 平和賞受賞理由はあくまでも「国民選挙で大敗したにもかかわらず、政権移譲を拒否して「顔はやばいよ、Body やんな、Body を・・・古いか(笑)」とばかり彼女を軟禁し、彼女の国民民主連盟による民主化運動を徹底的に弾圧した軍事政権に対して非暴力民主化運動の理念を貫いた」姿勢に対して Nobel 財団が平和賞に値すると判断したものであって、彼女の政治的手腕や国策の評価は実行されていない以上、評価のしようがないのではないでしょうか? ちなみに彼女が国内民主化同士達と国民民主連盟を組織したのは 1988 年の騒乱である 8888 蜂起の真っ最中であり、彼女が 8888 蜂起を扇動したわけではないでしょう。・・・それまでは海外にいたのですし、海外から国内の分子を導く力もなかったでしょうし。 確かに国民民主連盟を組織の顔に祭り上げられて Nobel 平和賞を受賞した有名な思想家(?) ではあるのでしょうが、政治家としての実務に於いて優秀かどうかの評価は白紙状態であり、軍政時に於ける混乱の罪を彼女に求めるのは無理だろうと思いますよ。 果たして Myanmar に民主化が根付くか、それとも諸外国に見られるように汚職に塗れて政権交代する度に旧政権関係者が不正な蓄財を訴えられるような社会になるのかはこれからを見定めるしかないのでしょうね。
お礼
丁寧な御回答を頂き、恐縮です。 若干の見解相違はありますが、貴方の御回答は充分に私の想定の範囲内、ただどうでしょう、私が考えるスーチー女史の存在は、ミャンマーにとってある意味「諸刃の剣」の如きもの。 言い方を変えれば、時として善なるはずの存在が、その先進性或いはその他の理由を以って、大いなる罪悪・弊害となる可能性を否定出来ない事は、幾多の歴史がいみじくも示しております。 そしてそれ以上に、西欧風民主主義の信奉者として各種メディアがクローズ・アップ、あまつさえノーベル平和賞を付与し、アジアの僻地に於ける民主化運動の象徴として持ち上げる事に関し、そこに感じられる何等かの意図に対して、違和感を禁じ得ないというのが正直なところ。 >それまでは海外にいたのですし、海外から国内の分子を導く力もなかったでしょうし。 名門の出の彼女が国内事情に疎かった点、そこが最も重要であったと考えます。 >果たして Myanmar に民主化が根付くか、それとも諸外国に見られるように汚職に塗れて政権交代する度に旧政権関係者が不正な蓄財を訴えられるような社会になるのかはこれからを見定めるしかないのでしょうね。 先ず前提として、私個人は必ずしも「民主化=善」という図式で捉えておりません。 飽く迄も地域事情に即した政体が好ましいものと、まあミャンマーに関しては近い将来その答えが出るのでしょうが。 そしてもう1つ、今尚軍事政権と称せられるが、現テイン・セイン大統領が持つ柔軟性とある種のしたたかさは秀逸、そしてその方向性を、私としては肯定的に捉えております。
お礼
詳細な回答を賜りまして、ありがとうございます。 >ノーベル平和賞は、知らないうちに、平和行動者のためではなく、民主化運動のための褒賞に変貌しているなどの傾向からも指摘できるだろうし、なにより民主化運動指導者によって拡大する騒乱・内紛被害などは『平和』という主眼を亡失しているとしか言えないだろう この点は全く仰る通り、受賞理由に見られる選出側の不可解な客観性、並びに同賞受賞者の言動が、必ずしも平和に寄与していない現実を顧れば、大いなる皮肉と言えない事もないでしょう、特にIAEAに至っては、悪い冗談としか思えない。 >佐藤栄作氏の授賞などは、今になっては、むしろ恥ずかしい話になりつつあるわけだが・・ 氏が同賞を受賞した当時中学生であった私には、その受賞理由が理解出来ませんでしたが、今となっては大いなる茶番としか評価のし様がありません。 >彼女は、古い日本の明治維新のヒステリックなまでの列強意識に近似した『自由主義』意識に憑依され、支配されている、と思えてならない。民主主義の弊害について思慮するだけの能力は彼女には見受けられないわけだが・・・ 論点が多少ずれますが、スーチー女史はひょっとしたら、明治維新前夜を象徴する人物の一典型である、吉田松蔭に似ているのかも知れない、ふとそう考えました。 私は日本史上の誰よりも吉田松陰が好きです、但し彼がいったい何をなしたのか、具体的な軌跡を述べよと問われれば、恐らく答えに詰まるはず。 松下村塾という寺子屋に毛が生えた程度の私塾を組織した以外は、殆んど何もしていない、優れた思想家ですらなく、書生のままこの世を終えたという他ない。 但し彼には強烈な発信力があり、彼が放ったパルサーに帯電されたその門弟達に依り、明治維新が主導された為、日本史上に燦然と輝くBIG NAMEと成り得ましたが、スーチー女史も恐らく実務の才能は無いでしょう、或いは中身すら無い全くの空虚かも知れない。 ただ、吉田松陰の屍を乗り越えて次代の政治家とテクノクラートが輩出した如く、願わくば彼女の出現を契機として、ミャンマーの将来に必用な人材が輩出する事を望みます。 >もっとも問題なのは、押しつけ型の民主主義と批判するような日本の保守系ですら、彼女を支援している現況にある。 >歴史的には、むしろ彼女は抗日運動家の末裔であるのだから、嫌悪感を抱くのが道理であり普通なのだが 世論に阿った結果なのか?、或いはミャンマーの国家的ポテンシャルに思いを馳せた、単なる先物買いなのか?、尚私個人としては、彼女の御尊父アウンサン将軍が有した、ある種のマキャベリズムを好もしく思います。 >その官僚先生体制が、中央集権であるべきか?地方分権であるべきか?という権利主体の違いについては、小生は、”地方分権であるべきだった”とは思う 本件に就いての答えが、私の中にはありませんので悪しからず。 >簡単にいえば、諸外国依存の社会になってしまい、支援する国の支援次第というお粗末な社会になるように思うが、潜在力があるだけに、そうなってほしくない 現状最も危惧されるシナリオであると思われますが、現テインセイン政権はそれなりに国際政治力学を心得ている由、むしろスーチー女史或いはその後継者が政権の座に就いた際、その危険性が高まる気がしますね。 仰る通りミャンマーの国家的ポテンシャルは確かに評価出来る、これからが正念場であるのでしょう。 >質問者の視座が小生からすれば、大変優れているとは思うが、まぁ、おそらく支持者は少ないだろう 個人的見解を全ての方々と共有しようとは思いません、但し私に類似した評価を御持ちの方は少なくないと思われるのですが。