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コミュニケーション能力重視社会
日本は数十年前に比べ、コミュニケーション能力が一番重要!みたいに謳われています。 コミュニケーション能力の範囲がやや曖昧ですけど、内向的な人や発達障害のある人は劣等種のように認定されて、とても生き辛い社会かと思うのですが、努力でコミュニケーション能力ありとなってる人も、ギスギスというか"人間はこうあるべき"の圧迫感感じませんか? コミュニケーション能力を声高に追求した社会って、果たして皆が生き易いのでしょうか?
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世の中が便利になっていろんなことがコンピュータやらなにやらで簡単にやれるような時代になったので、人間じゃないと勤まらない能力が重視されてきたってことなんでしょうかね。 一昔前なら経理の能力なんてのもニーズがありましたが、今はそんなのエクセルで簡単に済ませられるようになりましたからね。 個人的には、コミュニケーション能力なんて人間の持つ能力のひとつにすぎないと思いますけどね。特に若い人たちの「コミュニケーション至上主義」みたいなのを見ると考えすぎだなあと思います。 ただ、その反面子供社会(中高生も含む)がコミュニケーションをとらなくても成立してしまっているところにも危惧は感じます。私が子供や中高生の頃は「不登校」なんて選択はなかったので頑張って学校に友達を作らないとやっていけない部分があって、内向的な子でも数人の友達はいたもので「友達がひとりもいない」なんて、変わったキャラクターの子でもまずいなかったのですが、今は「友達がひとりもいません」なんて子はそんなに珍しくもないですよね。まして中退したような子だとね。
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- onbase koubou(@onbase)
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そもそも人間社会は他者との高度なコミュニケーションを行うことで発展してきたのです。 ネアンデルタール人が絶滅した原因の一つに「複雑な音声が発生できないためコミュニケーションが十分取れず、狩猟などの効率が悪かった」という説があるくらいです。 社会が豊かになって「他者のと関わらなくても生活できるようなった」ということだと思います。
お礼
ありがとうございます。 ネアンデルタール人は屈強な身体の持ち主だったのに、発声が我々祖先より劣ってたので滅びた説があるのですか。初耳でした。 社会が物質的に豊かになるとコミュニケーションが下手になる。 確かに、発展途上国の方がリアルな人間関係が密そうですね。
- kanakyu-
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世界が、せまくなりましたからね。 道路が混んでいれば、運転技術が必要なのと同じですね。 今は、携帯やらメールやらで、いつでも話したい相手とつながれる。 ネットワークが密になったという気もします。 >人間はこうあるべき"の圧迫感感じませんか? 都会に住んでます? 田舎の方なら、まだそこまでじゃないと思います。 もっと昔は、都会はカッコイイ、田舎はださい、という風潮が、いまは逆です。 コミュ障の人だけでなく、多くの人が過密すぎる人間関係などに疲れていると思います。 時代の風潮というのは、今だけでなく、いつでもありますよね。 はやり廃りみたいなもので。 「時代のニーズにたまたま合致した人は生きやすい」それは今も昔も変わらないと思います。 >コミュニケーション能力を声高に追求した社会って、果たして皆が生き易いのでしょうか? それで、優劣の差別をつけて、コミュ障の人を見下す必要はないと思います。 声高に追求しようがしまいが、人はくっつきたい人とくっつくだけですから。 たとえば年収の高い人だって、年収の低い人を見下す必要は全くないでしょう? その人にお金をあげているわけでもなんでもありませんから。大事なのは幸せです。 以前は、たとえば自閉症やアスペルガーの人は、結婚できない、といわれていたそうです。 でも今は、結婚している人がけっこういます。 わたしはそれは、相手がコミュニケーション能力のとても高い人だからだと思いました。 会話のキャッチボールはうまく成立してないけど、相手の分まで走ってボールをとりにいくような人です。 正直、ご苦労されているようで、みていてお気の毒という気持ちもあるのですが・・ そういう、人並み以上に相手を思いやれる人も、昔よりずっと増えていると思います。 社会全体のコミュニケーション能力の平均があがること自体は、悪いことではないと思いますよ。 そのおかげで、コミュ障の人にもたくさん恩恵があったはずです。
お礼
ありがとうございます。 時代により、良しとされる価値観は様々ですね。 社会全体の、スタンダード以外への容認スキルが高まれば、ギスギスしないでしょうね。
- IDii24
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内向的な人は内向的な人なりの仕事があると思いますし、障害者が健常者と同じコミュニュケーションをする必要は無いでしょう。 生きづらいと感じるのは「個」を持たないからだと思うわけです。日本人は主張もしない代わりに「個」も持たない。これが間違いで、「個」を持っていれば主張する必要もないし、無理にコミュニュケーションで合わせる必要も無いのです。「個」は絶対的なものであり「我」ではありません。「個」そのものがコミュニュケーション手段だと思います。
お礼
ありがとうございます。 "個"を持つとは自分は自分、人は人という捉え方でOKですか?
お礼
ありがとうございます。 確かに現代は、コンピューターに仕事を奪われて、求められる人材の幅が狭くなってますね。 メディア等で目にするコミュニケーション能力の意味って、上から扱う側の視点というか、妙に軽薄さや偏向を感じてしまいます。