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コミュニケーション能力のでたらめさ
コミュニケーション能力という造語が昨今流行っております この語の意味は語る人によって様々で、その様々を見た印象としましては 群盲象を評すのあり様で、言ってることがてんでバラバラ、支離滅裂であります そんな支離滅裂の中である程度はっきりしているのがコミュニケーションの意味です それは生身の人間のやりとりであり、会話術や身の振り方のようなことで、コミュニケーション論を 語る方々は概ねこのような意味でコミュニケーションを捉えているようです ところで、コミュニケーションをcommunicationだと思ってる方が多いと思いますが 実は違うのです 英和辞典で調べますとcommunicationは伝達,報道(すること)とあります マスコミュニケーションのコミュニケーションのことなんですね communicationではなくコミュニケーションの方の意味では 英語で言えばconversationやnegotiationの意味が近いです つまりコミュニケーション能力のみならず、コミュニケーションという語すらも造語というわけです コミュニケーションにまつわる語たちがまるでコミュニケーションを拒否してるが如く それらは支離滅裂で、またはあやふやなイメージで語られています こういった妄言が社会において平然と語られる現状はなんなのでしょうか? 白痴が会話の中で闊歩しているようで聞いていて不快に感じます
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- localtombi
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仰っていることは、例えば“携帯”という言葉はもはや携帯電話の意味であるように言われてますが、本来は“携行する”という意味であって、前者のようにとらえるのは妄言である・・・と言っているのと同義です。 本来とは違った意味で一般社会に浸透して、誰もが違和感なく使っていれば、それは支離滅裂でも妄言でもありません。 “誰もが違和感なく”というのが大事です。 コミュニケーションという言葉を使う時、仰るような違和感を覚える人は果たしてどれだけいるでしょうか? 白痴の対象が違うような気がします。
- eroero4649
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うーん、どうでしょ。conversationは「会話」のほうがニュアンスとして適していると思いますし、negotiationは「交渉」がピッタリです。「上司とコミュニケーションした」といえば通じ合っているイメージですが、「上司とネゴシエーションした」となると条件闘争をしている感じとなります。 日本でカタカナ語として使われているコミュニケーションは、確かにcommunicationとは多少ニュアンスは違うでしょうが、漢字で適当な訳語がないのですから仕方がありません。日本語で適当な訳語がないカタカナ語なんていっぱいあります。例えば「スポーツ」なんてそうですよね。運動や体育はexerciseというべきです。英語では当然単数で使う場合はsportとなりますが、カタカナ語として使われる際は常にスポー「ツ」と複数形ですから、ヒットエンドランと同じような和製英語と考えるべきでしょうね。 きちんとした定義づけができないからデタラメなのだというのであれば、「愛ってなんですか?」と聞けば、道行く人から大学教授に至るまで百人百様の答えが返ってきてとても統一した見解さえ出すこともできないでしょう。「男女の間の・・・」なんていっても「じゃあ同性愛は愛じゃないのか」なんてなりますからね。 では、愛はデタラメなのか?その答えは・・・
- kingyo_tyuuihou
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>現状はなんなのでしょうか? 実はこうなの。なんて 知ったかぶりは恥ずかしい。。 和製英語も世間一般に浸透すれば それはそれ。 日本語の歴史は実は常にそれであり、 年月とともに流動している。ということです。
- kaxuma119
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asisai888さんの調べ方が悪いのと思い込んでいるだけの話です。 "comunication ability"もしくは"comunication skill"で、言語を英語に指定してググれば3000万件以上ヒットします。内容がある程度以上のレベルにあるものを保証できる.eduドメイン(米国教育省公認の認定機関から認可された教育機関)だけに絞っても700万件以上あります。英語としては普通の用語です。 "comunication ability""comunication skill"を「コミュニケーション能力」「コミュニケーション技術」と訳すことは、まったく妥当な話でしょう。 さて、問題は意味するところです。asisai888さんは「communicationは伝達,報道すること」と記していますが、古い研究社の英和辞典の第一項の訳ですね。受験英語です。オンラインのCambiridgeDicをみると、the act of communicating with other people とあり、"communicate"は、to talk or write to someone in order to share information with themとあります。英語圏においてcommunicationとは「他の人と情報を分かちあうために言語や文書や他の手段を用いること」なんですよ。伝達,報道はcommunicationという言葉が意味するものの一部にすぎません。 そうなるとcomunication abilityとは、他の人と情報を分かちあうために言語や文書や他の手段を用いる能力というわけで、今、巷で用いられている用法で大外れということはないです。
お礼
回答ありがとうございます >今、巷で用いられている用法で大外れということはないです 巷で用いられてる用法で大外れですよ あなたの解釈したcommunication abilityですと、私は携帯を持ってるので コミュニケーション能力があると言えてしまう つまり携帯を持ってない人よりも持っている人の方がコミュニケーション能力が高い 無線通信でもいいです、無線通信のできる人はできない人よりもコミュニケーション能力が高いと言えます しかし巷で言う用法では無線通信ができてもコミュニケーション能力が高いとはみなされません 人との接し方だとか、相手にどんな印象を与えるかだとか、ハッキリとしませんが そういう印象論が中心となるためです そのためcommunication abilityをコミュニケーション能力と訳すこと自体が間違ってますよ
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
申し訳ありません。 コミュニケーションの定義を何として、または妄言をご質問中のどの英単語として語ることが、現状打破のために有効であるだろう、という論点でしょうか。 私自身がコミュニケーション能力が足りない痴れ者であるせいか、ご質問の論点を外しては申し訳ないと思い、確認させていただきたく、ご教示お願いいたします。
お礼
回答ありがとうございます なぜ痴れ者が平然と一流企業から一般家庭までを自由に闊歩しているのか? 世の中の人は盲ばかりでこの痴れ者が見えないのだろうかと不思議なのです
- IDii24
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外資に近いところで働いていますが、海外の求人や社内募集でもちゃんとスキルの欄にコミュニュケーション能力がエクセレントな人ということが書かれています。つまり造語ではありません。 曖昧といいますが、そもそも仕事や人間のつながりというのは曖昧であり、それ以上の表現は出来ませんね。 ご夫婦になぜ結婚したのかって聞くと、よくわからない人のほうが多いし、数値化出来るものではありません。タレントの好感度も数値で能力が表せるものではありません。 人に対して好印象や任せられると感じる感覚というのは曖昧です。例えば仕事を任せる達成させるには、多少嫌いな人格でも確実に出来る人を選ぶかもしれません。それは出来るというより出来そうということです。 人柄は好きだけどどうも任せられない人もいます。そういうものを全部ひっくるめてコミュニュケーション能力なのです。バックボーンには学歴や職歴が入ることもあり。要するに全部ではないけど「大多数」の人と意思疎通が出来る人ということになります。
お礼
回答ありがとうございます そういうものを全部ひっくるめたコミュニケーション能力の意味は cummunication abilityと等しいとは思えません つまりcommunication abilityの訳語としては不適切で コミュニケーション能力というcommunication abilityを模した造語と言う方が相応しいと私は考えます
お礼
回答ありがとうございます 浸透すればの話ですね 曖昧模糊としたものとして受け入れられている現状を見れば とてもじゃないですけど浸透しているなどとは言えません コミュニケーション能力と意味は知らずに発することが流行してるだけでしょう