宗教学の専門家とは言われていますが
アショカ王碑文文書の専門家であって仏教学の専門家ではありません。
当然ヒンズー教の観点から仏教の叙述をしており、
「王様崇拝ならアショカ王を崇拝するべきだろ」という階級論にすぎません。
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(つまり王制の権威づけとして伝説・自然信仰を利用したという説です。
ミュケーネ文明と比較するとわかりますが、王が座した広間では王権的崇拝のほうが強いです。
比較としてはミュケーネでは王以外の「共通信仰対象」が王室内に祭られています。
仏教・他信仰流派とのブレンド関連でいえば、
模索して徐々にというものでもなく
碑文を比較対象しても 「信仰の転向」は、はっきりしてますし、
仏教的様式がすでにその当時確立していたと とるほうが自然です。
「信仰流派の転向」自体は、碑文のスタイルから はっきりトレースできます。
基本は王様の個人崇拝を巡るコンステレーションの問題と解釈するのが妥当であり、それ以外はあり得ないようです。)
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「ブッダ=王様」の宗教は信じない とかとも似た仲間ですね。
つまりスタイル的には、王様階級の宗教的解釈に執着する「ヒンズー的」仏教批判のひねり技ということです。
いささか時代遅れの感もあります。
ttp://archive.org/details/lescastesdansli00senagoog
ttp://195.220.134.232/numerisation/tires-a-part-www-nb/0000000394802.pdf
原書を参照してご検討ください。
お礼
再び回答ありがとうございます。 これを機会にアショカ王の碑文にも がんばって取り組んでみようと思います。