- ベストアンサー
努力しても報われない社会って本当?
以前ある調査で、努力して報われる社会か?を社会人にたいしてアンケートしたところ、 20%近くはそうである、50%近くがそうではないという結果が出ていたことに少し驚きました。これに関し実際現場において具体的にどのようなのことが起っているのか と言うことを是非色々な人にお聞きしたいです。 解決方法や、こうなった背景、今後の展望なども良かったら聞かせてください。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「努力して報われる社会」とは裏返せば「努力しないと堕ちる社会」って事ですよね。 多くの人は多かれ少なかれ怠惰な部分を持っていて、「出来れば楽をしたい」というのが人情だと思います。 ある社会で一旦実権を握ってしまうと「楽をしようと思えば、それが出来てしまう」場合があります。上の立場から、下の実力者を封印してしまうことで自分の地位を“楽に”維持できるのでしょう。 こういう社会構造が形成されてしまうと、いわゆる「努力しても報われない社会」になってしまうんでしょうね。 また年齢、性別、肌の色、出身等々のため「同じだけ努力をしても報われる量がちがう」と言う場合もあります。 こちらに関しては出来るだけ公平な社会が望ましいと思われます。 世界を単位としてみた場合、最近はかなり「努力が認められる社会」も増えていると思います。ただ一部の小単位の社会では完全に「努力を認めてもらえる社会」になっているとは言い切れないところもあると思います。古い伝統的な社会などではなお多々「努力が報われない社会」を見受けます。 *ここからは私の個人的価値観が強い内容です。 「努力が報われる社会」は強者の望み。 「努力が報われない社会」は弱者の望み。 みんな自分は幸せに生きたいと思うのは当たり前のことです。 例えば、若くて健康なうちは頑張って人より優れたいと精進するのもいいでしょう。ただ、そういう弱肉強食な力関係の渦の中に一生居たいと思うでしょうか。 上記それぞれに必要な要素があり、いずれかが「悪」とは安易に言い難いものがあると思います。強者が弱者への配慮といたわりを持ってはじめて「努力を報う」べきと考えます。 スポーツやゲームなど、区切られた枠内の人間同士が戦う場と「社会」という老若男女が混在する場ではルールや倫理にも差が出てくるでしょう。
その他の回答 (11)
- bazarakm
- ベストアンサー率46% (65/141)
自分が「どんな報われ方をしたいか」それを決めることが先決でしょう。報われ方を目標にして努力されることです。希望する報われ方により努力の方向が決まります。 自身の希望する報われ方を速く見つけそのために、どんな努力が必要かを学び目的に向かって進めば可能だと思います。 但し,分相応と言う秤も必要と思います。
- Pinga
- ベストアンサー率39% (331/835)
「努力して報われた人」よりも「努力してないのに報われてる人」のほうが目立つから、そのようなアンケート結果になったのでは・・・? 例えば二世議員とか七光りの芸能人とか大金持ちの家の子供とか。 また、本当に努力した人こそ、他人にその道のりや苦労をひけらかしたりはしないものです。だからその人の努力は他人からは見えないところに隠れてしまいがちです。 一方「おれはこんなに努力したからビッグになったんだ」みたいなことを言う人に限って、周りから見るとたいしたことないので「たいした努力もしてないくせに・・・」と思われるのでしょう。
- ten-ten
- ベストアンサー率0% (0/1)
先日あるセミナーに参加したところ、講師の方がおっしゃってたことは「努力しても報われない。報われるものは人の縁だけ」。 私は1年ほど前にある出版社を辞めました。ずっと編集記者として働いて、発行していた週刊紙の内容充実、質の向上、もっといい情報を読者へ!という想いで数年、働いていました。校了日が毎週月曜日だったので、土日は落ち着かないものでした。たった4人の編集部だったので、どうやりくりしても休日を1週間以上取ることは無理でした。日中は取材や調べ物、アポ取りやネタ探しで社を空けることがほとんど。記事を書いたり整理したりの作業はその後。毎週のことをやりながら、先々の展開も同時に考えていないといけない毎日を送っていました。体力も、精神力もタフでないとかなり辛い作業でしたが、何よりも読者からの喜びの声やお便り、取材先で出会う人々との交流、広告を出すクライアントからの評判も上々、そうしたことがやりがいとして、支えてくれていました。 しかし、会社の評価は違いました。「社にいなければ、何をしているのかしれん。一体、君たち編集が会社の為に何をしてくれたのか」。今でも疑問です。 それからほどなくして会社を辞め、数年間の疲労がたまった体を休めつつ、フリーでやろうと決めたとき、取材先で出会った人々や、クライアントだった人々から声をかけていただき、新しく始めることができました。 努力しても報われない。正当に評価されているかどうかを知ることはとても難しいのだと思います。こうした支えてくれる人の縁を築くのも、それは努力だと思います。
お礼
ありがとうございます。 個人的に予想していた回答としては、努力より上司に好かれることの方が重要だと言った回答を期待していたわけですが,ten-tenさん回答はおそらくそういったケースにあたるのではないでしょうか?(もし違っていたらすいません。) ten-tenさんの回りで、会社のなかで高く評価されていった人々というのはどのような人たちでしょうか? また、どのくらい評価が違うのでしょうか。 また、本文を読んでいて、ten-tenさんは十分会社のために働いたのでは?と思うのですが、会社の人々は ten-tenさんのどこが不満だったのでしょうか。 もしよろしかったらお返事下さい。
努力しても報われない社会って本当? 質問内容 : 以前ある調査で、努力して報われる社会か?を社会人にたいしてアンケートしたところ、 20%近くはそうである、50%近くがそうではないという結果が出ていたことに少し驚きました。これに関し実際現場において具体的にどのようなのことが起っているのか と言うことを是非色々な人にお聞きしたいです。 解決方法や、こうなった背景、今後の展望なども良かったら聞かせてください。 これは大変難しいようで簡単です。しかし全ての人が受け入れることは不可能です。 クラス30人のクラスがあったとします。そのクラスで実力試験をすればはっきりと順位がでます。1番がいれば30番がいると言うことです。ビリにいる人はどれだけ努力しても1番は夢の話でまず無理です。社会も同じことが言えると思います。否それ以上に人間関係や職場によってそれ以上無理です。現職のに国会議員を見て下さい。特に当選率の高い2世議員は親の七光りです。目標を高く持てば持つほど狭き門となります。全ての人は上を望み行き詰まるっているからです。そして強い者だけが、適用できた者だけが生き残る世の中という思想(進化論)があるからです。と言うことは、誰も心から助け合うことがない。つまり自分が1番可愛いからです。そして多くの人は失望して疲れ、子供の頃に抱いた夢を捨て、現実今を楽しく愉快に過ごそうという考えになり、人間社会が堕落して乱れるのです。現にその兆候が来ていると思います。 対策解決法:人類は破滅に向かいます(近い将来)人類社会よりもまずあなた自身の破滅、救いについて考えなければなりません。まず先ほどにあげた進化論の思想の間違いを認めなければなりません。(そして強い者だけが、適用できた者だけが生き残る世の中という思想) 初代の進化論は、ヨーロッパの産業革命の時に、人を人として認めない人たち(奴隷商人や一部の金持ち)に好都合な考えとして、受け入れられ引き継がれました。奴隷は人間ではない。人間の顔をした進化しきれなかった動物である。このように多くの奴隷の犠牲の上に産業革命は躍進したのです。第二次世界大戦ヒットラーによて受け継がれユダヤ人6000万人の犠牲者を生むことになってしまったのです。ヒットラーは純粋に進化論を実行しました。進化論を信じているならば誰もヒットラーを非難できないのです。 詳しく公開しています。http://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_ /
社会に対して、努力が報われるか?否か?は、その状況に如何に対応できるかだと思います。 努力も大切ですが、その場その時を見極める目が大切なんじゃないですか?!(それに対しても努力が必要でしょうが)後、如何に、いい友人に出会えるか、その人たちといい関係が保てるか、それによっては人生自体が報われると思います。(それにも、努力が必要でしょう) 努力は、報われるもんじゃなくて、楽しい人生に対しての投資と考えて、大なり小なりの返金(幸せ)が帰ってくる物ぐらいに思っていたほうがいいかも。。。
- aam03900
- ベストアンサー率0% (0/1)
努力しないと報われないことは間違いないです。 人の能力掛ける努力だとおもいます。 人それぞれ得手不得手があり個人差がありますが、例えば絵を描くのが得意で上手な人(A)の能力を10として苦手な人(B)の能力を5とすると100の絵を描くのに(A)は10の努力をしなければ描けませんし、(B)は20の努力をしなければ描けません。 もとの能力によって努力の度合いが違うだけで追いつくとは思いますが残念ながら能力は遺伝や子供の頃に決まると思うし、適齢期や寿命に間に合わない場合が多いです。 しかし自分に無い部分は友人や仲間を作って補え合えば解決できるはずです。
努力が報われるかどうかは、はっきり言って努力の種類にもよります。 ですが、ごくごく一般的な努力であれば、特に家庭の事情などはっきりした理由がない限り、報われないのであればそれは努力不足です。はっきり言って。なぜなら努力とは、がむしゃらに突き進むことではなく、どうすればいいか頭を使って時には寄り道もして、確実にその願いが叶うように策略を練ることだからです。 たとえば、大工さんになりたい、パイロットになりたい、といった仕事に関する努力は絶対に報われます。ただし、たかだか10年20年であきらめるような人はまず報われません。 ただし、「徳川の埋蔵金が欲しい」といった努力は絶対に報われません(笑) それがもし報われたら……俺、お金借りに行きます(笑)
- fujinoki
- ベストアンサー率25% (29/115)
ほかの倍働く時計の話 ある時計が、「俺は、ほかの奴らの倍働いてやるゼ!」といいました。 人の倍働く。これはすごい努力ですよね。 そして、その時計は、まさしくほかの時計の二倍働いたのですが、捨てられてしまいました。なぜでしょう? よく、「私はこんなに努力してるのに!」的な愚痴を聞くことがありますが、たいてい(全てとは言いません)の場合、私から見ると、「だって、あさっての方向に向かって努力してるもん」と思うのです。 小難しく言うと、努力のベクトルというのは力の強さよりも、方向が重要なんじゃないのってこと。 以上がfujinokiのアドバイスです。
- 参考URL:
- なぜ捨てられたかわからなかったら補足してください。
お礼
ありがとうございます。たしかに努力の方法というのは重要ですね。
- YUZURU
- ベストアンサー率25% (37/146)
観点の問題のように思います。自分自身から見れば、努力した(ないしサボった)なりの成果を得ているのではないでしょうか、ただ、他人を基準にすると、自分より努力していない人が評価されたりしているように感じている人が、多いのではないでしょうか、誰もが自分に甘く、他人に厳しいので、自分が不利益を被っているように感じているのではないでしょうか?解決策はないと思います、こうなった背景もなにも、大昔から変わらないのではないでしょうか、たぶん、平安時代の人にアンケートを取ってもほぼ同じ結果がでたのではないでしょうか、今後のあ・な・た・の展望は、他人なんか気にしないで、自分なりの努力を続ける、そうすれは、20%報われていると思う人になれますし、他人を基準にして自分の努力不足を棚に上げて、飲み屋で愚痴をこぼしていれば、50%の報われないと思う人になるでしょう。
- PapaSan
- ベストアンサー率42% (6/14)
「mineokunさん」とは反対に、基本的には、報われない社会だと思っています。確かに、「mineokunさん」の仰るように、ポイントのずれた努力や、タイミングのずれた努力という見方もありますでしょう。でも、一般に言われることは、個人のことではなく人々がどう感じているのかと言うことだと思います。 では、何故、一般的に「報われない」と感じているのかを考えてみると、主に政治の部分でしょう。長年積み立てておいた年金が、今の40-50代の人たちは、まともに受け取れるのかも判らない状況ですし、社会サービスの室は年々劣るのに、医療費の値上げ(お年寄りや、障害者にはきついですよ)、公共料金の値上げ、税金の実質的アップ、スタートしたばかりですが、介護保険の導入によって、其れまで受けられたサービスが無くなる、長年働いてきたお年寄りが、お年寄りと言うことでアパートの入居を断られる社会(実際にあります)、・・・数え上げれば色々あります。 皆さん、視点をお年寄り・障害者において、世の中を見てください。きっと、暮らしにくい世の中が見えてきますよ。
- 1
- 2
お礼
ありがとうございました。 basil様にうまく まとめていただいたと言う感じです。