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祭礼について
地域のお祭りに大人の獅子舞、子供神輿が各家庭に回って来ますが、 母が亡くなり10ヵ月過ぎましたが、獅子舞、神輿にご祝儀また神社にお参りしてもいいでしょうか? 一周忌が終わるまで控えるべきでしょうか、まよっています。 こんな時、どうされましたかお聞きしたいです。
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私たちは間違った常識の中で生活しています。それが人とのつながりの中で摩擦を生じてしまうのです。 無用な摩擦を生じないために間違った常識を受け入れてしまうべきか、否かは個人の判断です。 【回答】基本的に獅子舞・神輿・奉納・参拝のいずれも構いません。 摩擦を生じないためには神輿担ぎや山車に乗る、引くのだけは控えてはいかがでしょう。 或いは事前に神社でお祓いを受けておけば全てOKです。この場合の“祓え”は事前に申し出て初穂料を捧げて受けるものです。昇殿してもしなくても構いません。 1)正しい事実に基づいた説明は以下の通りです。 世俗のことに関与してはならない期間は50日間です。それ以降は普通どおりに生活されて構いません。 祭りは神道行事です。神道における忌中は50日(仏教は49日)ですので50日を過ぎれば忌明けとなります。 【解説】 忌中とは一般的には穢れの期間だと考えられていますがそれは間違いです。「忌」というのは「神仏の間近にある」と言う意味です。 近年でも祭りの直前から小屋に籠もり、俗世を断ち切って精進潔斎する風習が残っていますけど、これと同じく『俗世を離れて精進潔斎して故人のために神仏に祈る期間』なのです。穢れではありません。 穢れると言うのはイザナギ神話に基づいていますが、実はこれが大間違いのもと。イザナギはイザナミが死んだから穢れたとは一言も言っていないし、ましてやホノカグツチを切り殺していますがこれについても何も申していません。つまり死=穢れなどと言う思想はないのです。 ではなぜイザナギは穢れたのか・・それは“イザナミとの約束を破り”、“生きている者が”黄泉の世界に脚を踏み入れたからです。 イザナギはそれ以前にイザナミを弔っていますが、その際に穢れたなどとは申していません。つまり亡くなったからと言って穢れているなとど言うことはないのです。 死=穢れを匂わせる場面は天若日子の弔いに来たタカヒコネがワカヒコと間違われたのに怒って「穢れた死人と一緒にするな」といったことのみです。つまり死者は黄泉の世界に旅立っていて穢れの世界にいますが家族は穢れているとは言っていません。 喪中とは何か、服忌令とは・・ 現在では喪の期間はありません。喪とは悲しみに打ちひしがれて社会生活もままならぬ期間を言います。 悲しみに打ちひしがれているのですから『祝い事としてはならないのではなく、“祝う気になれない”』と言うことです。つまり世俗のことをしたくなった段階で喪明けとなります。つまり人によって異なる。だから近代の忌引き規定には喪の条項がないのです。 ではなぜ服忌令で喪の期間が定められているのか 貴族社会では宮中はまさに権力抗争の戦場でした。それは天皇までも巻き込んでいたのです。 そのため、経験争いに科かありたくない者は誰かが死ぬと忌中だから喪中だからと、誰も死ななければ「方位が悪い」といって出仕をサボっていたのです。中には二年も三年も出てこない者までいたようです。 それでは公務が滞ってしまいます。国が動きません。そこで服忌令を定めたのです。つまり服忌令とは『“してはならない期間”ではなく“この期間を過ぎたら出仕するように”』と言う定めなのです。ですから明治の服忌令にも“服忌の期間でも水垢離(禊)したり祓えを受ければ出仕してよい”と言うことが書かれています。また神社本庁のサイトや冊子にも「忌中であってもやむをえない場合は祓えを受ければ善い]という但し書きがあります。 つまりイザナギの例に従い何かあったら祓えを受ければ全てリセットされるのです。 なぜ喪中1年などとなったのか・・。 これは良くわかりませんが調べた人のサイトによると 第二次大戦中、人々は共同作業を強いられていました。そこで「身内が死んだから喪中」といって一年間共同作業をサボる人が出てきました。当時は空襲や栄養不足で多くの人が亡くなりましたから理由はいくらでもついたはずです。つまりここでも喪中は言い訳の材料にされたわけですね。 ちなみに1年喪の根拠として皇室典範を持ち出す人がいますけど、日本や中国では古来よりお上に遠慮して規模を縮小するのが倣い。中国では皇帝の文字を使わず略字にしたほど厳しいものです。ですから天皇家の喪が1年であれば庶民は短くするのが当たりまえ。まして皇族は短いのに庶民が1年は道理が成りません。 それに天皇崩御に伴う喪中1年でも義務は50日であとは「公務に支障ない範囲で」となります。つまり休日を合計して1年であればよいと言うことです。 ※我が家の場合 既に子供たちも成人して親元を離れていました。 それまで神輿の休憩所として提供していましたが、町内会の業務に積極性が見られず、ちょっと憤りを感じてもいました。 そこで、実は私も先人に倣い、既に忌明けをしていましたが、義父の喪中という言い訳で参加を断り、そのときから隣町の休憩所を借りる算段が出来たことで我が家を提供せずに済むように成りました。 それでも前年の祭礼の後に亡くなったので神社への参拝と奉納は通常通り行いました。
お礼
とっても詳しい回答を頂き有難うございました。 50日を過ぎれば通常通りしてもいいですね。