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芦部信喜のどこがすごいのですか。

..故人を叩くのって好きではないのですけれども、どうしても疑問に思っていた質問をします。 僕は、憲法学会で神のようにあがめられている芦辺教授のどこがすごいのかよくわからないんですよ。 私は、一応法律を一角に勉強しているつもりなので、民法の我妻先生や、刑法、刑事訴訟法の団藤先生がすごいのはわかりますよ。この人達の説は、初学生の私から見ても解りやすいし、論理一貫していて、今も通じる説が多いですよね。でも、この人だけは、教科書はわかりにくいし、納得いかない部分も多くあるわけでして、何故この人がすごいといわれているのか正直わからない部分があります。この人のすごさってなんですか。

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  • _julius
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回答No.2

No.1です。 あァ,要するに初学者(学部生クラス)なんですね。 芦部先生は宮沢俊義先生に師事し,基本線ではその学説を承継した人物です。 ただ,それまでの戦前的通説である宮沢先生の学説は,違憲性審査基準というのを持たなかったんです。 要するに,当時,どういう場合が合憲でどういう場合が違憲なのか,それを判断する一般基準というものは存在しなかった。 ただただ,個々の事案ごとに,妥当性・合理性の観点から下される結論(判例)が積み上がっていく。 後発事例は先発事例の中から類似のものを探して判決を予測するしか無い,という状態でした。 そうすると,新規の(先例を持たない)後発事例では,判決を予測することが出来ず,結果,認められるか認められないかは(言い過ぎかもしれませんが)運次第みたいなとこがありました。 これに対し,「違憲・合憲の境界は一般的基準でもって峻別できる!」と違憲性審査基準を提唱したのが,芦部先生です。 違憲性審査基準として目的・手段の審査を導入し,さらには被制約利益が経済的自由か精神的自由かで基準の厳格度が変わることを提唱しました(いわゆる「二重の基準論」)。 今日の憲法学では,目的・手段審査を軸として,被侵害利益・侵害態様ごとに厳格度の異なる審査基準で違憲性を審査します。 そもそも,この,違憲性について「基準をたてて,それにしたがって判断する」という枠を作り上げたのが芦部先生なんです。 つまり,今皆が当たり前にやっていること,それらは全部芦部先生が作った枠の中だということです(最近の三段階審査論は違いますが)。 この辺りのことは,実は民法の我妻先生でも刑法の団藤先生でも変わりません。 個々の論点ごとの学説は,もはや今日通用するものではありませんが,それらの論点の枠を作ったというところが,凄いところなんです。 例えば,団藤先生で言えば,日本の行為無価値論の大家です。 行為無価値論という太い幹を日本に導入したことが凄いのであって,個々の論点で「社会的相当性」を持ち出すメルクマールは今日あまり支持されていません。

manoppai
質問者

お礼

なるほど。芦部先生以前には、「違憲審査基準」というものがなく、ただいきあたりばったりだったということだったんですね。すごさが伝わらないのは、「違憲審査基準」が今では空気のように当たり前になっているから、今の私には逆にこの人のすごさが伝わってこないということだったのですね。詳細なご説明感謝します。

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  • _julius
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回答No.1

>法律を一角に勉強している ということは,最低でも博士課程クラスでしょうか(釈迦に説法かもしれませんが,「一角」は「一際優れている」という意味です)? それならば,芦辺先生の学説,というか理論体型について, まさか岩波書店の『憲法』しか読んだことが無い(あれは基本書の形式ですが,内容は入門書です),という馬鹿な話ではないですよね? もちろん,有斐閣から出ている『憲法学I~III』もご熟読のことと思います。 その上で,芦辺先生が「違憲審査基準論」を提唱した当時,「憲法訴訟論」という形での議論が(はっきりとは)存在していなかったことも踏まえて,当時の学説状況を精査した上で,具体的にどこが分からない・納得いかないのかを具体的に指摘して頂ければ,何か解答が出来ることがあるかもしれません。

manoppai
質問者

お礼

ありがとうございます。言葉には気をつけたいと思います。芦部先生の教科書は一冊本のやつなら熟読しましたが、ただただわかりにくい本で正直読むのが苦痛でした。我妻の本と比べると論理的な物にも感じません。どこがすごかったのですか。

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