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日本語訳を教えてください
- 英文の日本語訳を教えてください。
- ある男性が外務省にビザ発行の許可を求めましたが、拒否されました。
- 最終的に彼は2,139枚のビザを発行し、6,000人以上の命を救いました。
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☆タイピングをもう少し丁寧にしてもらえるとありがたいです。 <訳例> その翌日、さらに多くの人々が、彼の家のまわりにいました。 彼は、外務省に電報を送りました。 彼はビザを交付する許可を求めました、しかし、許可は拒否されました。 彼は再び試みましたが、同じ返事を受け取りました。 10日後に、杉原は彼らを助けることにようやく決心しました。 彼は幸子に、人々にビザを交付することを告げました。 幸子は危険を分かっていましたが、彼の決定に賛成ですと彼に言いました。 「私は、あなたを支えます」と、彼女は言いました。 7月29日に、彼は家の周囲の群衆に告げました。 あなた方全員は、ビザを得られます! 短い沈黙の後、喜びの大きい叫び声が、起こりました。 それからの30日間、杉原は日夜、ビザを書きました。 彼は微笑んで、言いました、「世界は、大きい輪のようのものです。 私たちはみんなつながっています。 私たちは、互いに戦うべきではありません。 私たちは、手を携えるべきです。 お大事に、幸運を祈ります!」 8月27日に、彼は本省から電報を受け取りました。 すぐに領事館を閉め、ベルリンに向かうべし。 9月4日に、杉原と彼の家族は、ベルリン行きの列車に乗りました。 人々のなかには、プラットホームまで彼らの後を追う者もいました。 列車に乗ってからでさえ、彼はビザを書き続けました。 彼は、窓越しにビザを渡しました。 ベルが鳴り、列車は動き始めました。 目に涙をうかべて、杉原は言いました。「私はこれ以上書くことができません。 許してください。 私は、あなた方のご無事を祈ります。」 「ありがとう、杉原さん。我々は、あなたを決して忘れません。」と、彼らの1人は叫びました。 戦争は、1945年に終わりました。 杉原は日本に帰国して、貿易会社員として働き始めました。 何年も後の、1968年8月に、彼はイスラエルの大使館から電話を受けました。 それは、イスラエルの外交官、ニシュリ氏からでした。 ニシュリ氏は杉原に会って、1枚の古い紙片を取り出しました。 それは、杉原のビザでした。 「あなたは私を覚えていないでしょう、しかし、私はあなたをこれまで忘れたことはありませんでした」と、彼は言いました。 杉原は、リトアニアでユダヤ人に2,139枚のビザを交付しました。 彼の行動は、全体で6,000人以上の命を救いました。 <参考> 杉原千畝 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
お礼
すみませんm( __ __ )m 本当に有難うございますm(_ _)m 助かりました