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「絶対時間」って在るのでは?
科学者が作り出した時間の“単位”?は、地球の1回転を二十四に分割し、その内の一つを、一時間と決めましたが、これは「時」を直接測った訳ではなく、物の運動を「時間」に置き換えてみただけ、と言って見たいのですが。 これ迄の科学では、物質の運動、変化、を通して時間と言うものを捉えてきた、と言えるかと思いますが、それとは別に、物質の運動、変化、をも包み込んだ「存在時間」と言うものが在って、それは科学的手段では「精神」が捉えられないように、科学では捉えられない、「絶対時間」とでも言いたい「時の流れ」が存在すると、思えるのですが? こんなことを考えて見た哲学ファンは居ますか。
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- mmky
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yy8yy8azさんご盛況ですね。 まだ受付ということで、mmkyからの追伸まで 前回の回答は少し概念論過ぎましたですかね、もう少し具体的に、最近の物理学の実験はヒッグス場、ヒッグス粒子の存在の証明に近づいていますが、ヒッグス場の内側、外側近傍、外側で時間の流れが同じか、異なるかの問題であるように思います。 内側、外側という表現は観念論ではありますが、内側が3次元重力場、外側は4次元以降という意味です。 絶対時間とは外側近傍、あるいは外側の時間流という概念です。
- SakuraiMisato
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http://www.youtube.com/watch?v=gQ_A-8Zfd80 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93 これでどうでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 これでいいです。 もう、おなかイッパイ! 高円寺哲学道場「時間は存在するか?」(前半)を見ました。 議論がかみ合わないのは、物理的時間と情的時間の混同に、お互いが気づいてないことが原因ですね。 今度の土日が休みなので、そのときにじっくりとご返事を考えてみるつもりですので、よろしくお願いいたします。(2012/8/30 23:58)
補足
高円寺哲学道場「時間は存在するか?」(後半)を見ました。 見ていて、聞いていてイライラするね。 問う人は、物理的時間を情的あるいは感覚的時間に置き換えて解釈しようとしているし、説明者は、物理的時間分の言葉に置き換えて表現できるほどには、考えていないらしく、いわば理解が“中途半端”なので問う人の“捉え方の間違い”を納得いくように説明できないでいる。 歯痒い。(2012/9/1 18:54)
- SakuraiMisato
- ベストアンサー率17% (42/235)
ハードウェアからソフトウェアが解脱…!? http://www.spec-computer.co.jp/news20120828a/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C
お礼
回答ありがとうございます。 「パス」「パス」 でも、カシミール効果にはちょっと興味があります。
補足
解答No.36の補足欄の入力ミスを訂正します。 「物理的時間分」を「物理的時間を自分の」に。
- SakuraiMisato
- ベストアンサー率17% (42/235)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB 機械の振る舞いの様な無心が、果して達成され得ますでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 とりあえず「パス」
- SakuraiMisato
- ベストアンサー率17% (42/235)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%BA%83%E5%9F%9F%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF 広域ブロック? エランビタールの源泉の不在証明は本当に可能なのでしょうか? ( http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card68615.html )
お礼
回答ありがとうございます。 例によって“上”のはパス。 “下”のは・・・ 僕は現代の和製ベルグソンだったか! 木村敏よ、君は“私”が取り上げている“時の流れ”を正しく捉えているのだろうか。疑わざるを得ないよ。 「自分にとっての時の流れ」なんてのは、感覚の世界でしかないのだ。 その事と、物理的な時の流れとを一緒にして論じて欲しくないよ! ベルグソン氏にも修正を要求する。 哲学は・・・・・科学である? いや、違うよ。 哲学は・・・・・理学なのだ。(2012/9/1 18:02)
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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★(No.8お礼欄) ~~~~ 時間というモノは物体の移動、変化という現象を捉えて計測している、と云う処から相対性という条件が不可欠と思いますが、その“相対しない”と云う意味で“絶対”と表現してみました。 例えて、動いている電車に乗っている人は、電車と人とは止まった状態、あるいは時間を計れない=相対ではない、と言った感じです。 でも電車と人は動いています。電車を眺める人は電車の動きは見えてそれは相対しているから。 ~~~~~~~~~ ☆ 詳しい説明が出来ればよいのですが たぶんこのように捉えられる世界について 前回触れましたように ふたつの時間――つまり時間観――があるのだと思います。 ○ 絶対時間:いかなる存在にとってであるにかかわらず 世界に一様に流れていると〔想定して〕測ったばあいの時間 ○ 固有時:絶対時間がいかにあれ 個別の特定の存在にとって・ということは他の存在にとっての時間はどうでもよいと言うほどに自分にとっての時間の流れを それとして捉えようとする時間の感覚 ★ (同上・承前) ~~~~~ 宇宙は一つと思えば、その外側は無く総て宇宙内の出来事。宇宙そのものは相対的存在ではないけれど、存在し続けていてその中で物体は活動している。 ~~~~~~~~ ☆ ここも詳しいことは分かりませんが 素朴に思うことは こうです。 ○ 宇宙の内と外とは どういうことか? なぜなら 内と外とすでに言えるのなら その境界が分かっているということになるのではないかと思うからです。しかも境界が分かったのならば その《外》についても まだはっきりとは知られないとしても すでに或る種の仕方では分かっているとも言えるのではないか? 或る程度においてにせよ分かっているのなら その部分はすでに《内》ではないのか? というような疑問です。 ★(同上・承前) ~~~~ 宇宙内の物体の活動を観測するのが科学、物理学かと思いますが、相対させえない宇宙の「存在時間」は計測できない。捉えられない。でも「存在し続けている」 こんな感じです。(2012/8/25 11:56) ~~~~~~~~~~~ ☆ たぶん ★ 相対させえない宇宙の「存在時間」 ☆ とは《計測できない。捉えられない》というのであれば それは 仮りに言う《外》が やがて分かるようになって《内》に入ったとしても なお《分からない》ところがあるという《存在時間》ではないかと考えます。 だとしたら それは だんだんと未知の部分が分かるようになるという場合とはちがって そうではなく つねに《分かるか分からないかが分からない》場のことだと考えられます。 《内と外》とを超えているという意味です。《捉えられないが 存在しつづけている》場です。 だとしたら それが 語のほんとうの意味での(つまり 人が科学による認識を超えて ただ想定するだけの)《絶対》だと考えられます。つまり 《非経験の場》です。 宇宙についてどれだけのことが分かったとしても《相対させえない》場です。 測りえないが存在しつづけていると想定されうる場です。 おとぎ話のかたちでその例示を じつは 聖書がおこなっているわけです。 十字架上のイエスという存在です。 濡れ衣を着せられて――人間イエスとしては 大声で泣きながらも キリストとしては――しかも その盃を飲んだ。死を死ぬまで はりつけの刑を受け容れた。 その十字の木が 尖った針のごとくにこの世界に立って そこではこの世の因果関係からまったく自由な存在としてのひとがいることとなった。 その尖端の上の存在は――微分をしようにもなすすべがなく―― あたかも善悪の彼岸であるかのごとくであったと。 此れがあるから彼れがあるとも 此れがないから彼れもないとも そういった因縁の関係過程が もはや捉えられない。時間も 捉えられない。 時間が止まったと言うべきか。そこではつねに流れていると見るべきか。その時間はもはや人間には測りえない。けれども なぜだか存続している。かに思う。 といったお化けのお話が じんるい史上にただひとつ 語られるにいたった。 これは 《特異点》というものの見方にたとえられるものと思います。 これが 人間と世界のたましいの話であると思うひとは 受け容れるに到りましょう。 たとえお化けのようなかたちにおいてでも おそらくのちにキリストと呼ばれるようになったイエスという男の十字架上の存在は そこにつねに時間が流れ 流れ止まないということなのだと思います。 諸行無常を打ち破りました。という錯覚をあたえられてしまったわれわれにんげん。
お礼
回答ありがとうございます。(遅くなって申し訳ありませんでした) 今回の質問は“科学的な”質問のつもりなのですが、こうした科学では捉えられそうもない時の流れを考えると、なぜか“精神界の時間”につなげて考えたくなってしまい、それはもしかするとこうした「存在・継続」と云ったことに係わる問題は、科学と精神との接点に近い事だからなのかもしれません。 頂いた回答文への異議となるかもしれませんが・・・ 質問時に使った“絶対時間”を今は“絶対”を“継続・持続・存在”と言い換え“時間”を“時・流れ”と言い換えて見たくなっています。“時間”と云う言葉は“相対的”な言葉のように思えますし“絶対”も他の事柄にも良く使われていて、しかも適当な表現が思いつかず、いわば代用品的に使われる曖昧な言葉のように思えますので。 その“時の流れ”を我々は地球の存在、歴史、を通して体感、実感しているので、〔想定〕ではなく事実としてとらえて考えて見ています。 また自分にとっての時間、となると個々の精神の“感覚”なので“心が感じる時”のことになってしまい、ここで取り上げている「存在・継続・流れ」を追求するために持ち込むと、問題が複雑になってしまいます。 また、宇宙の内と外、については「外」はあり得ないという前提で、例えとして使ってみました。 外はあり得ないと思っています。 ただし、ブラジュロンヌさんは「内と外とを超えている」と言っているので、物質界と精神界は“表裏一体である”と云ったような思いであると受け止められます。 究極の世界は精神界も物質界も“一身(一心)胴体”なんでしょうか。 十字架上のイエス、の話はとても興味深いです。ちょっと物足りないけど。(2012/9/1 17:42)
- SakuraiMisato
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スーパースペースと純粋持続との比較を…。 http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity107.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B6%9A 如何でdummyにやあらむ。
お礼
回答ありがとうございます。 有と無、有は無であり無は有である、なんて言いますが曖昧な表現なので、何の事?となってしまいます。 物の現象を捉え、仕組みを発見する科学は予測さえも可能にしていますが、最後には「なぜ?」が残ってしまうようです。 その「なぜ?」は、どうしても精神の分野に“下駄”を預けざるを得ないように思います。 だから想像します。 なんで無から有が生じるの? 力めばうんちが出る様に、 宇宙が力むからなんだ。 表がなければ裏もない。 表があるから裏もある。 表と裏とは一体で、 それを形に表せば、 メビウス様が現れて、 メビウス仕様のドーナツを、 見せて呉れると思います。 “絶対時間”は“存在時間”と言い換えたほうが良いでしょうか。 或いは“継続時間”とか“持続時間”とかに。 この流れを釈尊は実体験したので、初めとか終わりとか、そう言うものはないんだ、と言ったのでしょう。 ミサトさんの思考スタイルに名前を付けました。 粘菌型思考、と。 どうですか?
- SakuraiMisato
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価値は償却されていき、…。 http://okwave.jp/qa/q7665944.html
お礼
回答ありがとうございます。 これもパス。
- SakuraiMisato
- ベストアンサー率17% (42/235)
此処でも締め括りの挨拶が必要なのでしょうか? http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120827-00000004-natalien-musi http://boki2s.seesaa.net/article/31101257.html
お礼
回答ありがとうございます。 これもパス。
- SakuraiMisato
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助けてあげて下さいませ。 http://okwave.jp/qa/q7665938.html
お礼
回答ありがとうございます。 これもパス。
お礼
回答ありがとうございます。 今回の回答はかえって解りにくいです。 “内、外”という「概念」がよく分からないのです。 宇宙は一つ、と思うので、この宇宙の中がすべてであって、外はありえないのです。 “外”を有るとしてしまうと、限がありません。その先はその先は、となって際限がないのです。 それよりも今は、移動でない静止状態での物の変化は、移動を表現する「時間」と違って「時」を表現しているのでは、と思うようになってきているのですが。 また、アインシュタインの理論は「時」を解明しようとしているのだろうか、なんてことも考えています。
補足
意見を寄せてくださった皆様、ありがとうございました。 回答は何度も読み返してみています。 ベスト回答を選べなかったのは皆様の知的レベルに私が届かないから。 mmkyさんのこの回答もかえって分かりにくく、知識不足、理解力の低さを嘆いているところです。 ありがとうございました。