- 締切済み
「絶対時間」って在るのでは?
科学者が作り出した時間の“単位”?は、地球の1回転を二十四に分割し、その内の一つを、一時間と決めましたが、これは「時」を直接測った訳ではなく、物の運動を「時間」に置き換えてみただけ、と言って見たいのですが。 これ迄の科学では、物質の運動、変化、を通して時間と言うものを捉えてきた、と言えるかと思いますが、それとは別に、物質の運動、変化、をも包み込んだ「存在時間」と言うものが在って、それは科学的手段では「精神」が捉えられないように、科学では捉えられない、「絶対時間」とでも言いたい「時の流れ」が存在すると、思えるのですが? こんなことを考えて見た哲学ファンは居ますか。
- みんなの回答 (36)
- 専門家の回答
絶対距離絶や対面積や絶対質量や絶対電圧や絶対価格や、絶対キュウリや絶対恋愛や絶対ファミレスや絶対サザエさんがあれば、絶対時間もあるのでしょうが。
お礼
回答ありがとうございました。 やっぱりありますよね!(2012/8/25 12:30)
補足
絶対、という表現は適当でなかったかと思い始めています。(2012/9/1 21:10)
変化や運動が時間なら、動いたり変化しない物体(石ころ)には時間が存在しないのか、 石ころの横で人が活動しているとき、人には時間が存在しても、そのとき石ころには時間が存在しないのか、みたいなことですかね。
お礼
回答ありがとうございます。 石ころは厳密には原子分子とかいう世界では動き続け変化しているとのことですが、ここではそんなことは意に介さずにいます。 石ころは動かないから時間の計りようがないです。でも存在し続けていてこれは宇宙の「絶対時間」と歩調を合わせているんじゃあないでしょうか。 こんな感じです。(2012/8/25 12:32)
補足
石ころが動いていなくても、石ころの横の人が活動していても、していなくても、同時に“存在している・時の流れの中にいる”と云う感じなのです。(2012/9/1 21:05)
- 沼田 紫鐡(@DARKREDGEAR)
- ベストアンサー率41% (20/48)
ありません。ただの錯覚です。 1メートルは何故あの長さなのかを問うているのと一緒です。 1キログラム重が何故あーいった重みなのか問うているのと一緒です。 「とりあえず決めんべ」 と言ったはずが、人類は怠慢極まりないんで その標準器に振り回されて生きるようになってしまったとさ。
お礼
回答ありがとうございます。 「絶対時間」という表現が紛らわしいのかもしれません。 思い、は解答No.8のお礼欄に書いてみました。 こんなことを考えてみたこと無いですか。(2012/8/25 12:25)
補足
長さや重さは物を計ることで捉えられますが、時間は物の移動、変化、を計ることで捉えています。 その物の移動、変化、を計ることが宇宙の存在し続けているという“時の流れ”を計ることになっているのかが分からないのです。(2012/9/1 21;00)
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
時間って変化ですものね。絶対って変化と受け入れないでしょう。 仮に、変化の基準たる時間計測基準を絶対時間というなら、存在を超えたとこの無時間ではないですか? まぁ、創造以前とか、瞑想でのsamādhiとか、禅の禅定とか。
お礼
回答ありがとうございます。 この質問の“思い”は回答者になってくださったブラジュロンヌさんのお礼欄に書いてみました。 今は絶対時間と言っても、存在時間と言っても同じかなと思っています。(2012/8/25 12:18)
補足
今は絶対時間、という表現を継続時間、存在時間、流れ、と云った表現の方がいいかなと思っています。 又、物理的時間を感覚的時間と混同しやすいのは、「時の流れ」というモノが背中合わせ的だからでしょうか。(2012/9/1 20:53)
- SakuraiMisato
- ベストアンサー率17% (42/235)
精神の存在を大前提に据え得る根拠の正当性が先ず証明されていませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 感想は「???」 時々思うんですが、Misatoさんの文は“主語”と云うんでしょうか、何か一つ言葉が足りないように思っています。(2012/8/25 12:09)
補足
「精神の存在を大前提に据え得る根拠の正当性が先ず証明されていませんね。」 上記の文章は分かりづらいです。 どこがどうだから分かりずらいのかさえ分かりずらいです。 文法に強ければ指摘できるのでしょうけれど。 前半の“精神の存在を大前提に据え得る根拠の正当性”と云う文を組み立てたのは、この文に表れてない“何か”がミサトさんの頭にあって、それは文法的には「主語?」に当たり、でもミサトさんにとっては当然の言葉なのでわざわざこの文章に加える必要などないから、と思っての事なのでしょう。 だから他者はその隠された「主語?」を推測しなければなりません。知識がミサトさんと同等かそれ以上ならそれも容易かと思いますが、私にはたいへんです。 精神の存在を大前提に据え得る“為に何らかの”根拠“と思える事柄について”の正当性が・・・ と云うような事なのでしょうか。 また、「先ず証明されていませんね」について私は二通りに解釈しました。 一つは、“私自身の質問文の内容を見る限りでは”「根拠の正当性」が証明されてない、と言っているのかと思いました。 もう一つは後にも先にも未だ曾て「こうした」根拠の正当性は証明されてはいない、と言っているようにも思いました。 ただ、「先ず」と言っているので、一つ目の解釈の方が当たっているのかな、とは思いますが。 でもここでの質問は「時間、あるいは時の流れ」なので、ミサトさんもこの「時の流れ」を主題に回答されたんだと思えば、主語はこの「時の流れ」と云えるように思え、そうすると二つ目の解釈の方が当たっているのかな、とも思います。(2012/9/2 07:50)
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「時間」とは何だとお考えですか? 変化する事だと考えるのが普通です(その先にはエントロピー だの光速普遍性だのややこしい問題が出てきますが)。 それでは、時間の経過において「変化」している(不可逆的に) ものはあるのでしょうか? エントロピーは、実は統計力学的な指標で、本質的な分析に おいては、消滅してしまいます。 実は、宇宙膨張は、物体の収縮と等価であり、プランク定数 (不確定性)の収束として、唯一の時系列性を成しています。 通常、人は、宇宙膨張は結果的な現象だと考えます。 しかし、超弦理論により全ての物理定数がプランク定数から 二次的に導かれる事が分かった時、その本質的定数が、 あらゆる時点で異なる(相補的不確定性の原理的確定により 相殺して無限不確定化すべき空間的広がりが大きくなる) 原理的要因から派生しているものを、時系列的に重ね合わ せる事(自我仮説=記憶=過去=時間)によって仮想的に生じ ているのです。 超弦理論において量子=光速に還元されるところ、階層現象 的な表面性おいて派生する非光速性において、自我仮説 (記憶=時間の流れ=過去=超光速)と時空仮説(予測=空間 の広がり=未来=光速下)が相補分化している時、“原理的な 奥に潜む時間性”などというものは、探すだけ無駄でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃるように、無駄な事ですよね。(2012/8/25 12:5)
補足
我々は動く電車の乗客。 電車の外の風景を見れば動いていることを実感できますが、宇宙の中に在って宇宙の外を科学は未だ見たわけではなく、宇宙の中の出来事を捉えているのだと思えば、宇宙の中の一員として“宇宙の移動・移り・流れ”と同時行していて、それは相対関係ではないので、科学としては考えても“無駄”なんですよね。(2012/9/1 20:45)
- SakuraiMisato
- ベストアンサー率17% (42/235)
絶対には否定演算子を付けられますが、 其の逆説へも配慮されていますか?
お礼
回答ありがとうございます。 感想は「??」(2012/8/25 12:00)
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 質問趣旨についての質問です。 ★ 絶対時間 ☆ というのは この世界に一様に流れていると捉えられるとする時間で ふつうに時計による時間ではないですか? ○ 固有時 ☆ というのが ひとりの人の生き動き存在することにもとづくその人自身の時間感覚でしょうか? ★ 物質の運動、変化、をも包み込んだ「存在時間」と言うものが在って、それは科学的手段では「精神」が捉えられないように、科学では捉えられない、「絶対時間」とでも言いたい「時の流れ」 ☆ 分かりにくいのですが この《存在時間》というのは 上の《固有時》が 自分ひとりの問題としてだけではなく 世界のすべてをふくむかたちで自覚されるような動態 を言うのでしょうか? つまり宇宙と《わたし》が一体であるというような? * 自然科学の方面については分かりませんので その補足要求などはお答えしかねますけれど。
お礼
回答ありがとうございます。 時間というモノは物体の移動、変化という現象を捉えて計測している、と云う処から相対性という条件が不可欠と思いますが、その“相対しない”と云う意味で“絶対”と表現してみました。 例えて、動いている電車に乗っている人は、電車と人とは止まった状態、あるいは時間を計れない=相対ではない、と言った感じです。 でも電車と人は動いています。電車を眺める人は電車の動きは見えてそれは相対しているから。 宇宙は一つと思えば、その外側は無く総て宇宙内の出来事。宇宙そのものは相対的存在ではないけれど、存在し続けていてその中で物体は活動している。 宇宙内の物体の活動を観測するのが科学、物理学かと思いますが、相対させえない宇宙の「存在時間」は計測できない。捉えられない。でも「存在し続けている」 こんな感じです。(2012/8/25 11:56)
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
その絶対時間を流しているのは、あなたなんです。あなたの存在というか。 森羅万象を科学的に捉えた時間の外側に流れる時間を流しているのはあなたの存在です。 さらにその外側には、科学では捉えられない無数の時間が蠢いているんです。 ただし、誰からみても共通する絶対時間(←つまり科学的)というのは存在しません。
お礼
回答ありがとうございます。 やっぱりちっぽけな人間の心に現れる“意識”でしかないのですかね。(2012/8/25 11:38)
お礼
回答ありがとうございます。 ニュートンが絶対空間とか絶対時間とか言っているのは知りませんでした。 わたしのは単なる思い付きでしかありません。 勉強いたします。(2012/8/25 12:40)
補足
今は、 宇宙の時の流れ、は宇宙に存在する“物”が運動・変化し続けている、と云う事実に依って“証明されている”と云って見たい。 また、“速さ”は“時間”であって“時の流れ”ではない、とも云って見たい。(2012/9/2 08:22)