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「高円寺」吉田拓郎の歌詞の意味
「高円寺」吉田拓郎 http://www.uta-net.com/song/78254/ 君のこと好きだなんて言わないでよかったよ 電車は今日も走っているものね 上の二行はどういうつながりでしょうか? 好きだといわないでよかったのは、相手がこちらを好きになってくれていたからの筈ですが。 「電車は今日も走っている」は、どういう気持ちが託されているのでしょうか。 また「高円寺じゃないよね」という理由は、 作者が高円寺あたりのめぼしい女の子は知っているから、という解釈で良いですよね。
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懐かしい曲です。 いざ考えてみると難しい内容ですね。 こちらから好きだと言っていれば、それまでのようにふられていたかもしれない。(相手から告白されれると熱が冷めるタイプの女性も多いだろうから) もし、ふられたら、あなたをしつこくつけ回すようなことはせず、すぐに他の女の子にターゲットを変更したことだろう。 なにしろ、「電車は今日も走っている」のだから、チャンスはいくらでもあったわけで・・・。 そうすれば、君との関係は完全に途絶えていたことだろう。 だから、「君のこと好きだなんて言わないでよかったよ」。 こんな感じじゃないかと思いました。 >また「高円寺じゃないよね」という理由は、 作者が高円寺あたりのめぼしい女の子は知っているから、という解釈で良いですよね : そのとおりと思います。
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>君のこと好きだなんて言わないでよかったよ(だって君の方から好きだと言ってくれるような変事が起こるほど)人生って、いろいろあるんだからね。瞬時あとも何が起こるかわからない。だって世界は今日も止まらず動いているんだし。 男は意外とプライドを大事にするもので、女に言い寄るのにずいぶん危険を侵し、エネルギーを使うものです。彼女に感謝している作者のナイーヴで正直な心情を表しているんじゃあないでしょうか。 >「高円寺じゃないよね 高円寺近辺の高慢な女たちには振られたりいろいろひどい目にあったのでしょう。君はそんな女じゃあないよねというような気分をいっているのでしょうか。 いや、改めて拓郎を見直しました。また聴き直してみます。ありがとうございました。
- amaguappa
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微妙な時間の感覚が面白い詞だと思いました。 「口に出すのがこわかった」時期は、「毎日電車に乗っても違う女の子に目移り」の時期と同じ。 やがて、好かれているという確信を得たので、もう満たされた。 満たされたからもういいんですね。 未熟な青年らしい、自己充足のための恋なのでしょう。 関心をもってもらいたい、愛されたい、好きと言われたい、 という願望のほうが、恋を成就させて愛し合いたいという思いより強い、という心情かと思います。 そうして、「口に出さないでもよくなった」ばかりでなく、 相手の心を縛りながら、自分を縛らないでいられるという高慢な気分になりますね。 相手の心を手中にしているという優越感があるでしょうから。 夢を追いかけているとき、この青年はハンターのように熱中するわけですが、 現実に手の届くものとなったなら、もう関心が薄れるのです。 じつは自由を愛していますから、 「好きだなんて言わないでよかった」のですね。 心が夢に縛り付けられているのはよいけれども、相手との関係に縛り付けられるのなんか、嫌でしょう。 もし好きと言っていたら「笑われそう」なんてかつての不安は飛び去り、 見つめられているとわかったからには、 そっぽを向いて他の子を物色し、安心して愉楽に浸れます。 「電車に乗るたびにふられる」ほど目移りし放題の女の子たちを好きになれます。 「電車は今日も走って」いますからね。 「ふられてばかり」のモテないとおぼしき青年の詞なので、 プレイボーイを気取りようもないのですが、 ローカルの狭さと合わせて、ほんのちょっと高くなれた自尊心が、 高円寺の青春の風景に馴染むんでしょうね。 自己評価への安心、存在価値を認められたことの安心、 自分をぶれさせないですむ安心、自分が一歩も動かないですむ安心、といったところで、 まだ愛を知らぬ、幼い爽快感がよく漂っているなと思います。
補足
ありがとうございます。 だいぶ理解が進みました。 もしかしたら語り手は、まだまだ電車の中で女の子に声をかけるつもりなのかもしれませんね。 彼女からは告白されただけで、まだ返事はしていない状態ですから。