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人を殺してはいけない理由はなぜ?殺人罪との関係について考えてみる
- 人を殺してはいけない理由は、人間の尊厳や平和を守るためであり、倫理的な価値観に基づいています。
- 殺人罪は、人を殺す行為を禁止し、法的に罰することで社会の安全と秩序を維持するために存在します。
- 正しい論理としては、人を殺してはいけないという価値観が先に存在し、それを法律で守るために殺人罪が設けられたのです。しかし、この文章はその順序を逆にしていると言えます。
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> これは詭弁の一種である論点回避に当たるのではないでしょうか? Wikiの中で言えば、「論点先取」です。 それを見抜かれない様に、「殺人罪になるからだ」と言う詭弁(すり替え)を弄している形です。 まず設問は、「人を殺してはいけない理由」を聞いていますが、「殺人罪になる」と言うのは、因果関係です。 「殺人罪になる」と言うのは、法を犯した「結果」であって、「理由」ではありません。 従い、正しい理由説明の形としては「我が国の法律(刑法)では、殺人を禁じているからだ」となります。 しかし、ここで「我が国の法律では、殺人を禁じているからだ」すると、「人を殺してはいけない理由は、法律で人を殺してはいけないと決まっているからだ」となってしまいます。 すなわち「人を殺してはいけない理由は、人を殺してはいけないと決まっているからだ」と言ってるだけです。 人を殺してはいけない理由は、ほぼ全く説明されていないと言うことが、簡単にバレてしまいます。 そこで「殺人罪になる」と言う形で、ごまかしているんでしょうね。 そういう詭弁を弄す人には、たとえば「そうじゃなくて、そもそも『なぜ殺人が罪なのか?』を教えて欲しい」と言えば良いですよ。
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- nebikisi-ru
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とりあえず、「循環論証」ではないと思います。 確かにNo.3お礼にあった、 >『なぜ人を殺してはいけないか』→『人を殺すと殺人罪になるからだ』…(a) >『なぜ人を殺すと殺人罪になるのか』→『人を殺してはいけないからだ』…(b) であれば循環論証だと思いますが、友人の方は(b)の発言はしていないのですよね? 例えば、 『なぜ人を殺すと殺人罪になるのか』 →『大多数の人が「人を殺してはいけない」と考えたからだ』 であれば、循環論証にはならないと思います。 友人の方は(a)の発言しかしていないので、この段階ではまだ詭弁ではないと思います。
お礼
そうです。 だから今度それを訊いてみようと思っています。
- TANUHACHI
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刑法上で「殺人」に問われない殺人行為があります。「障害致死罪」です。また直接その行為を行わなかったもののそれに類する罪として「殺人教唆」「殺人幇助」もあります。 ♯13の方の見解ですが、「法理」としてのロジックは完結しています。しかしながらその法理は一般では疑問符の付くケースも多々あることも一方の現実です。一口に「論理」といってもそれが実験室の中での論理であるのかそれとも批判と検証に耐えうるだけの論証を持ち合わせているかはケース・バイ・ケースであると考えます。「原子力ムラの論理」が原子力ムラ内部でしか通用しないローカル・ルールであることと同様です。 この場合は論理として矛盾点は感じられません。なんとなれば、質問者は「なぜ人を殺してはいけないか?殺人罪になるからだ」とのテーゼに対し、結局は同じ結論に至っているならばそれが詭弁であるとは言い難いでしょう。文章を深読みすることは時によっては有益ですが、毒になることもあります。
お礼
あれ?主張のポイントが変わりましたね。なぜでしょう? 「詭弁はない」という主張をゴリ押ししたいから 今度は他の理由も考えてみた、というところでしょうか。 まぁそうしたい気持ちも分かるので嫌いではないですが。 前回も仰りたいことが良くわからなかったんですが、今回は、 『人を殺しても殺人罪になるとは限らないから詭弁にあたらない』 と言ってますか? そうだとするとますます意味が分かりません。 > この場合は論理として矛盾点は感じられません。 矛盾がなければ論理的に正しい、ってことにはならないんですよ。 確かに矛盾も論理学における誤りのひとつですが、 循環論証(実質的に何も語っていない文章)も誤りだと言っているんですよ。
- TANUHACHI
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♯5です。「国語」カテでこの質問が寄せられていたので回答させていただきました。先ずはコメントありがとうございました。 >この問題、論理学と呼ぶよりも、法理と日本語における言語表現形態の問題です。 いいえ、この質問は『この発言は詭弁ですか?』であり、詭弁が論理学の範疇である以上、明らかに論理学の問題です。 残念ながら質問者様は自縄自縛の状態にあるとも考えられます。「詭弁が論理学の範疇であるから」として論理学の独壇場の様な表記をされていますが、これはいただけませんね。少なくとも詭弁論理は論理学の実験室の中でのみ存在する性質のものではないことによります。 端的にいえば、「非論理的説明」により白を黒と言いくるめる、これが詭弁の本質です。本来的にみれば、論証過程に誤りがあれば結論も当然のように誤りとなります。論理学の用語はよく存じ上げませんが「正と偽」または「真と偽」の関係でしょう。 その場合に一方が「正または真」とするだけで論理学は「事足れり」として「偽の意味」を問うことはなさらないのでしょうか。他の物理学などの自然科学や政治学や歴史学などの社会科学では必ず「それが偽であることとその根拠」を検証します。それによって「偽であることの意味」を説明することになります。 質問者様にとっては「これは論理学の範疇である」とは認識できても、題材として提示されたものは文章ですから、少なくともそれを吟味する必要はある。それも文章として完結しているかどうかを先ずは見る。この事が次の問いにつながります。 >「なぜ人を殺してはいけないか?。(私は)そうすることで殺人罪に問われるからだ、と考える」 いいえ、補うべき主語は「私は」ではなく「人を殺した人は」です。「私」に限りません。 ここで、前回「主語を補って文章を読んでみる」との理由が質問者には伝わっていなかった様ですので、改めてその「意味」をお話しします。当該の文章を文節に分解してみます。「そう することで 殺人罪に 問われるから だ」となり「そう」は文法上の指示代名詞、「この」や「その」と同類です。そして具体的な内容は前の文章にある「殺す(殺しは活用形)」を受けている。となりますとこの文章は「殺すことは殺人罪に問われるからだ」と読むことになります。 こうした説明を質問者は「それこそ詭弁だ」と非難するでしょう。けれどもそれは質問者が寄せた質問文を質問者自身がよく理解出来ていないことに起因するからともいえます。文章を読むには先ず先入観を捨てねばならないことなど、賢明な質問者様にはおわかりでしょう。友人が「なぜ人を殺してはいけないか?殺人罪になるからだ」と思うよ、と答えたならば、それは友人の論理の中で完結性が示されている。一般的な認識として「殺人=反社会的行為=犯罪=罪科を償う必然性」との意識が前提として働いていることも明らかでしょう。となれば友人の認識は社会一般の認識としては不自然でもありません。第三者の目から見れば質問者と同一の結論に至っています。 違和感がある、というのは質問者の中に「物事の論理は必ずA→B→Cの順番でなければならない」とのある種の強迫観念にも似た理屈主義が無意識のうちに作用しているとも感じられます。 文章を読む時には文章の種類によっても記述の仕方は異なります。物語の文章もあれば評論の文章もあります。それぞれにスタイルは異なります。丸山眞男や小林秀雄の様な緻密な論理構成を枝葉を落とした言葉で積み上げていく形もあれば、夏目漱石や芥川龍之介の様に目線の移動を読者に委ねるスタイルもあります。質問者様は恐らくそうしたスタイルを否定するグループに属されることでしょう。 その意味で質問者様が自身を相対化できていないと感じられました。
お礼
質問は「論理学の観点から見てこれは詭弁にあたりますか?」であり 『論理学の観点から考えてください』と言っているのですから論理学の問題です。 こんな一番基本的な部分で同意が得られないのでしたら困ってしまいます。 もしどうしてもあなたが『詭弁でない』と立証したいなら、 『詭弁の定義はこうなっています。一方質問の文はこういう構造です。 ですから詭弁の定義には当たらない、したがって詭弁ではありません。』 という形式で説明してください。そのように詭弁の定義に沿って 納得できる説明をしてくだされば私も「詭弁でない」と認めます。 > この文章は「殺すことは殺人罪に問われるからだ」と読むことになります。 > こうした説明を質問者は「それこそ詭弁だ」と非難するでしょう。 いいえ、非難しません。そこは正しいと同意できます。 > 友人の認識は社会一般の認識としては不自然でもありません。 だから「社会一般の認識として不自然だ」なんて言ってないでしょ。 社会一般の認識としてはそういう認識もありだと思います。 「論理学的に見たら誤りなのでは?」と質問しているのです。
- snaporaz
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「なぜ人を殺してはいけないか」「殺人罪になるからだ」 論理的に正しくない、成立しないと思います。 「殺人罪にならない人殺しもある」という反例が成立する、実在するからです。 もちろん、「戦争」と「(合法的な)死刑」です。あとづけの「戦犯」はここでは除外します。かつては「復讐」「仇討」も除外されたケースがあるのかもしれません。もうひとつ、「自らが法である」独裁者による「粛清」なども、後にクーデターでもない限り罪には問われません。「魔女狩り」などの集団リンチもそうかもしれません。「正当防衛」というのは減刑にはなるでしょうが罪を問われないというのは難しいでしょう。 「なぜ人を殺してはいけないのですか」 「それは殺人罪に問われるからです」 「それでは殺人罪に問われなければいいのですか、つまり罪を回避できれば人を殺してもいいのですか」 「そういうことになりますね」 「それでは『殺人罪に問われるから人を殺してはいけない』は成立しませんね、つまりあなたの最初の理由は誤りですね」 「そういうことになりますね」 「完全犯罪者の論理」ということになるんですかね。 表裏に見えたことが表裏ではないと示されるとき、つまり例外の存在が証明されるとき、ループが破綻する。すなわち「循環が論証にならない」ということなのかな、と。
お礼
> 「殺人罪にならない人殺しもある」という反例が成立する、実在するからです。 なるほど。検証してみましょう。 「なぜ人を殺してはいけないか?殺人罪になるからだ」は 前提:「(すべての)人殺しは殺人罪になる」 結論:「(すべての)人殺しはいけない」 という論理構造ですが、前提が偽であるため、 全体としても偽になる、ということですね。 なるほど、言われてみれば確かにそうですね。 「詭弁」以前に「誤謬」に該当する、ということになりそうです。 気が付きませんでした。 ご回答ありがとうございました。
- hakobulu
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#11です。 >なぜそれが「正しいと証明されている」と分かるのでしょう? 地球上の全ての人間が「些細な理由での人殺しはいけない」と思っているからですか? そうだとしたら数々の凶悪事件や無差別殺人事件は起きないはずじゃないでしょうか? : そうですね。 こうした反論が想定されるため、「厳密に言うと、これもまた違うのかもしれませんが、」と補足しました。 本旨は、「論証の前提となるものは、反論の余地が一般的な見解として存在しない、という程度の合意が得られているものである必要性があるように思うわけです。」という箇所ですので。 単に「人殺しはいけない」ではなく、「些細な理由での人殺しはいけない」としないと一般的な見解としての合意は得られないだろう。結果として、詭弁なり誤謬の潜り込む素地を提供してしまうのではないか、ということです。 >しかし元の質問は、前提「人を殺してはいけない」が正しいか間違っているか 不明なので、論証が正しいかどうか?に焦点を当てました。もし論証が間違っていれば 少なくとも全体『殺人罪になるから人を殺してはいけない』は妥当な論証ではないことが判るからです。 : それはわかります。 わたしとしては、『人を殺してはいけない』だけではなくもう少し緻密な前提を立てていれば『殺人罪になるから』という答え(詭弁)も出現し得なかったのではないか、と思っただけです。 >この類の問題にに興味がおありでしたら、このサイトで「なぜ人を殺して」で 検索してみてはどうでしょうか? いっぱい見つかりますよ。 最近では以下の質問に私も回答しました。(まだ締め切ってないようです) : 興味はありますが、過去に何度か似たような質問に答えたことがありますので。 袖すり合うもなんとやらと申しますし、ご質問とは関係ないのですが、私見を開陳させていただきますと、人を殺してはいけないのは人間には想像力があるからです。 他人を殺すということは、同じ人間として分類されている自分も殺される可能性を持った存在であることを結果的に想像(再認識)してしまいます。 意識するとしないに拘わらず、それは怖れの記憶となって、その後の生態活動に影響を与えるでしょう。 怖れの記憶というものは人間の正常な活動を阻害しますので、その意味で人を殺すのはよくないのです。 しかし、正当防衛などの場合には、先の怖れよりも目前の危機回避が優先されるので、その場合に限っては致し方ない、ということになります。 むろん、この場合でも避けられるならば避けるほうが先の理由により正解です。 想像力というのがキーワードなわけですが、たとえば、人間に近い要素を持った生き物(家族同然に養ってきた特定の家畜・知能の高いイルカや鯨、猿など)を殺すことは極力避けたほうが良いのもこのためです。 論理学について新しい課題がありましたらまた教えてください。 色々勉強になりました。
お礼
『なぜひとを殺してはいけないか?』の答え方は、 社会的(法的)理由、道徳的理由、宗教的理由、歴史的理由などいろいろあると 思うので、正しい答えはひとつでなくたくさんとあると思うのですが 明らかに間違っている答えを見つけるのが比較的簡単だと思うのです。 そんなわけで、今回は表題のような焦点を絞った質問を投稿してみました。 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#10です。 論理学という学問については知らなかったのですが勉強になりますし面白いので再度投稿させていただきます。 >早まった一般化に該当することはないでしょう。 : そうですか。 一般的な結論でないと解足り得ないのではないか、という気もしますが・・・。 >「その価値観」に限らず、価値観に正しい間違いはありません。 逆にお聞きしますが、正しいと証明されている価値観なんてこの世に存在しますか? : そうですね。 たとえば、条件付きの場合ではないかと思います。 「些細な理由での人殺しはいけない」など。 厳密に言うと、これもまた違うのかもしれませんが、論証の前提となるものは、反論の余地が一般的な見解として存在しない、という程度の合意が得られているものである必要性があるように思うわけです。 少なくとも、そうでないと論証する意味がないでしょう。 まあ、これは単なる意見になってしまいますが。 >ナンセンスではありません。「本当に殺してはいけないのかどうか不明のまま」でも この議論はできるのです。論理学というのは「前提が正しいとすると正しい推論によって 得られる結論もまた正しい」というものであって、「前提が本当に正しいかどうか」は興味の外です。 : なるほど。 しかし、明らかに前提が間違っている(または不完全である)場合はやはりナンセンスでしょう。 お示しの定義だと、どんな正しい推論をしても得られる結論もまた間違っている、という理屈になってしまうわけですから。 たとえば、 「些細ではない理由があれば人を殺しても良いかどうかは別にして、少なくともなぜ些細な理由での人殺しはいけないのか」 という設問であれば違ってくるでしょう。 この場合、「殺人罪になるから」は詭弁ではなく単なる誤謬ということになります。 つまり、 『殺人罪になるからだ』 という詭弁は、 『人を殺してはいけない』 という前提の曖昧さが導いたものではないかと思うわけです。 >私の質問は『殺人罪になるから』が 絶対的に正しいか?ではなく論理的に正しい論証かどうか?なのです。 : いけない理由の一部をもって一般的な結論と位置づけているため正しい論証とは言えない(詭弁である)と思う、ということを前回申し上げました。 >また、命題「人は殺してはいけない」が真か偽かは、価値観ですから人によって意見が分かれる でしょうが、命題「世の中には人を殺してはいけないという価値観が存在する」はどうでしょうか? これなら誰もが真だ、と意見は一致するのではないでしょうか? これをベースにすれば 「なぜ人を殺してはいけないか」と言う問題を考えることはできるはずです。 : それは、なかなか面白い視点だと思います。 「なぜ、世の中には人を殺してはいけないという価値観が存在するのか?」という問ですね。 「なぜ人を殺してはいけないか?」よりも設問としては有効でしょう。 この場合も、『殺人罪になるから』は「人を殺してはいけないという価値観の具現化=殺人罪」なので、詭弁以前の単なる誤謬になると思います。
お礼
> 論理学という学問については知らなかったのですが勉強になりますし面白いので再度投稿させていただきます。 そうですね。 私も面白いと思います。この手の問いかけは高度な専門知識がなくても 誰でも考えられ、素朴で身近な疑問で、思考力のトレーニングにもなります。 > 「些細な理由での人殺しはいけない」など。 なぜそれが「正しいと証明されている」と分かるのでしょう? 地球上の全ての人間が「些細な理由での人殺しはいけない」と思っているからですか? そうだとしたら数々の凶悪事件や無差別殺人事件は起きないはずじゃないでしょうか? > しかし、明らかに前提が間違っている(または不完全である)場合はやはりナンセンスでしょう。 確かに間違っていると分かっている前提を元に推論する物好きは普通いないでしょう。 しかし元の質問は、前提「人を殺してはいけない」が正しいか間違っているか 不明なので、論証が正しいかどうか?に焦点を当てました。もし論証が間違っていれば 少なくとも全体『殺人罪になるから人を殺してはいけない』は妥当な論証ではないことが判るからです。 この類の問題にに興味がおありでしたら、このサイトで「なぜ人を殺して」で 検索してみてはどうでしょうか? いっぱい見つかりますよ。 最近では以下の質問に私も回答しました。(まだ締め切ってないようです) http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7617450.html
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
『殺人罪になるから人を殺してはいけない』であれば、なるほどそういう理由もあるかもね、で済みそうですが、 ご質問例の場合は、『殺人罪になるからだ』が『なぜ人を殺してはいけないか?』に対する唯一絶対の解であるかのような体裁を持つ文であるため、 誤った論理展開文と言えると思います。 ウィキを参照してみましたが、詭弁にも色々あるんですね。 よくわかりませんが、『早まった一般化(hasty generalization)』という詭弁に相当するような気がします。 「殺人罪になるから」という理由があっても良いとは思いますが、それ以外にも明らかにある理由を無視して結論づけている点が詭弁になるのではないか、というわけです。 >本来は「人を殺してはいけない」という価値観が 先に生まれてそれを普及させるために殺人罪が法律化されたのだと思うからです。 : 「~先に生まれて」とのことですが、その価値観が正しいか否かは証明されていません。(たとえば正当防衛などの問題が、おそらく取り残されているでしょう) この点に関しては、「人を殺してはいけないか?」という別の命題として考えるべきでしょう。 そもそも、この命題に関して言及することなく(本当に殺してはいけないのかどうかが不明のまま)、その理由を問うこと自体がナンセンスである、と思います。
お礼
すみません。『殺人罪になるからだ』と語尾に「だ」をつけたので 断定口調で唯一絶対の解であるかのような印象を与えてしまったかも しれませんが答えた友人本人は断定してはいないので、ご指摘のような 早まった一般化に該当することはないでしょう。 > その価値観が正しいか否かは証明されていません。 「その価値観」に限らず、価値観に正しい間違いはありません。 逆にお聞きしますが、正しいと証明されている価値観なんてこの世に存在しますか? > この点に関しては、「人を殺してはいけないか?」という別の命題として考えるべきでしょう。 > そもそも、この命題に関して言及することなく(本当に殺してはいけないのか > どうかが不明のまま)、その理由を問うこと自体がナンセンスである、と思います。 ナンセンスではありません。「本当に殺してはいけないのかどうか不明のまま」でも この議論はできるのです。論理学というのは「前提が正しいとすると正しい推論によって 得られる結論もまた正しい」というものであって、「前提が本当に正しいかどうか」は興味の外です。 例えば、「人間は植物である」「植物は無機物である」この2つの命題はいずれも偽(間違い) で、この2つが正しいと仮定すると得られる結論「人間は無機物である」もやはり偽です。 でも論理学的には正しい推論(三段論法)と言えます。私の質問は『殺人罪になるから』が 絶対的に正しいか?ではなく論理的に正しい論証かどうか?なのです。 また、命題「人は殺してはいけない」が真か偽かは、価値観ですから人によって意見が分かれる でしょうが、命題「世の中には人を殺してはいけないという価値観が存在する」はどうでしょうか? これなら誰もが真だ、と意見は一致するのではないでしょうか? これをベースにすれば 「なぜ人を殺してはいけないか」と言う問題を考えることはできるはずです。 ご意見ありがとうございました。
- ga111
- ベストアンサー率26% (247/916)
感覚的には、例外がたくさん出てくるのが大きいかと思います。例えば、 正当防衛では殺人罪にならない例が多い。 国家的にも、たとえばアメリカ大統領が、イラクに出兵して相手の市民や自分の兵士を結果的にたくさん死なせても、罪に問われない。 10人殺したら、重罪人で、1万人殺したら英雄だ、、、とか。 『なぜ人を殺してはいけないか?殺人罪になるからだ』 は、 『なぜ人を殺してはいけないか?殺人罪になることもあるし、裁判で面倒なことになることもあるからだ。例外はあるけど。』かもしれません。ただし、厳密さを取ると、発言のインパクトがかなり低いでしょうw
お礼
ご意見ありがとうございました。
- naclav
- ベストアンサー率48% (237/484)
論理学とか全然知りませんけど、 『なぜ人を殺してはいけないか?殺人罪になるからだ』という文は 「なぜAはBか?AはCだからだ」 という構造です。 これが正しいものであるためには、 「CはBだ」という前提、 この場合は「殺人罪になる事はいけない事だ」という前提が 必要になると思います。 「殺人罪になる事」は「いけない」というよりは 「不都合、損」な事だと思うので、論理的ではないでしょう。 「なぜ人を殺すのは損なのか?殺人罪になるからだ」ならば 警察が優秀な社会ならそれなりに論理的だと思いますが。
お礼
国語カテなので国語的観点から考えてくださったのでしょうか。 私の質問は「論証として正しいか?」であって「論理的か?」 ではないのですが、「論理的か?」で考えるとすると・・・、 「論理的」の辞書的な意味は「論理にかなっているさま。 きちんと筋道を立てて考えるさま。」となっています。 「殺人罪だから」という答えは言い換えると「法的に決まっているから」 であり、なぜ法的にそう決めたのか?まで言及していません。 それ以上考えるのを放棄しているようにも見えるので 「きちんと筋道を立てて考える」ようには見えません。 「殺人罪だから」は理由のひとつとしては間違いではないと 思いますが、確かに「論理的」とは言えないかも知れません。 ご意見ありがとうございました。
- koakino
- ベストアンサー率44% (22/50)
私も違和感を覚えますが、それは論理ではなく倫理に問題があるからではないでしょうか。 発言者が「人を殺してはいけない」という価値観を全く持っていない人だったらと考えてください。 するとこの発言は『私は「人を殺してはいけない」という価値観は理解できない。しかし私は人を殺さない。なぜなら人を殺せば殺人罪になるからであり、私は刑務所に入るのは御免だからだ』という意味になります。 この理屈に基くと、(No.2の回答者さんが仰ったように)戦争だとか死刑だとか、殺人罪が適用されない状況下でなら私は人を殺すかもしれないよという意味になりますね。 言い換えるとそういう状況下では「殺人罪」は「人を殺してはいけない」という価値観を守ってくれないのです。 以上をまとめると、この発言には『「殺人罪」は「人を殺してはいけない」という価値観とは異なる理念に基いて定められている』という皮肉がこめられていると私は考えます。
お礼
確かにそう言われてみれば、倫理的に問題のありそうな発言ですね。 そういう目で見てなかったので気が付きませんでした。 ただ私が違和感を感じたのは間違いなく倫理的にはでなく論理的にです。 私は理系の人間だから、そういう観点で見る癖がついてるのでしょう。 ご意見ありがとうございました。
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お礼
> Wikiの中で言えば、「論点先取」です。 そうですか。Wikiによると「論点先取」の一種が「循環論証」という ことですが、今はその「循環論証」に該当すると思っています。 No.3さんのお礼にも書きましたが、 『なぜ人を殺してはいけないか』→『人を殺すと殺人罪になるからだ』 『なぜ人を殺すと殺人罪になるのか』→『人を殺してはいけないからだ』 のように逆もまた言えてしまうからです。 > そういう詭弁を弄す人には、たとえば「そうじゃなくて、そもそも > 『なぜ殺人が罪なのか?』を教えて欲しい」と言えば良いですよ。 友人は彼の持論としてそう主張したのでなく、私から訊いたらしぶしぶ そう答えただけなのですが、今度そう訊いてみようと思います。 ご回答ありがとうございました。