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個人主義になるプロセス

最近は個人主義の人々が増えたせいでうんぬん・・・と聞きますが、 そもそもなんで増えたのですか? 集団主義が個人主義に変わるきっかけが日本の歴史にあったのですか?

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  • hekiyu
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回答No.1

あるとすれば、憲法でしょうね。 あの憲法は占領下にアメリカ人が造ったものです。 当然に、キリスト教文化圏に属しているヒトが造りました。 キリスト教文化圏は、個人主義です。 集団主義を採っていると言われる日本において、個人主義が 増えているということになれば、それが原因でしょう。 憲法13条とかはその典型です。 憲法は60年前に造られたものですが、その思想が日本に 蔓延するのには時間が掛かります。 その萌芽が1970年頃に認められます。 新憲法で教育を受けた人が大人になり社会に出てきた頃です。 あの頃から日本人の権利意識が強くなっています。 その人達が結婚し、子供が出来、その子供が大人になって そうやって徐々に個人主義が蔓延していって現在に至って いるのではないでしょうか。 この個人主義ですが、欧米のはキリスト教があっての個人主義です。 つまり、ヒトは、個人で神に対峙するのです。 他人とは、神を通して関与するだけです。 そこにはキリスト教という枠や軸がある個人主義です。 ヒトは神様と約束をするのです。その神様との約束さえ守っていれば 他人にどう思われようと関係無い、という個人主義です。 ところが、日本にはキリスト教の神様はいません。 だから日本人の個人主義は、利己主義、我が儘になる傾向が強く なります。 良さそうだからと、安易に外国の思想を受け入れるのは問題が多いのです。

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回答No.3

失礼ですが、質問者様は「自由」と「平等」という言葉にどういう感想をお持ちでしょうか? フランス革命が及ぼした理念としてあまりに強調された言葉であって、民主主義の基礎に自然に並び立っていることに不思議を感じている人は少ないのでしょうか? 平等を論理的、実理的に突き詰めて行って生まれたのが、「共産主義」「社会主義」(コミュニズム)であり、自由を実理的に突き詰めていくと「市場原理至上主義」「資本主義」になるのではないか?と漠然と考えています。 社会主義は歴史が示す通り、全体主義が個人の「自由」を奪ってきました。一方、資本主義は著作権、特許権など実業家の権利を最大限に守り、富の再配分(税の徴収)を最低限に抑えることによって「経済の格差」を生んでいます。 日本では江戸時代の超封建体制により、江戸や大坂では町人文化が花開いて、それなりに自由を謳歌して被支配層である町人が読み書き、計算が出来るという、ヨーロッパ人の目から見て、身分制度が決められていた国としては相当特異な社会だったと聞きます。 明治以降、中央集権体制となり治安維持法などで思想言論の自由が厳しく制限され始めますがそれでも「昭和」ほどではなかったでしょう。日中戦争勃発から太平洋戦争終結までが良くも悪くも日本人が集団的に規律の取れた生活を送った最たる日々だったと思われます。 個人主義はまだ日本に定着してないでしょう。聞いたことないですから。 集団主義を正当化する理論としてはジェレミー・ベンサムの功利主義が代表的ですね。個人主義はリバタリアニズムでしょうか。ジョン・ロックあたりですね。リバタリアニズムは爆弾です。所謂、K・Yな人でなければ他人に話すことに躊躇われるでしょうね。それくらい個人主義を主張するには勇気が要るのです。本来は。

noname#177211
noname#177211
回答No.2

初めまして、お聴きしますが個人主義の何処が可笑しいのでしょうか? 日本人の集団でしか何も出来ない、言えない、つまり”幼稚”な集団のほうが可笑しく無いですか? 前者はキリスト教との関係を色々話していますが、宗教論とは全く違う次元だと考えます。 個人主義の前提は、自分の行動&言動に全て責任を持つ事です。 1)自分を愛し大切にする(自分を大好きでいる事が重要) 2)他人、地球上の生き物達を大切にする 3)他人の噂で人を批判しない 4)信念を曲げない 他にも色々、 ”集団依存症”と言う病気をご存知ですか? 何人?とか言っている時代では無いのです。 若い人たちに目指して頂きたいのは、世界に向かって個人で何か?を発信出来る事です。

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