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個人主義の要件となる寛容
- 個人主義を養うためには、寛容さが必要だという学説が紹介されている
- 寛容には国家の制度と個人の気持ちの持ちようの二つのレベルがある
- 最近の日本ではミスに対する不寛容が増えており、個人の自由が抑圧されているような状況がある
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質問者が選んだベストアンサー
”あまりに締め付けると、人間が萎縮してしまって、自由に行動ができず、 集団主義にしかならないというのです” ↑ なるほどです。説得力があるように思いました。 ”これは社会が立ち後れている証拠だ” ↑ これは疑問です。 何をもって後れているというのでしょうか。 欧米キリスト教文化に合っていないから、後れている としか読めません。 (1)寛容になった経験は? ↑ 外国人と付き合うようになってからですね。 こいつは、どうしてこんな考え方をするんだろう とやっている間に、段々と理解できて寛容になった ような気がします。 後は、人間は必ず死ぬと、判ったときです。 何をやってもいずれ死ぬのだから、何でもいいじゃないの という感じです。 (2)日本の近況について 最近、日本はミスにうるさく、不寛容になって来ているような気がします。 その結果?、若者が「草食系」などと言われるように萎縮していると思うのです。 ↑ それはもの凄く感じます。 私は法律をやっていたのですが、何を始めるにしても 法に引っかかる場合が実に多いのです。 これでは、国民は萎縮するばかりです。 かなり厳しい管理社会になっているなあ、と思います。 ”集団主義こそ好ましいからわざと抑圧しているのだ、 と言われればそれまでですが、そうなのでしょうか” ↑ 私は、日本の集団主義は非常に好ましいと思っています。 というか、他に方法はありません。 欧米のキリスト教文化圏における個人主義というのは、 個人と神が直接向き合う関係から構築されたものです。 個人は神との約束さえ守っていればそれでよく、 他の人間の意向など気にする必要はない、となる 訳です。 しかし日本には、そんな神様はいません。 集団主義に基づく日本にあるのは、お互いに監視、抑制する 関係だけです。 この関係を崩したら、大変なことになります。 その例が中国です。 あそこは、純粋な個人主義です。 キリスト教という枠や軸が無い、という意味で 純粋なのです。 つまり、自己中で我が儘勝手という社会です。 だから犯罪や賄賂が溢れる社会になっているのです。 そんな中国から日本をみると、魏志倭人伝にある 「倭人は盗まず」 となるのです。 ”案外、何も考えていないのじゃないかなあと思っていますが” ↑ 意識的にやっている訳ではないでしょう。 無意識的に、日本人的にやっているだけです。
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こんにちは。 外国の空港で航空会社のクルーのストライキに直面した時の事を思い出しました。 一方的に迷惑を蒙る側(乗客)の他者の個人主義(スト)に対する寛容についてです。 かの同国民であれば、その当日のストのみならずストそのものの理念や歴史経緯も含めた一切を理解した上で(あるいはあまり理解していなくとも)、互いの個人主義を尊重して認め合い、迷惑など多少なりともお互い様という寛容の精神を示す傾向があると、その当時見知りました。 一方私の場合は、その理解におよそ至り難いということだけは自覚していました。 なので、自ら蒙った迷惑につき、いかにイライラ悶着せずに済ますかを一番に思案しました。 結論としては、郷に入れば…という文化や価値観の差異をみとめることで、他者の個人主義に大して寛容になるように気持ちをもっていったのでした。 ただし、この場合はたまたま運よく予約していた便が(ロクな軽食すら積載せずとも)日本に向けて無事離陸したからの話でして、 もし仮に欠航となっていたならば、寛容の心を抱く余裕などとても持てなかったであろうとも思います。
お礼
ありがとうござます。なるほど、寛容の精神を発揮するのは、そうした意味での迷惑をかけられた際にも当てはまるのですね。確かに私もイライラしないようにしたいと思います。
補足
迷惑をかける=最大限に避けなければならない悪、という考えが日本にありますが、これは集団主義的な考えなのかもしれませんね。そして個人主義には、迷惑を遠慮なくかけ、迷惑をかけられてもある程度は許す、という考え方が、必要なのかもしれません。 問題はどの程度までを許容範囲とするかでしょうね。それは法律が決めていることに従うことになるのでしょう.というのも、マイルールを言い立てても意味がないのであって、共通のルールを模索すると、最終的には法に行き着くからです。 さて、この考え方を適応すると、Fuck youの写真は、違法ではないのだから、大学が処分するべき問題ではなかったろうな、と思います。処分するべき問題とは、盗み、強姦などの犯罪を学生が犯した場合です。そういう時には記者会見になりますよね。マイルールを適応すると、集団主義になってしまったという事例に思います。
- littlekiss
- ベストアンサー率14% (98/698)
両刃の剣 http://www.jeiu.or.jp/qa/2007061500039.html http://www.hou-nattoku.com/consult/773.php 同じ年収の場合 年俸制 ―保険料負担年功序列に比べ軽い―受取年金額少ない 年功序列―保険料負担年俸制に比べ重い―受取年金額多い
お礼
ありがとうございます。年功序列、終身雇用などは、集団主義から生まれたものだそうですね。家にいる老人を大切にするような気持ちで、会社にいる年長者を大切にしよう、と。会社という大きな組織も家族の延長と考えるのですね。 しかしご指摘のように日本は年功序列を優遇して、年棒制に対して配慮がないかもしれません。つまり個人主義には、対応していないということですね。依然として集団主義である日本、ということになりそうでしょうか。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは。 心理学的に、「あらゆる攻撃は「防御」」なのだそうです。 「不寛容」を貫く道は、あまりにも(!)険し過ぎて。 >「案外、何も考えていないのじゃないかなあと思っていますが、こうした現状について考えるところを教えてください。」 「「soreが、チミらの仕事なのだよ、」と言われれば、そんなものかね、そんなものなのかな。
お礼
ありがとうございます。なるほど、自らを守るために寛容にならざるを得ないことがあるというのですね。確かに見落としていました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
お礼ありがとうございました。 >それは潰れかけた会社が悪いのでしょう。デマ程度、管理できなくてどうします。一流企業はそんなことでは潰れないと思います。 質問者様の考えはそうでしょう。 他の人も、全員が同じ意見ではないからリスクマネジメントなのです。 会社が潰れないにしても、株価が急落して社員を首にした話しは、いくつもあります。 入社して首になるより、学生の内に成長するほうがいいのです。 >>何も考えずに行動して、自分が所属している集団に迷惑をかける行為を理解し自制する。そのラインをきちんとわきまえている。それができるからこそ、個人主義は通用するし尊重されると思います。 >おっしゃっていることは、実質的には集団主義ではないでしょうか。集団を維持することを最優先しているのですから。 分別を持てば、いいという話しです。 個人が好き勝手にふるまえば、それは利己主義です。 集団と個人は、敵と味方ではなくお互いが味方同士です。 自律した個人が、より強い集団を作る。 つまりは、他者に迷惑をかけない個人になること。 集団は個の集まりだから、自分以外の個に迷惑をかけるのはやめましょうって話しです。 集団は個を活かすため助け合うためにあるのですから、集団の成り立ちが分からないと話しは平行線ですね。
お礼
補足どうもありがとうございます。 >質問者様の考えはそうでしょう。他の人も、全員が同じ意見ではないからリスクマネジメントなのです。 ですから私は自分を個人主義的であると考えています。他の考え方の方もいるでしょうが、それを集団主義的だと位置づけています。 >入社して首になるより、学生の内に成長するほうがいいのです。 ? 会社に入れなくなるかもしれませんよ。制裁の程度が大きすぎやしませんか。成長を促しているのなら、内密の注意で良いでしょう。かくも大々的にやれば、社会的制裁を加えていることになります。 >集団は個を活かすため助け合うためにあるのですから、 All for one, one for allって、集団主義の典型的な考え方としてよく知られているんですけれどもね。それを支持なさっているということで、理解いたしました。 >集団の成り立ちが分からないと話しは平行線ですね。 分からないという言い方は失敬ですね。あなたは集団主義にとっての集団が分かっているおつもりでしょうが、私は両方知っています。その上で、集団主義的な集団が最上とは思わない、と述べているのです。 しかし、これはあなたから見れば、集団主義の素晴らしさを認識していないということになるのでしょう。その素晴らしさを共有できないのでフラストレーションをお感じになっているのでしょう。 申し訳ないですが、私にとってそれは小さな問題に過ぎません。あなたにとってもそうじゃないですか。だって私は個人主義で、あなたと考えが違うことは最初から分かっているのだもの。立場の違うもの同士、意見交換ができたらと思っていたのですが。持論をぶつけるだけなら、つまらないですよね。面白く話してもらえませんか。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
(1) >本当は批判してフルボッコにできるのに できません。っていうかやりません。 それは感情に振り回されているだけで、対処になっていないからです。 必要なのは、今を乗り切る対処方法を実践することであり 同じ誤りを二度としないこと、その対策であると思うからです。 寛容になった経験は日常的にありますが、このような所でオープンにはできません。 私は、自分も個人主義であると共に、働いてもらってる個人個人にも尊重と尊厳を保ちますから。 (2) 質問者様の例えの話しでしたら、処分は必要だと思います。具体的な処分と重さが比例しているかは別として。 なぜならば、写メで友達に送ってもプライベートで済みます。 写真にとって身内や友人などに見せるのもプライベートだと思います。 それは問題になりません。 ネットで誰でも見れる状態の所に上げたと言うTPOの欠如が問題になっている思います。 つまりは、本人がリスクマネジメントできていないと言うことです。 以前、根拠のない噂が広まり地方銀行が潰れかかりました。 大元は、女子高生の世間話からです。 それが伝言ゲームにメールやネットで広まり、預金者が押しかけて自分の預金を下ろそうとしたからです。 会社は信用が第一です。 信用を失うことが即命取りになる社会が今の社会です。 社員がちょっとしたジョークで「今の会社、実は危なくてさ」の一言が 場合によっては、数日後に株の急激な下落に繋がり会社再生法に乗っかる危険を常にはらんでいます。 一部上場企業でしたら、そんなリスクに無頓着な社員を入れる訳には行きません。 大学で処分された学生は、ある意味幸せです。 痛い目を見れば、これからは自分の行動をよくよく考えるようになるでしょう。 学生の内でまだ、助かったのですから。 もし、会社が潰れることがあれば、他の社員と家族が道づれで路頭に迷うはめになります。 そんな社会が、今の時代なのです。 何も考えずに行動して、自分が所属している集団に迷惑をかける行為を理解し自制する。 そのラインをきちんとわきまえている。 それができるからこそ、個人主義は通用するし尊重されると思います。 自由には自己責任がある。 寛容さは大切ですが、すべてにおいて寛容であることはできません。 行動をわきまえること。 許されることと許されないことを自覚することが社会人として大切かと思います。
お礼
ありがとうございます。 >寛容になった経験は日常的にありますが、このような所でオープンにはできません。私は、自分も個人主義であると共に、働いてもらってる個人個人にも尊重と尊厳を保ちますから。 それはそうですね。もっとも、大して詳しくなくていいのですが。 >ネットで誰でも見れる状態の所に上げたと言うTPOの欠如が問題になっている思います。つまりは、本人がリスクマネジメントできていないと言うことです。 うーん。どうでしょうね。異論があります。 >以前、根拠のない噂が広まり地方銀行が潰れかかりました。 大元は、女子高生の世間話からです。それが伝言ゲームにメールやネットで広まり、預金者が押しかけて自分の預金を下ろそうとしたからです。 それは潰れかけた会社が悪いのでしょう。デマ程度、管理できなくてどうします。一流企業はそんなことでは潰れないと思います。 >何も考えずに行動して、自分が所属している集団に迷惑をかける行為を理解し自制する。そのラインをきちんとわきまえている。それができるからこそ、個人主義は通用するし尊重されると思います。 おっしゃっていることは、実質的には集団主義ではないでしょうか。集団を維持することを最優先しているのですから。
- maruikamo
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おもしろい質問ですね。 しかし、Diekbecさんのおっしゃる「寛容」「個人主義」「集団主義」のどれも、ご質問を読む限りでは、人によって色々な解釈に分かれてしまうと思います。 例えば「寛容」を同じ事象を多角度から見ることと捉える人もいれば、自分の考えに反したとしても文句を言わず黙っていることだと捉える人もいるでしょう。 「個人主義」を、自分で自分の行動の結果に責任を持つことだと捉える人もいれば、気分の赴くままにやりたいことをやることだと捉える人もいるでしょう。 「集団主義」を協力することで個人では不可能なことを達成する手段だと捉える人もいれば、特定の型にあてはまらない者は排除することだと捉える人もいるでしょう。 ただ、ご質問の内容から、Diekbecさんが何か個人的な人間関係においてフラストレーションを抱えていると仮定して、できるだけ建設的になるように意見を述べてみようと思います。 (1)について 人間の行動や性格特性は、自分の習慣や好みから離れて考えるようにすると、ある場合には非常に面倒を引き起こすものが、別の場合にはうまく働くということがよくあります。ですので、その同じ特性を、どうしたらうまく働くように導けるか考えます。 自分はたいした例が出せませんが、同じ作業を単純に量で分割して横並びでさせたところ、同じ職位でも他よりスキルが高く、プライドも高い人が明らかに腐っていたので、作業を分割しなおしてその人はチェック・修正をする、という段階を入れ、その後で全員でなぜそのように直すのか、本当にそれでいいか、といった確認をするようにしたら、スキルの低い人からは勉強になった、高い人からはやりがいがあった、という感想をもらったことがあります。 「周囲に気を使わせるほど腐っていた」という社会人らしくない態度の部分だけ注目して注意していたら、その人は不満をためこみ、せっかく高い能力を発揮しなかったでしょう。ただ、これは単純で簡単に解決できるようなケースであったとも言えます。だからといって厄介なケースに取り組まなくていいということにはなりませんけどね。 (2)について Diekbeckさんのおっしゃる「ミス」とは、ある特定のルールに反する行動を取ること、という理解でよいでしょうか。例に挙げておられる大学からの処分や就職試験の話は、「実際は分からないけど、面倒になりそうなことはとりあえず避けておく」というルールに基づく行動のように見えますね。それがエスカレートすれば、確かに「その集団の中でやってもいいこと」の範囲は狭まるでしょう。 しかし、「ある特定のルールに反する行動を取ること」を集団主義とした場合、人が思いつかないようなことができないと、その集団から外されてしまうような集団もあり得ます。普通に大人しくしていると、それはミスとして指摘されてしまう集団です。それも非常に不寛容に適用され得ます。Googleのような会社はきっとそうなんじゃないでしょうか。 日本は集団主義で、欧米は個人主義、という使い古された言い方がありますが、Diekbeckさんがお気づきのように、欧米は個人主義ではありませんね。日本に比べると、それぞれ多様なルールを持った小集団が一国に寄せ集まっているのであって、それぞれの小集団の中での束縛は日本よりもむしろ強いように思います。そのため身動きが取れなくなっている面もあるように見えます。 日本は桁違いに大人数の人がもう少し緩めのルールの範囲で暮らしているために、むしろ自由な面があります。ある程度ルールに沿った公の顔を保っていれば、プライベートは何でもありが許されていると思います。 ただ、企業のグローバル化などで、日本の大集団も欧米型に細分化されていく過渡期なのかもしれません。となると、自分がどのような性格の小集団を形成できるか(受動的に考えれば所属できるか)という部分に、自分の行動範囲の幅が左右される、ということになります。
お礼
ありがとうございます。 >しかし、Diekbecさんのおっしゃる「寛容」「個人主義」「集団主義」のどれも、ご質問を読む限りでは、人によって色々な解釈に分かれてしまうと思います。 そうですね。これはどうしようかと思いましたが、そこまで指定すると回答がしにくいかと思いました。問いも、ある種の概念を練り上げようという類いのものではなく、各自の経験を伺って、思索の糧にしようという緩いものです。Wikipediaにいろいろ書いてあるので、まあ、その程度を念頭においてくださったらいいかなとは思いました。 >ただ、ご質問の内容から、Diekbecさんが何か個人的な人間関係においてフラストレーションを抱えていると仮定して、 お気遣い、ありがとうございます。とはいえ、これは違うのです。このカテの住人の他の質問に答えていたら、こういう個人主義についての考える際の肝となる「寛容」という考え方が浮かび上がってきました。それを発展させた形です。 >(1)について 人間の行動や性格特性は、自分の習慣や好みから離れて考えるようにすると、ある場合には非常に面倒を引き起こすものが、別の場合にはうまく働くということがよくあります。ですので、その同じ特性を、どうしたらうまく働くように導けるか考えます。 ありがとうございます。確かに私が寛容をもっと定義しておくべきだったかもしれないと思いました。むしろミスをした人を前にした時、わーわーと批判できるが、そうしなかったという事例を想定していました。部活などでもあるでしょう。ドンマイって言って、相手のミスを流したりすることが。ここでは、腐っている社員に対して寛容な接し方をした事例を紹介してくださった、ということでしょうか。 >(2)について Diekbeckさんのおっしゃる「ミス」とは、ある特定のルールに反する行動を取ること、という理解でよいでしょうか。 法律もルールですし、道徳規範もルールというのであれば、そうなりますね。 >例に挙げておられる大学からの処分や就職試験の話は、「実際は分からないけど、面倒になりそうなことはとりあえず避けておく」というルールに基づく行動のように見えますね。それがエスカレートすれば、確かに「その集団の中でやってもいいこと」の範囲は狭まるでしょう。 はい。そうですね。 >しかし、「ある特定のルールに反する行動を取ること」を集団主義とした場合、 これはわかりません。 「ある特定のルールに反する行動を取らせないことを集団主義とした場合」の間違いではないですか。 >普通に大人しくしていると、それはミスとして指摘されてしまう集団です。Googleのような会社はきっとそうなんじゃないでしょうか。 そういう会社もあるでしょう。しかし、それは個人主義ですよ。それに当初から契約でどのような行動をとるべきかが決まっているはずです。集団主義というのは、空気読んで行動してよー、というやつです。これも定義しておくべきだったかもしれませんね。 >日本は集団主義で、欧米は個人主義、という使い古された言い方がありますが、Diekbeckさんがお気づきのように、欧米は個人主義ではありませんね。 私が気づいているのですか。特にここでは書いていませんが、ぶらじゅろんぬさんの問いへの投稿をお読みになったのかな。欧米は個人主義ではないという全否定ではなく、一部ではそうでもないという部分否定で書いたつもりでした。 >日本に比べると、それぞれ多様なルールを持った小集団が一国に寄せ集まっているのであって、それぞれの小集団の中での束縛は日本よりもむしろ強いように思います。そのため身動きが取れなくなっている面もあるように見えます。 例えば、どういう事例でしょうか? すみませんが、おっしゃる意味が取れません。 >日本は桁違いに大人数の人がもう少し緩めのルールの範囲で暮らしているために、むしろ自由な面があります。ある程度ルールに沿った公の顔を保っていれば、プライベートは何でもありが許されていると思います。 許されていない様ですよ。例えば松下電器など、会社は人也というキャッチフレーズのもと、プライベートもとても親密です。これが許されていたら、個人主義の国になっているでしょうね。 >ただ、企業のグローバル化などで、日本の大集団も欧米型に細分化されていく過渡期なのかもしれません。となると、自分がどのような性格の小集団を形成できるか(受動的に考えれば所属できるか)という部分に、自分の行動範囲の幅が左右される、ということになります。 ・・・うーん。それは会社選びにかかっているのでしょうけれど、この点は何十年も前からそういうことになっているでしょう。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>(1)寛容になった経験は? 中途採用で、ソコソコの仕事ができそうな人物を採用してみたら、新しい環境に適応能力が無く、前の職場と比較して何が悪いかを指摘するだけの評論家だった。それでも寛容に雇用を続けようと考えていたところ、本人が三カ月で辞めますと言ってきた。研修期間の給与を返せと言いたかったが、個人主義だし、法治国家だから、無駄に給与を払ってさよならしました。 >(2)日本の近況について 日本の大企業は、すでに終身雇用の人件費に耐えきれなくなって、セカンドキャリアだとか、早期退職を言い出しましたので、集団主義の強さも失ってゆきます。 一方の小企業は、もともと家族主義ですが、これには合う合わないがあった訳で、余り変わっていません。 少し、良い面をご紹介すると、組織に依存してサラリーマンを一生続ける人が減少して、40代、50代でも組織を飛び出して、自分で食っていこうとする人が増えている事があります。なかなか思いどうりには行かないものですが、そういう人がふえることが日本を強くしてゆくと思って、歓迎しています。
お礼
どうもありがとうございます。研修や教育は「寛容」の軸となる考え方だとあらためて思いました。 >すでに終身雇用の人件費に耐えきれなくなって 自発的に個人主義になったというより、やむなくそのようになったというところのようですね。こう見ると日本は依然として集団主義であって、そのまま留まりたい様です。 漱石の文明開化のエッセイでは、外国の圧力によって開国したのであって、気持ちがまだついていかないという趣旨のことが書いてありましたが、それと同じことが現代の個人主義についても言えるのかもしれません。 しかしそうであったとしても、ポジティブに捉えていこうとする動きはあるのですね。いずれは日本は個人主義の国になるでしょうから、そのように考えた方が生産的だとは思います。
お礼
ありがとうございます。 >”これは社会が立ち後れている証拠だ” これは疑問です。何をもって後れているというのでしょうか。欧米キリスト教文化に合っていないから、後れているとしか読めません。 私は特にこの「立ち後れている」説を支持していないので、他人事として紹介しますと、社会が豊かになっていくと必然的に寛容になるはずだ、ということのようです。 >(1)寛容になった経験は? 後は、人間は必ず死ぬと、判ったときです。何をやってもいずれ死ぬのだから、何でもいいじゃないのという感じです。 深いですね。なるほど。 >>(2)日本の近況について 最近、日本はミスにうるさく、不寛容になって来ているような気がします。 その結果?、若者が「草食系」などと言われるように萎縮していると思うのです。 >それはもの凄く感じます。私は法律をやっていたのですが、何を始めるにしても法に引っかかる場合が実に多いのです。 消費税還元セール禁止法などそうですね。 >”集団主義こそ好ましいからわざと抑圧しているのだ、と言われればそれまでですが、そうなのでしょうか” 私は、日本の集団主義は非常に好ましいと思っています。というか、他に方法はありません。 しかし終身雇用制度が解体され、もう集団主義でやれなくなるような気がします。 >集団主義に基づく日本にあるのは、お互いに監視、抑制する関係だけです。 うーん。それはやりすぎると、大変なことになりそうですね。 >”案外、何も考えていないのじゃないかなあと思っていますが” 意識的にやっている訳ではないでしょう。無意識的に、日本人的にやっているだけです。 そうでしょうね。