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私は私に相当しない
素直でいたいというのは甘えですか? 偽るべきというのも人間らしさからきますか? 理性とは理屈が通っていることですか? 下らないの否定、下らなくない?ってどう言いますか? 気分屋であるため私らしさの理屈を必要にします。 でも動機から遠ざかってるし身につかないのはなぜなんだろう!
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素直は人に言えば誉め言葉になる、素直に生きるのはむずかしい、リスクがつきもので甘えはそれから逃げること。理性は理屈が通っているかより、理屈が理解できなければ理性を抑えることができない、真実を持ちながら偽るのは人間ですね、自分が自分に相当するかは意識や周囲、すべての、ものごとに相当しているか?否定は自分と異なり、下らないか下らなくないは自分に相当しているかどうかで下らないの言い方に回答はないです、あなたの自由発想を聴いている気分になりました。正解はない
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- Mokuzo100nenn
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>その中から「愚拙」を選んで自己申告するとは、どういう自己認識で!? 徒弟時代にドイツ語を勉強して、ガツンとやられてしまったんですね。 この言語で考える奴らに対して、日本語で考える我らは(数学、理学、工学、法律方面では)勝ち目が無いぞ、とな。 でも、日本語が母語だし、日本に住んでいると日本語を使うしかない。 であれば、ドイツ人がガツンとくるように、日本語にあってドイツ語にない部分をつかおうじゃないか。 謙譲語ですね。上等なドイツ人はちゃんと謙遜しますけど、謙譲語がドイツ語には無い。 まして、一人称はいつもIchだしね。 で、日本語で謙譲の一人称、男性が使うのは拙者が良いと思ったんですよ。 拙という文字が入っているから、リテラリーに謙っていて、解りやすくて良いのじゃないかと。 ところが、明治の御維新以降、日本人も日本語もかわっちまって、現代では拙者と自称すると、謙っているのに「生意気だ」という評価をされるんですか? ならば、現代人でも誤解の余地無きよう、愚拙としてみた。 愚説との掛け言葉になっているんですよ。(言わない方が奥ゆかしかった?)。 息子を愚息とよぶよりも、豚児と言うのが好きで、本当は豚を使った一人称が無いかと当たってみたが、豚は息子だけみたいだ。 で、将来、日本語にも造詣の深い上等なドイツ人と日本語で語り合う時に、愚拙を使って、ギャフンと言わせてやろうと楽しみしておる。 >人生の残り時間、そんなに沢山なくてもいい…演じるのも良心が痛んだり疲れる。 残り時間が多いから、(残り時間が少ないことに気付いておらんから)、そんなことを言っておれる。 >頭の中や部屋の中、気にかけてくれる人も、必要にして充分なだけがいい。 これは無理ですね。 なぜって、必要量が時として急激に増減するのであって、供給側はその変化についてゆけない。 気にかけてるれる人など必要ないと感じている時期が10年ぐらいあって、その時期を通して希望どうり(必要どうり)の希薄な人間関係を構築できたとたんに、「もっと気にかけてくれなくちゃ生きていけない」などと思うのが人間じゃろう? 頭の中なんて、30年もかけてて一杯にしたのに、いきなり必要以上は要らんと言っても激変に追随できないの。 >自分が理想としたい自分に相当しない、としてこれは私だけの責任ではない! 気持はわからんでもないけど、それが相当している状況とは、すなわち理想を無くした状況ではありますまいか? SollenとSeinですがね。 Miko-Desiさんは、自己に関するSollenが強い人だから、いつまでたってもSollenとSeinは一致せんよ。 >周りが、全く下らないせいです!! >全く平和で下らん! 周りが平和で下らんことと、Miko-Desiさんの自己像の分裂はどんな因果関係があるのか? 周りが戦争中で、しかも上等な奴ばかりだったら、自己の理想と自己が相当するかい?? 酔っ払いが管を巻いているときの発言のように、因果関係など追及してはいかんのかな?
お礼
ありがとうございます。 お礼が遅れてすみません。 お礼を引き伸ばす意はなく まとまりませんが、やるだけやろうと思います! 愚説とかけてたなんてアイロニー溢れさします。 自分を見張るばかりの我を忘れられない人は自分をまだ知らない。謙譲しない。 自分をなくせない、忘れられないから、人に対して譲ればかりいいますし。 とにかく実行力あっての価値と儚さ虚しさを知るなのですから 愚かさを知る潔よさ、しかしまだ呑気さがあって 相手の負担を軽くしてくれるいい表現だと思います! 合理的な言語に敬語があっても謙譲語ってないんですね。 BUSHIDO" -The Soul of Japan-が新渡戸稲造さんによりアメリカで発表され、 その精神性を西洋の知識人に紹介して驚愕させたのが明治32年(1899年) 今から113年前!!日本は随分本体を無くしたけど、まだ在り続けてる。 独特の精神性を育み未だに「日本の常識は世界の非常識」であることについては 胸の内に誇っていい思う。 上等な西洋人?に「愚拙」の概念が理解可能だとしても、 今までなかった実体や実行を伴えないのでギャフン(死語?)ものなら、 そのまま借用してもらうしかないでしょうね。 武士が使う「拙者」は地位と権限を誇示した勝利宣言、「驕り」に感じさせるかも。 キュートとかプリティーは「初ひやつ」でしょうか? 脅威のない未熟者に対しての勝利宣言。として 「可愛い」は相手の評価をSollenしつつ更に価値を見出せた自分は偉いSeinで!? ペットに対しても、肥満児にも、ドクロでも骨壷でも アインシュタインであろうが、ヒットラーであろうが自由自在に応用できる便利な言葉。 飛ばしすぎ? >必要量が時として急激に増減するのであって、供給側はその変化についてゆけない。 >頭の中なんて、30年もかけてて一杯にしたのに、 いきなり必要以上は要らんと言っても激変に追随できないの。 人の成長に常となるもの、比較級が用いられるべきな規則がありそうで、 頭の出来は人によりけりですけど、私は特に乱数的なものが大きく占めますね。 ないとき全くないのでカッコつかずでも、死ぬほどのこともなく工夫すればなんとかなる!
補足
お立場上、日本人であっても謙譲語がお使えになれない天皇皇后両陛下を除きます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>真剣に甘えるというのがありましょうか? 無いです。 とくに、miko-desiさんは真面目で強い人だから、甘えないでしょうね。 でも、人は、その面では変わることがありますよ。人との出会いなどで、、、。 愚拙はこの歳になってから、ようやく「厭だよ!」とハッキリ言えるようになったし。 先日も家人が外食はパスタが良い言い張るのですが、ハッキリと「厭だ!」と言い放ち、家人たちと別れて、一杯飯屋に一人で行きました。 愚拙は、このような発言をしたり、行動に出る人間ではなかったので、我ながら自分の変化を感じています。 愚拙の場合は、人との出会いで変わったわけではなく、人生の残り時間を考えて変わったのだと思います。 人は必要になると変わることができるんだと思うな。
お礼
ありがとうございます。 日本語の第一人称の多さはずば抜けてますね。 その中から「愚拙」を選んで自己申告するとは、どういう自己認識で!? 簡潔で皮肉たっぷりの回答も、丁寧な専門の難しい回答も出来る方なのに。 私には真似ができないことで、「そんなご謙遜を」 そのギャップがまた面白くもありますけどね。 人生の残り時間、そんなに沢山なくてもいい…演じるのも良心が痛んだり疲れる。 頭の中や部屋の中、気にかけてくれる人も、必要にして充分なだけがいい。 (純粋)意識は完全であるか存在しないかだけで、 考えるということは「ノン」を測ることだ。 これは自分の自分からの分離とアラン。わかるようなわからんような; 実はパスタに失礼にならないかとか?
平行線のままなので これで最後にしたいと思います。 蹴飛ばされるのを覚悟で書きましょう・・・。 感性の有りようが少し変わっただけで、この世界はがらりと違ったように見えてきます。 そして、それは過去の世界観を否定はしない なぜなら、感性の働きが受動的であるという事には変わりなく、また、それらの情報は全て肯定されてしまうからです。 このリフレッシュというキーワードは体験によって明かされるはずです。 心が成長という変化から、進化という変化に移行した場合において、人は飢えてしまう事があるように感じます。 感性の変化がなければ満たされないのではないでしょうか。 自らの感性の有りようを自覚するという体験が、感性を変えてゆきます。 それはごく僅かな違いのようでいて、実は結果的には決定的な違いとなって表れてくるものです。 今まで捉えられなかった事が捉えられ、次々と既成概念に加えられてゆく事によって、新しい世界観が築かれてゆきます。 それは同時に新しい自分を手にすることでもあるはずです。 進化しない自らへの不満・・・その飢えが満たされるためには この世界を改めて知るという単純な体験を通して、少しでも感性の変化を手に入れることが必要なのではないでしょうか。 旅行もよし 紫陽花を描くのもよし お好きなようになさってください。 何かをすれば、それだけ新しい自分が近ずいてきます。 それではお元気で。
お礼
ありがとうございます。 感性→目標 世界→成果 体験→行為 などと貰った回答を置換して遊んだりしてました。 人生を豊かにするのは目標ではなく行為という論に会ったからです。 「目標のある人生は空虚だ。 自分を屈し、イヤな相手を持ち上げ、時にはその人を利することすらしなければならない。 家に帰って一人、憤然とすることもある。 人生の豊かさを決めるのは勝敗ではなく、行為する機会そのものそれ自体が私の人生だ。 「辛い仕事」を積み重ねて出来た成果に自身で感謝する。 目標を誓うことより、私自身に感謝すること、それが一番、貴重だ」 武田邦彦 君はなにを目指すのか? http://takedanet.com/2008/08/post_4394.htmlより抜粋 紫陽花を見つけに、新しく与えられた私を見つけに、 そこに私は認識されなくても、 何かに受け入れられ、受け入れていくことが増すでしょうね。 行ってみます。
- amaguappa
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あなたの印がついている処に、あなたの実が落ちてきます。 あなたの振れ幅のとおりに、世界が落ちてきます。 深く感情に降りる道、そして戻る道、 こういうのが、藪や迷路にならないように。 そのあたりが理性であるとわたしは思います。 こういう道の筋の良さというのも、人それぞれですが。 ほんとうは、非線形物理の猪突さんと占象について話してみたかったのですが、 問いのたて方そのものがむずかしい。 私、という謎は、 その相当しなさ、についての謎は、 世界においてかなりやっかいな謎であって。 印の強度に呼応して、わたしの居場所がくっきりとする瞬間、 それを全的に是と許す、この力点の在るところの高さは まるで星のように遠いイメージでもたらされる。 あなたの気分屋であるところ、横に振れすぎとすると、ネックかもしれませんね。。。 動機とか、偽りとか、力学から言ってあまりそういう力学ではないものが大事で、 もうちょっと垂直の向きの、例えばアンカーのような力だと思うのですが。
お礼
ありがとございます。 長らくお世話になります。 ポンティは「言葉は思考の身体」という。 Q1パトス(身体)をロゴス(データー、言語)に置き換えることが可能か? グレマスは語群と非言語的な身振りから芸術創造に至る行為まで「表意集合」とし 現実と独立して自律した内的構造をもっているという。 Q2力学の詭弁性が表意集合に当てはまるだろうか? 身体と語群が対価をなし連関の内に交換され得るなら魔術。 外延的に捉えられる空間や時間を極少に固定したり 膨大な体系にまで膨らむこともあるのではないか? “印”は感情と理性の距離が最も短い、つまり結合していない図式かなぁ。 互いを矛盾としなければ現実世界の抵抗を感じれない。 感情と理性が矛盾なく混じり合えば、 「私」そのものの思考要素として私が外部に注意を払う必要がなくなるのだから。 身体と同じく正直であるだけ。 星のように遠い力点の高さ、、。 世界が私に落ちる入射角と反射角がほぼ垂直になることが 私らしさの居場所となるのでしょうか? 猪突先生達者で暮らしておられるかな? と私も思うことあります。わかりやすくてユーモアがあってファンも多かったですから。 これでも頑張って回答をヒントに物理力学っぽく懐疑してみました(疲) 実在な私と不在の私らしさの関係って謎ですよね。
形をなぞって線描がいいか、塗り絵がいいか 紫陽花が間もなく咲きます。 紫陽花は水彩画が一番いい 誰でも描ける 七変化という名前もついている お好きな色で描いてらっしゃい 時間をかけてはだめです。 さっさと描けば・・・あります。
お礼
ありがとうございます。 人の前に経験や正義も恐怖も存在しない。 それは無から描かれ、判断され創り出さなければならないことに由来する。 時間をかけてはいけないこととは、 迷いが生じて判断の輪郭がとれなくなるとうことなのでしょうか? 時間が足りないといつも感じる。 時間をかければ上手くなれると信じている。 実際要領が悪いので、いくら熟慮しても間違いを起こします。 何かこれでは足りないのかと初めは、次第に加えて増すより 削る決断が早急にされることがいいみたいですね。
補足
人の気持ちを考えたことありますか? 私はありません。
キーワードが見つからない キーワードさえあれば・・・という焦り 感性の芯をこじ開ける鍵 お教えしましょう ひらけごま ごめんなさい。 待つか、打って出るかは自由です。 もう大分待ったのでしょうから そろそろ打って出てみてはいかがでしょう キーワードは不要です。
補足
点と線と丸で!
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「私らしさ」というのが、感情や欲求をダイレクトに出す 事なら、それは“意識としての私”ではなく、意識の外 の肉体的・本能的な要素に支配されている事です。 もちろん人類であっても行動の原動力は、生物として の生きる本能以外にはないのは確かだが、そうした 条件反射的行動が社会的に妥当である=長期的な 精神的充足量の最大化につながる事は稀です。 つまり、真の「私らしさ」とは、理性(考え方)による 自制も含めた上でのものです。
お礼
>条件反射的行動が社会的に妥当である >=長期的な精神的充足量の最大化につながる事は稀です。 習性や習慣が不確かな常識をなぞる。 それが長期的に個の精神活動の可能性に繋がり 個の要素(自分及び外部との主客対立)を占領しつくすといううことは稀である。 哲学は翻訳業でもあります。という解釈にしてみました。
補足
ありがとうございます。 >条件反射的行動が社会的に妥当である=長期的な 精神的充足量の最大化につながる事は稀です。 具体的な事柄として参照できるものを考えてみます; お時間を頂きます。
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
人間は、汚いんだ。うそつきだ。俺も、嘘ばっか。でも俺は俺。仕方ないじゃないか。人間だよ。あきらめだね。
お礼
嘘つきや汚い人間になろうとせずとも、いつでもなれるものを、もうなってる…残念! 雨風が汚れた街を洗ってくれるなら、 私は汗かきべそかき進んで歩こうか! せめて建設的なもの、新しいものを求めたい。 誰にとっても損のない 摘んで飾ってよし、嗅いでよし、散ってよし?な花のような、ものがないだろうかと。 諦めは明らか、から来た語源ですね。 楽観哲学の規則は極意!tsufujifujiさんに極みが来ます。 幸福とは求めなかった人のところにやってくる、 別の幸福を適切に投げ捨てた人への報酬ともいう。
補足
ありがとうございます!
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”素直でいたいというのは甘えですか?” ↑ 素直というのは、感情のままに、ということで 感情を理性で抑えたくない、ということです。 そこには甘えがあるかもしれません。 ”偽るべきというのも人間らしさからきますか? ” ↑ 動物は、偽ることが出来ない、ないし苦手でしょう。 その意味で人間らしいと言えます。 ”理性とは理屈が通っていることですか?” ↑ 人間の脳は、本能を司る旧皮質と、理性を司る新皮質 とから出来ています。 人間の特徴は、新皮質が発達していることです。 理性とは新皮質の活動で、本能を制御することです。 理屈が通っていれば、理性的であるとは言えるでしょう。 ”下らないの否定、下らなくない?ってどう言いますか?” ↑ 申し訳ないが、何を言いたいのか、意味が解りません。 ”気分屋であるため私らしさの理屈を必要にします。 でも動機から遠ざかってるし身につかないのはなぜなんだろう” ” ↑ 気分屋ということは、新皮質が未発達だ、という ことです。 理屈が身につかないのも、新皮質の発達が十分でない といいうことです。
お礼
hekiyuさん理性のままに回答ありがとうございます(笑) 未発達な新皮質の建設的な側面を探ってでも弁護をさせてもらいますと、 死を揺りかごにしている動物?との分別が完了してないチャレンジャー。 アンチエイジングやバイオテクノロジーやクローンの開発に尽くす人も 動物は人間より貪って卑しい、とは誰も、賢い人ならなおさら言わないですよね。 本能と感情にに負けてまう理性、バカがバレてるのが悔しい。という尊厳?はかろうじてある。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>素直でいたいというのは甘えですか? そうとは限らないと思います。 >偽るべきというのも人間らしさからきますか? 人間らしさの悪しき側面と思います。 >理性とは理屈が通っていることですか? 理屈が通っていないと理性とは言えないので、対偶をとると、ご質問の答えは「是」となります。 >下らないの否定、下らなくない?ってどう言いますか? 二重否定を使うのは自信が無い時の表現です。「上等だ」というのがくだらないの反対ではないでしょうか。 気分屋であるため私らしさの理屈を必要にします。 >でも動機から遠ざかってるし身につかないのはなぜなんだろう! 知性よりも情緒に価値を置くタイプの方でしょう、きっと。
お礼
ありがとうございます。 甘えの反対は真剣さだと思います。 ちゃんと締まってるのがいいのか遊びのあるのがいいのか用途次第、きっとそんなのあると思う。 甘えと真剣さは表意一体ではないよう。 甘え上手ではないし、いい加減でもあるし、どちらも本体の私から遠い。 真剣に甘えるというのがありましょうか? やはり自分を探すのは掴みどころの無い幽霊探索みたいだ。 下らないの反対は上等ですね! 愚問だったかもしれませんが、気がつけて良かった感。 ありがとうございます。 何を見て何に気付けるだろう。 万が一余計な知識が増しても 私に優しい世界がこの目にずっと映りますように。 一杯一杯感謝して死ねますように。
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お礼
ありがとうございます。 質問の一つ一つに答えてもらえましたこと感謝です。 特に「理屈が理解できなければ理性を抑えることができない」という表現は新鮮でした。 私は感情をどうにか抑えられないかと考え続けてたわけで、 理性を抑える理屈ってのもあっていいですよね! 甘えはリスクからの逃げで、素直になる難しさが理性を鍛えて? 強くしてくれるものであるかも。 理性といいながら、傷つき易さから逃げてるだけだったりしそうです。 自分が理想としたい自分に相当しない、としてこれは私だけの責任ではない! 周りが、全く下らないせいです!! 全く平和で下らん! 上等なお人もおられます。 なぜか病院とは昔から相性が悪い、 体の具合が悪いとか、身内の心配があって相談に行くのに 気分だけでも回復して帰れたことがない! 上等や! 失礼しました。
補足
自分で自分を素直に感じとれるのはお腹抱えて苦しいぐらいに笑ってる時ぐらいかも。 笑いはなんて深いところから来るのだろうと、さっき気づいた。 外国人がよく意味も知らずに日本語のタトゥーして、それが変な日本語になってるの(笑)見て。 役者さんであったら堪える演技も要求されますね。 恥ずかしさを堪えるのと理性を堪えるのと出来そう、 でも突発的な笑いを堪える尊敬です! みなさん回答ありがとうございました!