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なぜ、男性は女性に恋をするのか

誰かを好きになる時、非理性的にその人を好きになります。最初の「好き」の感情は、非理性的で、盲目的であっても、その恋の対象が、余りにも、いわゆる「あり得ない」言動をとると、さすがに覚めます。 とすると、如何に非理性的とはいえ、完全に理性のたががはずれて、まいっているわけではなさそうです。深層心理にはある願望が関与して恋をするような気がします。 また、繁殖するためだけならば、性交をするだけでいいので、わざわざ好きになる必要はないのです。 なぜ、人間は恋をして、相手を大切に思い、特別なものと感じるのでしょうか? 教えて下さい。よろしくお願いします!

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回答No.12

 恋における理性的、非理性的ということを考えるにはまず理性とは何かを考えなければならないでしょう。これに対しては古今東西様々な哲学者が挑み、格闘して来ました。ですから明確な答えを得るのは難しいですが、基本的には人間に固有の精神の働きだとされ、高度に知的な営みだと考えられてきました。人間=理性的被造物の図式は中世西洋哲学に見られる典型的命題です。  ただ、現代の感覚からすると、人間は神によって他の動物より優れたものとして作られたなどのかつてのキリスト教世界に見られた考えは、あまり受け入れやすいものではなく、むしろ人間も動物の一種であり、理性も動物としての人間の能力、あるいはその一部を名づけたものだと考えられます。  さて、理性は一般に知的なものとされており、哲学の分野ではかなり特権的な地位を与えられてきましたが、普通の会話で「理性的」というと、「批判的」などの意味というより「冷静」に近いニュアンスだと思われます。いずれにせよ、それが動物としての人間の能力ならばその源泉は生きる欲動としての本能に帰することが出来るでしょう。とりあえず、理性=本能の働きの一つ、とします。  では非理性的な瞬間、言い換えれば冷静でないときには本能は働いていないかというと、そういうこともなさそうです。というのは本能の一般的定義からしていえるでしょう。  だとすれば理性的と非理性的を分けるのは何か、ということが問題になりますが、本能を自分の欲求として自覚しているか否かだと思います。それを本能だと認識する必要はありませんが、少なくとも理性的であるときには、自分が何を欲して何を欲しないかはわかっていると思います。kumotyannさんの言葉では「覚める」といったところでしょうか。その前後はわかりませんが、その瞬間にはかつて恋愛対象だった相手を欲していないということを感じていたのではないでしょうか。  さて、非理性的に恋に落ちるというのはいかなることかということですが、これも本能の関与するところでないことはないでしょう。恐らく次のように言えます。本能の選別によって、もっとも自分が必要としている人を恋愛対象として認識している。それには二つの側面があると思われます。(1)種の存続、(2)自身の安全。  (1)についてですが、すべてにおいて人より劣っていると思われ、なおかつ母性本能的な欲求も起こさせない人に恋はしません。恋は盲目といいますが、相手にどこかしら優れているところがあるように恋するものには感じられるのです。それが純粋に知的、あるいは肉体的能力である必要はありません。優しいとか格好いいで十分でしょう。  (2)についてですが、安全といったら大げさかもしれません。平たく言えば、一緒にいて辛い人、他の人といたほうが心地よいような人を恋愛対象とは呼べないでしょう。  これら二つの要素を足し合わせ、他の対象候補と比較した結果、具体的な誰かに恋をするものだと思われます。  ではなぜそれは理性的な行為にならないのか。これは習慣による抑圧に対する本能の防衛反応だと考えられます。  私たちは習慣的に、もしくは道徳的に打算的行いを恥じます。これは、すべてを計算で済ませれば、計算の結果人類にとって採算の悪い者たちは自然と抹消される方向に傾きますが、多くの人はそれに恐怖し、その恐怖から計算的な行いを禁じるよう本能が働きかけたのが起源だと思われます。これが大勢の共有するものとなって、道徳としての権威を得たのでしょう。  しかし上に述べたように恋は計算的です。計算的でなければ本能は困るのです。けれど計算的であってしまえば他のところで本能は自壊するかもしれない。そこで計算していることを押し隠すという手段に出た、と考えられるでしょう。だから恋は理性的ではないと思われるのです。仮に自分は確実に人より優れていると思っていて、計算的な行いを恥じるという道徳を捨てれた人がいれば、その人の恋は多く理性的でしょう。むろんそれを恋と呼ぶかどうかは文学者などの仕事ですが。そのような人でも盲目的になることがありえるのは、今度はプライドという本能との対決によるのでしょう。  以上でどの疑問に対しても、一応の、私なりの見解を与えることが出来たと思います。  私のような考え方は冷たく感じられるかもしれませんが、言い方を変えるなら私の考える「好き」とは、いいところをたくさん持っているように思われる人の他のいいところをさらに探そうという心の奥底からの営みであり、「恋」とはそのような相手と一緒にいたいという心の奥底からの呼びかけであり、とても暖かいことなのです。本能の奥底から一緒にいたいということは、幸せな願望だと思います。

noname#17334
noname#17334
回答No.11

>誰かを好きになる時、非理性的にその人を好きになります。 そうは思いません。好きと感じる背後には、自我が渇望する要素を充足させようとする 極めて利己的な判断があると思います。 異性を好きになるのは、ラーメンが好きとか、プードルが好きという嗜好とは趣が 異なる部分があります。 >最初の「好き」の感情は、非理性的で、盲目的であっても、 最初の好きの感情は、極めて理性的なのです。この女性の美しい容姿と自分がベッドで 一体化したいとか、上品でたおやかな雰囲気を自分の下品で荒々しい自我で蹂躙したいなど、 一定の行動計画を伴う思考が脳裏で急速に駆け巡る。そのスピードが速すぎるがゆえに 人は自分が思考していることにすら気がつかない。 >その恋の対象が、余りにも、いわゆる「あり得ない」言動をとると、さすがに覚めます。 あんまりそういう経験ないですけど・・要するに興ざめというやつですか。 杉田かおるが、歯並びの悪い笑顔みせたりしても興はさめますけど。 美人ちゃんが生理用の無粋なパンツ履いていたりすると覚めるというのもあります。 >とすると、如何に非理性的とはいえ、完全に理性のたががはずれて、まいっているわけ >ではなさそうです。深層心理にはある願望が関与して恋をするような気がします。 そうですよ。やっとわかっていただけましたね(^^) >また、繁殖するためだけならば、性交をするだけでいいので >、わざわざ好きになる必要はないのです。 好きにならないと、いけない理由ですか。それはトンボの世界なら好きにならなくていい ですが、人間社会は農耕民族でも狩猟民族でも家族という単位で生活する習慣があって 妊娠する女性を庇護して安心して子を産ませるというか、人間の場合10月10日間も 妊娠期間があって、おまけに未熟児みたいな状態で生まれてきて生まれても立てない 走れないという体たらくですから、父親という存在と育児という行為が必要なわけで 少しは気にかけてもらわないと女はおちおち子供も生んでいられない。 まぁ こういう説明で御了解願いませんかねぇ。 >なぜ、人間は恋をして、相手を大切に思い、特別なものと感じるのでしょうか?  まぁ それとこれとは別問題だなぁ なぜ人間は恋をするかというと、村上龍の本に書いてあったけど、 恋は誰でもできるものではないという認識が大事なわけです。 なぜ人間は恋をするのか・・・て平然とかかれちゃうと、困っちゃうA-boyが いっぱいいるのが現状で、なかなかリスクをとる勇気がないと恋はできない 片思いというのは、人間の欲望の未達成の「オアズケ状態」として他の欲望 でもって事例を説明できますね。 ショーウィンドーの前で、バーキンのバッグを眺めているうちのカミサンとか 取締役の発令をうけた同僚をうらやましそうに見ている先輩をみれば 実現できない願望が、心を動揺させて、そのことに対する執着と関心を高める 行為は、その昔、3時間目の休み時間に給食にオムライスが出るというのを 知ってしまった4時間目の算数がまるで頭にはいらなかった小学生時代を 思い返してみても簡単にわかる。(わからないか・・・・) 恋というのは、リスクを犯して 狂気の行動にでるからこそ後へ引けない 切迫感があるのです。 新撰組が江戸を立って京に向かったように、討ち入りをきめた赤穂浪士の ように、もはや後へひけない。 やむにやまれぬ思いで 「ケイコさん。ぼくはキミが好きだ」なんて、何の説明も説得力もない 戯言を口にして一人で顔を真っ赤にしてドキドキしなくちゃ恋愛ははじまら ないのです。 で言ってしまった手前、もう後へはひけない。 喩えは悪いが買えなかったCDを、レジに持っていかずに商品カバンに入れてしまったみたいな (おいおい、オレは万引きなんかしてない)ハラハラドキドキというのが 恋愛の入り口にある。 つまり、なぜほしくなるかというのはあまり意味がなくて、恋愛がお金を出して買える シロモノならば、これほど汗も恥じもかかないわけで、代価は自尊心と名誉なわけで そういう自我の基盤をかけて男は女を手にいれようとする・・・だからこそ、自分で そこまでリスクを負うにたる保証をしなくてはいえけない。 好きという想いが思い込みとはいわないけど、うちのカミサンがエルメスに抱く幻想 と同程度に、男が恋愛対象の女に抱く「好き」はうさんくさい。 いってみれば男の自意識の重さ。賭けた自尊心が重ければ重いほど、また男が コンプレックスの呪縛にとらわれいればいるほど、愛という名の「代価」は大きいと 勝手に男は思い込む。 そーいうことなんじゃないかなぁ と私は思う。

kumotyann
質問者

お礼

詳しい解説、ありがとうございました! 本当に返事が遅れて申し訳ありませんでした!

noname#232437
noname#232437
回答No.10

其の深層心理とやらに隙が有るから 隙は好きを呼び、間隙は感激を呼ぶ

kumotyann
質問者

お礼

かっこいいですね! 名言です。今度使わせていただきます。 ありがとうございました!

noname#155689
noname#155689
回答No.9

最近、ピンカーの発達心理学関係の本に影響されているので >なぜ、人間は恋をして、相手を大切に思い、 >特別なものと感じるのでしょうか? といった質問に対しては、どうしても 恋をして、相手を大切に思い、特別なものと感じる「資質」を 発芽させた種が淘汰を生き抜き 現在の主流になっている、と答えたくなります。 つまり、此々の理由により恋をする、といった 形而上的な解があるのではなく 結果としてそのようになったのではないか? と思うのですが、いかがでしょう。 個人の利益が最大になるように ギブ&テイクのかけひき能力に秀でた種が人間だそうですが >繁殖するためだけならば、性交をするだけでいいので、 >わざわざ好きになる必要はないのです。 生むだけでなく育てるための 互助システムのようなものを進化させたのだと思います。

kumotyann
質問者

お礼

>生むだけでなく育てるための互助システムのようなものを進化させたのだと思います。 なるほど。とるすと、今後の科学技術の発達により、育てることが大幅に簡略化され、女性一人でも楽々子育てが可能になれば、もはや互助システムのようなDNAは不要となり、人間から恋愛が消える日も来るかもしれませんね。それはそれでもの悲しいですが。 人間も他の動物のようにヤルだけになるかもしれません。 返事遅れてすみませんでした。 ありがとうございました!

  • mashahide
  • ベストアンサー率15% (20/133)
回答No.8

恋を愛に変えるためです。 ここで言う愛は恋愛の愛とはちょっと違い(まあ含むってニュアンスですが)執着です。その人に恋心がなくたっても執着させるためです。 なぜ執着させなければならないのか? 子供を作らせるためです。子供を育てるためです。もっと現密に言うと自分達のDNAを後世に残すためです。本能はこれ(自分のDNAを是が非でも残す)に生涯をかけます。 相手に執着しない動物もいます、でもこの動物達は執着しなくても子供を産み、育てる環境にいるから執着する必要がないのです。 人間(ほ乳類のいくつか)は執着をある程度しなければ子供を産み、育てれません。特に女性は妊娠期間、動く事が出来ません。誰かからある程度助けが必要です。てっとり早いのは自分を妊娠させた相手です。ただこの妊娠させた相手に「確実にあなたの子よ!」と分からさなければ男性は子供を育てません。そのためには執着が必要なのです。 他人に執着する事はある意味しんどい事です。なので執着する前に”恋”と言う心地良い事を設けてどんどん”恋愛”するようよう仕向けてるんですね! DNAが。

kumotyann
質問者

お礼

すごく納得できます。 やはりDNAですか。そういうDNAが残ってきた結果というのは、なんだかもの悲しくもあります。我々は過去の人類の残したDNAにはなかなか逆えら得ませんからね。 ありがとうございました。 返事が遅くなってすみません。

  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.7

そうっすね。 「好き」になる必要ないですよね、いろいろめんどくさいことになります(@´_`)ノ 実際、黙っててもモテる人は、相手を好きになる必要はないでしょうから、 「恋愛」とはモテナイ人々が考え出した苦肉の策かもしれません。 非理性的にスイッチが入ってしまうのは、やはり性欲。 繁殖システムでしょう。 単に何かに夢中になることは快感です。 男は、女の子を「落とす」とか「喜ばす」というゲームに夢中なのでは? [夢中+性欲=恋愛] これが男の恋愛の実質でしょう。 それを「恋愛」という言葉に変換しちゃうのは、欺瞞ではないかと。 恥ずかしいから、誤魔化してると('A`) 女の子がそう望むから、期待にこたえてると('A`) そゆーことだと思うんですけど。 人間以外の、非理性的繁殖事情を眺めますと・・・ 動物は・・異性を惹き付けるためにいろいろ頑張っているようですが「好き」という感情はあるんでしょうか? まぁ恋愛感情はないでしょう。 植物は・・花を咲かせますよねー。 もし薔薇に意識があったとしても、薔薇自身は咲くために生きているとは思っていないでしょう。 でも、人間から見たら、薔薇の生命の目的は咲くことにのみ存在するように思えてしまう。 カナリアの一生の目的は、美しく唄うことにのみ存在するように思えてしまう。 なんでそんな風に思ってしまうのか? 同じように多くの人間は、自分が恋をするために生きているとは思ってないでしょう。 でも、たとえば人間を観察してる宇宙人からみれば、 人は恋するただそれだけの為に、生きているように見えるかもしれませんね。

kumotyann
質問者

お礼

宇宙人からでなくても、人は恋をするため生きているような気がします。僕は違うと信じたいですが(笑 >非理性的にスイッチが入ってしまうのは、やはり性欲 とすると、今まで一般の考えだと、それが、夢中になる原因だとされていました。しかし、sowowさんは夢中になる原因と性欲を分けて考えられているところが面白いと思いました。 ありがとうございました。 返事が遅くなってすみません(汗

  • sinfonia
  • ベストアンサー率42% (53/124)
回答No.6

一つに、人間は社会的な生き物であり「他者からの承認を得るという 暗黙の目標」が、生まれてからの環境で育まれること、 もう一つに性と言う一般的にタブー視される行為の(あるいは心理)の 了解者足りうる可能性がある存在であること、 というのをあげる学者が居ます。 ここからは私見ですが、1つ目の他者からの承認はアイデンティティ の確立という問題や親しい人(あるいは親しくして欲しい人)への 「かくありたい」という想いと関連していると思います。 後者は前者の関連があって初めて成り立つ可能性であると思います。 後者だけを見ると極端な話「異性全般」に言えなくもないですし。 私は結構納得出来ていますので、特に気にならない分野ですが、 納得し難い面がありましたら、再度説明の催促をお願い致します。 上手く応えられるといいですが…

kumotyann
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >性と言う一般的にタブー視される行為の(あるいは心理)の了解者 ですが、これと恋愛の関係が今ひとつ分かりません。 これは私見ですが、恋人とヤルのと、ヤリ友とヤルのでしたら、ヤリ友とヤル方が遙かに気が楽です。相手が好きな人であればあるほど、どうもヤリにくいのです。 そこで、僕は恋愛心理と性欲を別物と考え、異性に恋い焦がれる理由とは何かと考えたわけです。

  • ppmmaa
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.5

深層心理は性愛ではないでしょうか? 自分は性欲が奥低にあると思いますが、性欲はなにかと偏見される風潮があるので、受け付けにくいかもしれませんが。 少し専門的ですが、自分なりに簡単にいいます。 人間にはリビドーという性欲(広い意味で)とそして自我組織があります。 このリビドーは性的なものに対して、根源の願望です。性的といっても、千差万別で、一般に『これが性的なはずないやろ』というようなことでも性的と考えられていることを念頭に。 初めは、リビドーが対象(ここでは異性)に対して反応します。この時、リビドーは快感原則に従い(欲動の道筋みたいなの)、いわゆる盲目ですが、それはリビドーのごく基本的な働きなんです。 しかし、人間には自我という現実原則(現実をわきまえる心構えみたいなの)にのっとった自我や超自我(監視人、裁判官、指導者)というものがあるから、盲目のリビドーを誰もが持ちながらも、盲目になって犯罪を犯す人は少ないわけです。 人間は動物的な盲目のリビドーを持ちながらも、人間的な自我組織や超自我(良心など)などがあるから、人間的な愛というものに置き換えることができますが、逆に人間的なものがなければ愛は存在しないとおもいます。 >その恋の対象が、余りにも、いわゆる「あり得ない」言動をとると、さすがに覚めます。 自我組織(自分が嫌悪を抱くようなプログラム化された無意識ゆえに)ゆえにです。 >如何に非理性的とはいえ、完全に理性のたががはずれて、まいっているわけではなさそうです。深層心理にはある願望が関与して恋をするような気がします。 自我と超自我←監視人、裁判官、指導者のようなもの。深層心理はリビドーかと。 >繁殖するためだけならば、性交をするだけでいいので、わざわざ好きになる必要はないのです。 なぜ好きになるのか?それは、リビドーと自我組織の相互作用みたいなものです。  好きというのは、恋の感覚ですよね?あれは、リビドーの影響を自我が好きなんだと、とらえた結果だと思います。 一目ぼれの恋感覚と、一目ぼれではない恋感覚、同じようなものですよね?強弱はもちろんあるかもしれませんが、一目ぼれという現象を考えると、深層心理にあるリビドーと自我が調和した、いわゆる愛、性愛と思えてなりません。 意味わからなかったらごめんなさい。勉強中なので←弁解

kumotyann
質問者

お礼

>リビドーと自我組織の相互作用 なるほど。両方が交わって初めて人間的に恋をすると言うことですか。僕は、非理性的な性欲と、理性の伴う意識とは、全く別なものと考えていましたが、そういわれてみると、どちらか一方が欠けても、その人間としての個性は失われてしまいますね。 ありがとうございました!

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.4

恋に理由なんかないのさー  理由は後から付いてくる

kumotyann
質問者

お礼

本当に理由なんかないのかも知れませんね。 例えそうでも、答えのない答えを追いかけるのです。 もしくは答えがないということを証明するのです。 哲学スレですから(笑 ありがとうございました!

  • hw4183
  • ベストアンサー率17% (15/86)
回答No.3

経験者から一言 >>深層心理にはある願望が関与して恋をするような気がします。 ホントにそう思います。なにか深いところにからくりがあって、魔法をかけられた様になってしまいますね。客観的にみれば、やまいになったようにしか、見えませんね。 人類が繁栄し滅ばぬように、男性は子孫を絶やさぬような戦術がとられ、埋め込まれていますね。 女性は女性なりの戦術が備わっているように見えますね。 >>繁殖するためだけならば、性交をするだけでいいので、わざわざ好きになる必要はないのです。 これが人間と他の生物の違いかも知れませんね。 善い家庭を作り、子供を善く育てていく過程の中に、お互い、愛し合い、育みあい、許しあう、一番基本的な大切なものを学べるようになっているんだ、とおもいます。思いどうりにならない世の中で、悩み苦しみ、努力し、経験を重ね、お互い理解が深まるなかに、愛が深まるという事、恋人同士の愛、親としての愛、夫婦としての愛、そこには愛がじっくりと熟成される、お酒(高級ウイスキー)のように、繁殖するだけが目的でないものが見えてくるでしょう。酔うだけなら安い焼酎でいいのです。 お酒(高級ウイスキー)のコク、香り、キレ、なんとも言われぬ善きものとしての、価値が確かにありますよね。 >>なぜ、人間は恋をして、相手を大切に思い、特別なものと感じるのでしょうか? 愛が尊く大切なものだと、心の奥では、思っているからではないでしょうか. 「恋」とは「愛」を学ぶ人生学校の扉なのだ、と思います。

kumotyann
質問者

お礼

「恋」とは「愛」を学ぶ人生学校の扉 良い言葉ですね。 ウイスキーの例えも、すごく納得できます。 ありがとうございました!