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自分の行動の指針となるひとはいますか?

自分の行動の指針となるようなひと。 身近な存在でもよいと思うのですがそのようなひとの存在は誰でもきっともっていますよね。 偉人なのか、父なのか母なのか。 それまでにかかわってきた人にそのような存在を見つけ出すのか。 それが教えであるという人もいるのかもしれません。 ひとは一人では生きては生きていけないということがあるのならそのような行動の規範となるようなものは必ずあると思うのです。 それがなくなってしまったら、理性もなくなってしまう。ような気がしてしまうのですが。 尊敬する人ということにもつながってくるのかもしれませんがそのようなひとはいますか?

みんなの回答

回答No.4

壱原侑子さんですね。憧れます。

mai2011powerup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.3

それは私自身だよ。 馬鹿じゃねーか。

mai2011powerup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうなのですね 参考になりました。 ありがとうございます。

mai2011powerup
質問者

補足

このようなことは質問をするべきことではなかったのかもしれないですね…。

回答No.2

登山では加藤文太郎、画家では佐伯祐三といった 具合に、やりたい分野ごとに参考としている先駆者は いますが、ここが哲学カテである事に鑑み、哲学者 ならばオーストリアの科学的観念論哲学者「エルンスト ・マッハ(1838-1916)」です。 音速のマッハに名を残す彼は、相対性理論のアイン シュタインや量子力学のマックス・プランク一世代前の 科学思想家でありながら、彼らや彼らのつくった理論 が新たな物理学の柱となる過程で、多大なる影響を 与えた。 具体的にはアインシュタイン自身が、相対性理論を考え たきっかけとして「マッハの原理(全ての運動が相対的 ならば、バケツの水を回転させると縁が盛り上がるのは、 宙全体の方を回転させても同様の効果を及ぼすべき= 物体の慣性質量は全宇宙の物質により生じる)」を挙げ ていたり、量子論の延長として人間原理が登場する上で、 重要な視点を与えている。 彼の思想は、自然科学的世界観においてまだ量子論の 観念論的傾向の現れるだいぶ前、唯物論の全盛期に あって、科学的観念論=科学的分析の果てに観念論に 至るとするもので、当時のアカデミズムからは異端視され、 科学の主流からも、思想の主流からも孤立した奇異な 独立峰として歴史に名を残している。 (僕も高度経済成長の拝金主義全盛の時代から、人の 意識の社会性の育成を阻害する貨幣制に反対し、観念 論的世界観に基づいて「生きる目的は人生を通算した 精神的充足量の最大化である」と主張し続けて、白い目 で見られたが、最近ようやく宿敵の方が自分でコケて、 そんなに奇異な主張ではなく受けとめられるようになった)

mai2011powerup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 これは哲学には関係のなかったことなのかもしれません 人はどのように自分の行動をきめているのかということを聞いてみたかっただけなのかもしれません。人間は社会性のある生き物ということを前提とすると自分主義のひとばかりでは社会が成り立たないという考えからそういうことを聞いてみたかったのかなと感じています。でも最終的には人は自分の生き方をするのですよね。 先人の考えや生き方を参考にしながらもやがては自分なりの生き方をしていくのですよね。 「エルンスト・マッハ」のお話。参考になりました。ありがとうございます。

  • foosun
  • ベストアンサー率12% (13/104)
回答No.1

僕はジェントルマン、ジェントルウーマンを指針としています。

mai2011powerup
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうなのですね。 自分を律するためにも指針となるような人たちですね。

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