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大切な人を失っても平然と生きていくためには?
私大医学科を数年前に退学し、今、ニートみたいな状態の者です。 自分は今まで本当に何かを大切にしたことはなかったと思います。 なぜなら、何か大切なこと(人でも物)をもってしまうと、その人や物を失った時に耐えきれないほどの深い悲しみや喪失感が自分の中で込み上げてきてしまい、立ち直れなくなってしまうのではないかと心配に(また、そのような心に深いダメージを与えられてしまうような体験をしたくないと)思ってしまうからです。 もし、これらの深い悲しみや喪失感などを回避するための準備〈大切なものをもたないこと〉などをせずに自分にとって大切なものを持って生きて行き、どこかのタイミングで不意にそれを失った時、心にダメージを受け、自分がどうなってしまうか<[決してしたくはないのですが、悲しみに耐えられず、やむを得ず]自殺をしてしまうのではないか>とかを考えると怖いし恐ろしいので、これらのダメージを回避するには、最初から自分にとって大切なものを持たず、あらゆるものにこだわりを持たず、いつでも全てのものを捨てられる(失える)ように準備せざる負えないのだと思います。 一般的には、自分の家族(両親、祖父母、叔父母etc.)、友人、恩師、形見、記念品、思い出の品などに対し愛情や恩、愛着などを感じ、それを大切にして生きていくのが正しいのかもしれませんが、私にとってはある1人を除いては、(言葉が悪くて申し訳ないのですが)亡くなってもダメージは小さい存在で、亡くなっても(失っても)涙など一滴もたらさずに、何もなかったかのように平然と勉強やら、仕事やらと日常生活をしていくことができる自信があります。 実際、既に、父と祖母を数年前に亡くしていますが、(誰が亡くなっても、その夜とかに枕を濡らしたりすることも一切なく、)ほとんどダメージを受けずに何ともなく生活できています。 父の場合、私が幼稚園児の時から喫煙者(ヘビースモーカーかつ酒飲み)で、母(禁煙者かつお酒を飲まない)と私(禁煙者かつお酒を飲まない)から完全に嫌がられてました。 私の子育てにもあまり興味がなく、私が高校の時頃には喫煙、飲酒のことや、仕事を自分勝手に辞めてきたりで(今考えれば、がんでもう死が近いから働く気も失せたのでしょう)揉めて(また、父は揉め事が嫌いで事なかれ主義だったので)、別の場所に暮らしてました。 末期のがんで病院に入院してた時も、(父は素直じゃないほうなので、特に私に会いたいとか言ったこともないみたいなので)私は一度も会いに行かず、父はそのまま亡くなりました。 たぶん父は私に会いたかったのかもしれませんが、私は自分が悲しみとかに押しつぶされないようにするために(また、テレビドラマで死ぬ前に最後の一言を言う感動シーンみたいな人間臭いことは一切したくありませんので)、頼まれても会いには行かなかったとも思います。 祖母の場合は、自分の実の母、父でもないので、特に深い思い入れもなく、入院中に1度くらい会いに行きましたが、待合室とかで普通に勉強してました。 火葬場で燃やされてた時も、「人間、最後はただの骨か」と思ったくらいで、待ってる間は塾の宿題とかをやってました。 色々と不謹慎なこと書いてるという事は十分分かっているのですが、本心なので申し訳ありませんが、仕方ありません。 このように自分が思うのは自分の少し天邪鬼な性格だけでなく、自分が人からの愛情や恩を感じられない鈍感なところ(基本、頭の回転も速いほうではなく、医学科で実験してる時も〈私は一つ一つ確認してゆっくりと実験するほうなので〉[一刻も早く帰りたがる]自分のパートナーの9割方はムカつかせてしまってました)や、(自分はそれなりに不自由なく暮らしてきて、悲しみや喪失感などの負の感情に対する耐性が弱いので)自分をできるだけ悲しみ・喪失感から回避させようという強い意志、これまで1度も恋愛というもんをしたことがないため(まずして、自分を大切にできない奴が人を大事にできるわけないですけど…)、誰かを本当に愛すること、自分を犠牲にしてまでその人を生かしたいと思うようなことがなかったことetc.も影響しているのではないかと思います。 このような性質は小学校の頃から変わっておらず、物事をクールに捉えがちです。 小中大(高校は男子校だったのであり得ません)と「いいなぁ~」と思うような好きな子は人並みにいましたが、(もともと恥ずかしがり屋で人前で緊張しがちなもんで)自分の思いを相手に伝えたりしたことはありません。自分に対して好意を抱いていることを表すようなことを言ってきたりする子もいないわけではなかったのですが、 たとえその人と付き合うことになって自分にとって大切な人だと思うようになっても、 もしその、自分にとって大切な人を失った時のことを思うと、先ほども書いたように悲しみや喪失感に襲わた時の恐怖を考えてしまい、結局、何もしないどころか、わざと避けていたような気もします。 先ほど書いた「私にとってはある1人を除いては」の1人とは、私の母です。 母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。 ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分<母>の好きなこととか全然できなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は(私が「なんで、冷凍食品やコンビニの弁当とかにしないの?その方が明らかに楽なのに…」と言ったりすると)、「ggyc10の為なら、健康的なものを作るのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。 また、私の悩みや相談も大体は(仕事などの他のことより)優先して聞いてアドバイスしてくれます。 これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問したように(「夢を追いかけて生きるモチベーションって?」という質問を見ていただけるとお分かりになると思います)考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母の、私に対する希望はあまり叶わず(なのに、頑張っているので)、かわいそうに感じます。 ここで問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。 自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれない、何か事件に巻き込まれてしまうかもしれないとかを想定し、 毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、(もし、いつどこで母が亡くなっても、悲しみに押しつぶされないように)いつでも心の準備はしています。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ・喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。 これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念((「夢を追いかけて生きるモチベーションって?」という質問をした時に書いたような生き方)に基づいてに「どうでもいいや」と思って平然と生きていけます。 どのように考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに平然と生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらず自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。
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祖母が他界したときは、まあ、歳も歳でしたし、一緒に住んでいなかったので、全然涙なんか出なかったです。祖母の子である母は泣いてましたけど、わたしは冷静でした。祖母に対して、それほど深い思い入れはなかったのでしょう。 その後、大切な人を失った経験があります。 最初は生きる希望も何もありませんでした、というか何も考えられませんでした。昼夜問わず眠れない、食べられない、亡くなったのは自分のせいではないのに、自責や後悔の念に押しつぶされ、生きているのか死んでいるのかすらわからない。だから、死にたいという感情もない。やっと少し眠って起きてみたら、「これは夢だ。そう思ったら現実だった。」と打ちひしがれる。その他エトセトラ…… もうここに書ききれないほど、様々で複雑な状況でした。感情なんて何もなく、ただモノクロの景色が目の前に広がっている、そんな感じでした。 その人への愛情が強ければ強いほど、逝ってしまったときのショックも大きく、立ち上がるまでに相当な時間がかかるものです。 でもね、不思議なんですよ。人間って、どんな状況になっても、自分で死のうと思わない限り、生きる力があるんですよね。完全に立ち直ることは無理、以前と同じ状態になるのは無理と言った方がわかりやすいでしょうか。それでも、立ち上がって前を向いて歩けるようになるものです。 大切な人を失って「平然と生きていくこと」なんて、到底無理な話だと思います。愛情が深ければ深いほど、いなくなったときのダメージが大きくなることは当然なんです。そう考えた方が、万が一のときに、せめて少しでも楽に生きていけるのだと思います。いい意味で諦めて、この感情は当然で必然なんだと開き直った方がいいかもしれません。泣きたいときは我慢しないで思いっきり泣くんです。 上記はわたしの経験談ですが、ご質問の趣旨と外れた回答になったかもしれません。参考にならなかったらごめんなさい。
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増資をすれば、1株当たりの権利は希薄化されるんです。お母様の占める割合が大きいので、喪失感も大きくなると心配されているのはむべなるかなです。だったら、増資すればいいのです。世の中には、どうしようもない親に悩まされている人も多くいます。愛されて育てられ、良かったじゃないですか。捨てなくてもいいのです。新たな株を発行すればいいのです。 「共に」ということ。あなたは、敵か味方か、その中間か、そういう見方で人を見ませんか?。こっちがそんな気がなくても、そういう見方をされてるように感じます。母娘の癒着が強い人は、そういう見方になるのではないかと思います。そこが異性にとってのネックになる危惧があります。「今日の自分は、勝手に敵を作っていなかっただろうか」と“解釈”を反省してみて、「共に」ということを考えてみてほしいのです。さびしいのは自分だけではない。不安なのは自分だけではない。辛いのは自分だけではない。 現実をごまかして、「不幸ではない」「希望はある」と言い聞かせるのは、逆効果です。地に足のつかない幻想は、いつかは壊れます。現実と一体化したレッテルをレッテルと認識してはがし、現実そのものと向き合うべきです。そうすれば、現実には色がついていないことに気付くはずです。
お礼
gadget0061さん、再度の返答ありがとうございます。 確かに、自分ははっきりと敵か味方かとか考えがちだと思います。 今までもそうやって生きてきました。 「現実をごまかして、「不幸ではない」「希望はある」と言い聞かせるのは、逆効果です。地に足のつかない幻想は、いつかは壊れます。現実と一体化したレッテルをレッテルと認識してはがし、現実そのものと向き合うべきです。そうすれば、現実には色がついていないことに気付くはずです。」 私もごまかしは嫌いなほうですね。 ただ、希望とか夢とか云々考えたり目指したりに疲れ切ってしまった感じがします。 もう希望なんてなくていい、夢なんてなくていい、幸せなんてどうでもいいと思います。
#6です。再度失礼します。 ご質問の趣旨に沿った回答を箇条書きにしてみました。 わたしも母親なので、その立場からです。 ◇常日頃からお母様に、感謝の気持ちを言葉で伝えること。言わなくてもわかると思っちゃいけません。 ◇愛情の出し惜しみをしないこと。意地を張ったりしないで、なるべく素直な気持ちで接すること。 ◇朝晩のあいさつ、おはよう、行ってきます、行ってらっしゃい、ただいま、お帰り、などに気を配ること。お互いに気持ちよく過ごしましょう。 ◇一日一日を大切に、共に過ごせることに感謝しつつ、仲良く暮らしましょう。 ◇何かひとつでも、「これをやっていると楽しくて時間を忘れる」という趣味や楽しみをみつけること。自分なりの生き甲斐があると、万が一の場合、気が紛れます。 ご参考になれば幸いです。
お礼
NotSeenさん、再度の返答ありがとうございます。 「わたしも母親なので、その立場からです。」 そうだったんですか。不謹慎な私の質問を読んで、嫌な気分になったりされてたら、申し訳ありません。 箇条書きのアドバイス、ありがとうございます。参考にさせていただきます。
いやいや、犬は裸で人前でおしっこしますが、あなたは(たぶん)しないでしょ。「事実」だけでは悲しまないし、動揺しないのです。人間の「解釈」が入るから、「事実」からいろんな意味が生まれるのです。あなたは「事実」(たとえば誰かの死、だれかに何か言われた)が直接あなたの感情の原因だと思うでしょう。しかし、直接ではないのです。事実に対する解釈が左右するのです。解釈が変われば、事実が意味するところは変わります。 わたしたちは、「今日の食事はコレステロールがどうの」とか、“事実”の反省はよくするのですが、「今日の私の解釈は間違っていなかっただろうか?」という“解釈”の反省はしないのです。手紙に「風邪がはやっています。お体に気をつけて」とは書いても、「うつ病になりませんように」とか「ノイローゼに気をつけて」とかは書かないのです。 この世に色(=各人が解釈した意味合い)が付くのは、人による解釈なのです。このことを言いたかっただけで、誰もあなたのことを犬になぞられてはいないのです。よ^^。 講演「心の健康 ~幸せになれる人、なれない人~」
お礼
gadget0061さん、再度の返答ありがとうございます。 「いやいや、犬は裸で人前でおしっこしますが、あなたは(たぶん)しないでしょ。」 そりゃあ、しませんよ~。 人間が解釈することによって事実の意味が変わるのですね。そりゃあ、そうですね。 自分がgadget0061さんの記述の意味を取り違えてたとこがあったのだと思います。 なんだか、参考ありがとうございます。いっぱい聞く材料があるようなので、少しずつ聞いていこうと思います。
犬は恥を知らない。この世に色を付けるのは人間だ。 もしも、心理的に何か思い悩むことがあるなら、それは自分の心理の裏返しです。期待するから裏切られたように感じるし、欲求があるから不安になるのです。顛倒(てんどう)です。 cf.一卵性母娘(いちらんせいおやこ)、スマナサーラあべこべ感覚
お礼
gadget0061さん、ありがとうございました。
補足
gadget0061さん、返答ありがとうございます。 確かに自分は幼稚園児レベルどころか犬レベルなんでしょう。 思い悩むというよりも、 既に諦めた感がありますかね。 欲求は無くはないんだろうけど、 もう、どうでもいいやってなってます。 いくつか、参考用語ありがとうございます。 色々、ご存知なんですね。
- akameg
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貴方の考えは何時も自分中心なんですね。 父親が病床の時も、自分が悲しみたくないから行かない。 祖母も、どの様にすれば喜ぶかではなく、自分のやりたいことをしている。 現状も母親が大変なのをわかっていて、自分は何もしないニートで、母親を苦しめている。 医大に入学する知識を持っていながら、精神が中学生レベル。 何故、働かないの? 死んだことを考える前に、生きている時に恩返し出来るかを考えてみては? 今の生活は人間のする生活出はありません。 母親に吸い付く寄生虫になる前に、努力や改善をしましょう。
お礼
akamegさん、ありがとうございました。
補足
akamegさん、返答ありがとうございます。 確かに、自分でも精神年齢低いなぁ(幼稚園児レベル)とは思っていましたし、よく言われます(たぶん、道徳心とかが弱いんだと思います)。 まぁ、そういう人間だし今までもそうやって生きてきたから、仕方ないかなとも思ったりして…。
- ma610ve7
- ベストアンサー率0% (0/4)
質問者さんはこの世のどんなものより 自分自身が大切。ただそれだけのことです。 何事にも動じない精神は ある意味少しだけうらやましくも感じますね。 質問者さんはそのままの自分から 変わるつもりもないのでしょうし 質問にだけ答えるとしたら お母様に関して一切の興味・関心をなくすこと ではないでしょうか。 なにもしてもらわず、接点も持たず 自分の力で生きて行けばいいのですよ。 身の回りの世話をしてもらって 今まで大切に愛情かけて育ててもらって だけど死んだ時悲しみたくない。だなんて 無理に決まってます。 自分の限界は自分で決めるものです。 人間無理だと思ってもなんとかなっちゃうものだし そうやって強くなっていきます。 女は男の人には到底耐え難い痛みとたたかい 子供を産みます。 それでもお母様は質問者様が産まれた時 嬉しくて嬉しくて・・もしかしたら涙を流されたかもしれません。 そうやって迎えてくれたんです。 だからお母様を送り出すときには 心の底から悲しんで、でも感謝の気持ちを持って 笑顔で送り出してあげることが 最大の親孝行なのではないでしょうか。 人は弱い生き物です。 私自身、たくさん傷付いて人間不信になったり死にたいと思うこともありました。 でも必ず立ち直ることができます。 そうして成長しながら信じられるものに出会うのだと思います。 人は弱くて一人では生きていけないからこそ、 共に支えあえる人と出会う為に生きてるのではないのでしょうか。 お母様のようなすばらしい女性と出会い幸せになってもいいのでは? そしたら、悲しくても乗り越えられると思います。
お礼
ma610ve7さん、ありがとうございました。
補足
ma610ve7さん、返答ありがとうございます。 全体的に、仰る通りだと思います。 「そうして成長しながら信じられるものに出会うのだと思います。」 すごいポジティブで、すばらしいと思います。良い考えですね。 私はあえて信じるとしても、自分くらいしかないですね。 「人は弱くて一人では生きていけないからこそ、 共に支えあえる人と出会う為に生きてるのではないのでしょうか。 お母様のようなすばらしい女性と出会い幸せになってもいいのでは? そしたら、悲しくても乗り越えられると思います。」 これは、私はあり得ないですね。愛着とか持つの嫌なのでね (確かに、相内アナとかあーゆう、ふっくらとした雰囲気で母性本能ありそうな人とか好きだったりはしますけど…)。 ma610ve7さんはなんか彼氏との問題で色々あるみたいですけど、私みたいな人間にはならないで(なりようもないでしょうけど)、ポジティブに生き生きと自分で決めたやり方で生きてって欲しいとかお節介に思ったりもします。
大丈夫大丈夫。 我々は誰か死んで悲しんでも立ち直れる事ができた人々の子孫ですから。 立ち直れなかった人は人類史の中ですでに消滅してます。 もしくは遺伝子に欠陥があれば現在でもあるかもしれません。
お礼
peetshopさん、ありがとうございました。
補足
peetshopさん、返答ありがとうございます。 「大丈夫大丈夫。 我々は誰か死んで悲しんでも立ち直れる事ができた人々の子孫ですから。 立ち直れなかった人は人類史の中ですでに消滅してます。」 なるほど、そういう考えもあるかもしれません。 参考にはなりました。ありがとうございます。
お礼
NotSeenさん、返答ありがとうございます。 色々経験されたんですね。 経験談は特に参考になるので、ありがとうございます。