日記なのか、第三者に読ませるのかで、いろいろ変わってくるはずですが……。
>>先週仕事がいっぱいで、忙しかった。
→「先週は、仕事がいっぱいで忙しかった」
「先週」の後に「は」を入れたほうが、「普段はそうでもないのだが、先週は」ということがはっきり出ます。
>>帰るのは遅くなった。大変だった。
→「帰りが遅くなって、大変だった」
自分しか読まない日記なら、「帰るのが」でも構わないでしょう。いずれにせよ「は」ではなく「が」です。「帰宅」についての話題がここで初めて出てくるからです。
>>わたしは寮に帰る途中で、稲光が大きな白蛇みたいに夜空で踊っていた、恐ろしかった。
→「寮に帰る途中、稲光が大きな白蛇のように夜空で踊っていて、恐ろしかった」
主語「わたしは」は、普通なら要らないでしょう。誰が帰るのか、前からのつながりでわかるため、しつこくなるからです。でも、どうしても入れたいなら、「わたしが」です。また、「途中で、」ではなく「途中、」が良いでしょう。
>>こんな大きな稲光を見たのは初めてだった。
→「あんな大きな稲光を見たのは~」
思い出して書いているのですから、「あんな」です。
>>以前、私は雷に打たれてしぬと言うことを聞いたことがあるので、
→「以前、雷に打たれると死ぬということを聞いたことがあるので、」
これも「私は」は、わかっているので要りません。また、「雷に打たれて」「死ぬ」→「ということ」とつなげる場合は、「雷に打たれて死んだ人がいるということを」という形にでもしないとこの場合はおかしいので、「打たれると死ぬ」としたほうが良いでしょう。
なお、細かいことですが、「~と言うこと」と書くことは余りお勧めできません。これは「言う」“say”とは無関係だからです。ひらがなで「~ということ」と書くほうをお勧めします。
>>稲光がしてから、雷が鳴ってない間に、
→「雷が鳴るまでの間に」
「鳴っていない」を使うなら、後ろは「うちに」です。ですが、「鳴っていないうちに」は、その間に急いで何かを「やってしまう」ニュアンスになりますので、ここでは使えません。
>>「しまった、しまった。雷がどこに落ちれるか。私の身にか。」と思って。特に心配した。
→「危ない、危ない。雷はどこに落ちるだろう。私の上にだろうか」と思って、ことさら心配だった。
この場で最もふさわしい言葉は、No. 1の方が使っていらっしゃる「くわばら、くわばら」(落雷を避ける呪文)でしょうが、そこまでご存じでこの文を書かれたとも思えませんでしたので、こういう気持ちだったのではないか、と想像して「危ない」にしました。「しまった」は何か良くないことを自分がしでかしてしまったときの後悔の台詞ですから、この場面には合いません。
「落ちれる」とは言いません、「落ちる」です。また、「私の身にか」とは中途半端に文語調というか、中途半端に大時代がかった言い回しです。普通雷が人に落ちるとき、人の「上に」と言います。
「と思って。」は文の終わりではありませんので、句点「。」ではなく読点「、」を付けます。
>>結局、有難いことだ。現在、生きているのに。
→「だが、有難いことに、結局私は今生きている」
最後を「のに」にしたのは何か意味があってのことでしょうか? 「のに」は飽くまで逆接ですので、これがあると、「生きているのに」「今生きる喜びが感じられない」等々のニュアンスになってしまいます。
「結局」を前に持っていって「有難いことだ」で文を切ってしまうと、「結局」が何に掛かっているのかわからなくなります。
こんな感じでいかがでしょうか?