#1さん、#2さんのおっしゃる通りです。
これはロシア人にも、痛いほど分かっているらしく、僕はシベリア鉄道でこの境界を何度か通ったことがありますが、特に西から東へ通る時は「ああこれでヨーロッパともしばらくお別れか」、「ついに文化果つる未開の、辺境の地へ来たか」という溜め息が聞かれて、アジア生まれの僕にはおかしくてしょうがありませんでした。
シベリア鉄道が通る地点にはオベリスク状の碑が立っていて、それを指差しながら「はるばる遠くへ来たもんだ」と悲劇の主人公みたいな顔をした乗客から、ヨーロッパ優越主義が嗅ぎ取れ、同時にロマノフ王朝が流罪にされた先、政治犯の刑務所所在地の意味が、我々日本人には理解しがたい屈辱的な意味を持っていたことを知りました。
お礼
分かりました。ありがとうございました。