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中世ヨーロッパの海軍船の変化について
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noname#194996
回答No.1
絵の船はいわゆるキャラック船とかがリオン船とか言われたスペインが作り始めた船のようですが、中心が下がっていたといわれるのは、たぶん船尾楼と船首楼があるために中央が下がっているように見えることを仰っておられるのでしょうか。 船首楼や、船尾楼は、当時の造船技術では、航行中船長や上級船員である貴族たちが快適に過ごすには、そうやって船室を水面から離さないと海水のしぶきがまともに入って来ることを我慢しなければならなかったからです。もちろん他の下級船員やら水夫、戦闘員は甲板の上や暗く臭い船室に住んで日々の作業にいそしんでいたのでしょう。17世紀にはいわゆる戦列艦など海戦に特化した海賊などの船は全通甲板といって船尾楼などがほとんどないものも出てきました。 造船技術、ことに艤装の技術が進んだ18世紀ごろから、ようやく英米のフラッシュデッカーとよばれる”平たい”大型帆船が増えてきました。甲板の下でも快適な生活が出来るようになったといことです。そうすることで喫水線も浅く出来るしスピードも速くなったわけです。
補足
はい、そのようなことを言っておりました。 詳しくありがとうございます!