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荒海や佐渡によこたう天の川の季語
タイトルの季語は何でしょうか? 荒海と天の川で周りで意見が分かれています。 荒海やで切れ字があるから荒海で冬だとする意見と、芭蕉が奥の細道で歩いた日時から天の川(季 語では秋)とする意見とで私の周りで分かれています。 宜しくお願いします。
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まず、元句は次の通りです。 荒海や佐渡によこたふ天河(あまのかは) 随行日記によれば元禄二年(1689年)7月4日(出雲崎宿泊)での所見を、7月6・7日の俳席(直江津宿泊)で詠まれたとされています。 この旧暦の七夕は新暦では8月24日頃にあたり、季語「天河」は秋七月(初秋)です。 http://www.ajnet.ne.jp/dairy/ ・出雲崎から佐渡島の臨んだ視野には七夕季の天の川は佐渡の方には流れていないとされます。 ・もちろん佐渡が見える昼間なら天の星は窺えません。 ・星が見える宵闇では唯一、佐渡はその姿を見るべくもなく、ただ僅かにして微かな灯りだけが頼りになります。 ・荒海が本当に冬のそれであれば、白一色に吹雪いており、佐渡はおろか、そもそも時化た海自体を見ることが叶いません。 ・荒海にはまた、荒磯海(ありそうみ/ありそみ)の意味があります。波の寄せる磯が、白砂青松の穏やかな美観ではなく、どこまでも岩だらけで荒涼とした殺風景な様をも表すわけです。 ・佐渡は古来、天皇はじめ貴人の遠流(おんる)・流謫(るたく)の地として、常人の近寄りがたき、まさに荒海を越えた遥か彼方の荒涼の地と看做されています。 ・この越後にはことさらな「歌枕」がないため、「歌枕」に準じ風流韻事に因んだ形での、この佐渡と「荒海」の取り立て詠みとも見做せます。「海は荒海 向こうは佐渡よ…」。 以上の例のように、この句はそもそも、俳人芭蕉の心眼が臨んだ、「魂が削られるばかりの」心象風景の世界における「天河」の句なのですから。 http://www.intweb.co.jp/basyou/kty/haibun_ginganojyo.htm
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- wild_kit
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yahooきっずの星空シミュレータで天の川を見てみました。 横というよりは縦に伸びるんですね。これでは分かりません。残念(>_<) 立ち寄った日付(旧暦6月28日=新暦8月15日頃)から、素直に「初秋」と受け取りました。 ちなみに8月7日ごろが立秋です。
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ありがとうございました。 よく理解できました。
- TANUHACHI
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この句の季語は「天の川」ですね。「切れ字があるから」との理由で「荒海」を季語とするなら、他の句と比較した場合に不自然なことになってしまいます。 例えば「ふるさとや 臍の緒に泣く 歳の暮れ」に同じ理屈を付けて説明をしたならば、この場合の季語は「ふるさと」となってしまいます。しかし実際の季語は「歳の暮れ」です。論理として矛盾します。切れ字からはその句の季節を特定できるとは限りません。
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ありがとうございました。 よく理解できました。
- poomen
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こんにちは。 以下のサイトを検討すると、天の川が初秋の季語となりますね。 http://kigosai.sub.jp/kigo500a/448.html http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/haikupeji.htm
お礼
ありがとうございました。 よく理解できました。
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