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誰かの死を考えると欝になる

最近、僕はよく死んでもいない人の死を考えるようになっています。 (例えば 飼ってるハムスター(左)寿命が迫ってる 祖父、祖母、父、母、友人等) なぜか死んだらどうしようと考えいつもネガティブ思考になっています。 あまり考えたくないのですが考えてしまいます・・・・・・・ ポジティブになるにはどうすればいいのでしょうか? 助けてください・・・・

みんなの回答

noname#160194
noname#160194
回答No.6

その気持ち、凄くわかります。 今の私がそんな感じです。 そんなときは、自分の好きなことに没頭するか、 逆にその気持ちをノートや携帯に書き込むのが一番です。 すると、死を深く考えて、怖く感じなくなります。 言い方が悪いかもしれませんが、どうせ人間いつか死ぬんです。 動物も、植物も、自分とは寿命が違えどいつかは死ぬんです。 私の両親は、ともに片親を亡くしています。 とくに、父方の祖母は私が一歳にもならない頃に、 死んでしまったので、思い出がありません。 けれど、祖母は写真のなかで、小さな私を抱いて笑っています。 誰もが通る死という道。 たとえ、自殺や病死でもその人が生きたことには変わりない。 もしもあなたの周りにそれが近づいても、怖がらないでください。 回答が遅れてすみませんでした。 今からでも役にたてたなら光栄です。

回答No.5

ご回答いたします。 死を考える時、あるいは直前、ご質問者様の精神状態をご観察ください。 もしかして、なにか問題にぶち当たったりしてはいないでしょうか? あるいはいやな事面倒な事を体験していないでしょうか? 問題・課題・面倒なにぶち当たった時に、それを乗り越える為の 解決方法がいくつかあります その解決方法のもっとも正しい方法を「合理的規制」といいます。 これはご質問者様がおっしゃっているところの、 「ポジティブになる」という事であり、問題に真っ向から立ち向かい、 問題を解決しようとする姿勢の事を言います。 解決方法のうち、好ましくない方法のひとつに「防衛機制」というものが あります。 言葉はかっこいいのですが、内容は「逃げ」により、問題を回避する 方法の事です。 防衛機制のうちいくつかは次のものになります。 ・投影(他人のせいにする) ・退行(幼児のように振舞い、問題を逃れようとする) ・置き換え(やりたい事の代替案を行い、満足する) ご質問者様の場合は、上の例のいづれにも該当しませんが、似たような思考パターン に陥り、ご質問文の行動になっているのでは? と推測しました。 具体的には、次のような気持ちの流れです。 1.お風呂掃除を言いつけられる。 2.お風呂掃除はやりたくない 3.近くに飼っているハムスターがいる 4.ハムスターの死を考える 5.ハムスターの死は心に衝撃だ 6.心がつらいから、お風呂掃除はやめておこう このような感じです。 もし当てはまるようであれば、解決策は以下の通りです。 ・死を考える以前に、まずそこにある問題から逃げようとしない事 (逃げようとしない = ポジティブ) となります。 外していましたらすみません。 以上です。よろしくお願いします。

noname#154561
noname#154561
回答No.4

こんにちは。 それは人間なら必ず考える、大切な問題です。 ポジティブ、って何だと思いますか? 大切なこと、難しいこと、一筋縄ではいかないこと。 世の中には頭を悩ます辛いこと、悲しいことが 山ほどあります。 そういう問題を少しづつ、少しづつ手を打ちながら 人類はやっとこさ殺し合いをする人々を減らして 来ました。 身の毛がよだつような恐ろしい話は、枚挙に暇が ありませんが、それでも、古代から考えれば 少しマシにはなって来ました。 それら、一生懸命、時には一生かかっても答えが 出ない問題を抱えて生きていかなければならない。 そんなもんなんです。 テレビで「ポジティブ」という言葉を乱発する人々を 見てください。 面倒臭いものは考えない、でも考えていない人間だと 思われるのは嫌だから、何か深い考えがあるように 見えるにはどうすればいいかばかり気にしている。 自分はこんなに素晴らしい人間なんだと証明したくて 仕方が無い人達が、今日もどこかで誰かを貶め嘲笑い、 そうして正義の味方や善人や勝者を演じています。 ポジティブ、という流行言葉は、本来の英語の意味を 拡大解釈して、デキる人間の条件、みたいに使われる ことが多い気がします。 それは、人間として、とても安っぽくて下らないことだ 私はいつもそう思うのです。 考えると辛くなる、酷い話を人事のように笑い飛ばせず、 真剣に考えては苦しくなる。 人間として、当たり前の心じゃないですか。 それをネガティブ、なんて薄っぺらぺらな言葉で否定 なさらないで下さい。 あなたが辛い思いをして他人の不幸や死について悩むこと。 あなただけではない、その気持ち、その心。 それを膨大な量重ねて重ねて、エゴイスティックな 世の中の「ポジティブ」と世界中で闘って来たんです。 涙や汗を嘲笑い、欲望を恣(ほしいまま)にする人間達が 世界を動かしている、と言っても過言ではないでしょう。 でも、世界の90%の人々は、涙を流し、汗を流す側の 人間なのです。 そして、どれ程欲望を満たした人間ですら、後進国の 貧しい幼子を殺して得た臓器を移植しても100年生きられる 者は殆どいません。 神の如く振舞う傲岸不遜な彼等も、他の全ての人々と 同じ寿命の中にしか存在し得ません。 一人の死は、辛く重く恐ろしいものです。 考えると痛ましさの余り、こちらの胸まで痛くなる。 でも、無数の人間の死について考え見て下さい。 出来ることなら、毎日、国内だけでも数千匹・頭も殺されて いる、動物達のことも。 そして、飽くことなく生まれてくる、赤ん坊のことを。 死んで、確かに一人の人格は消滅し、二度と再生叶わぬ 絶望のように見えます。 でも、この途方も無い巨大な命の生まれ行く、死に逝く 大河の流れのようなものは、そんなあっけないもので しょうか。 果てる命は、生きている我々と繋がっていないので しょうか。 私は、絶対にそんなことはないと思います。 生きている人も、死んでいく人も、そこだけの 狭い視野で見れば、漆黒の闇しか見えないでしょう。 でも、この記憶は。 死んだ人々の、ほんの僅かな一部でしかないように 思えても、その人にまつわる記憶と、影響を受けて その自覚さえない、私達の人格は。遺伝子は。 一人の人間でさえ、沢山の人間に連なって生きています。 況や、社会全体を見渡したとき、生まれてから死ぬまで、 全ての人に、全ての社会に、一切関わり無く生きた人、 そんな人がいるわけはないと、思われませんか? この世とあの世は地続きです。 死んだ人間は、自覚のあるなしに関わらず、 その想いや考え、色々な関わりを、他人や社会に 埋め込み、溶け込ませて生きています。 絶対的な「無」から「有」は生まれません。 だから、「有」から絶対的な「無」にも 還りません。 どうか、忌むべき悪しき愚考などと否定なさらず、 人間の、無数の生老病死について、真剣に考える あなたの瞼を、つまらない享楽などで閉じないで 下さい。 あなたには、見えるべきものが見えるんです。 それは、とても大切なことです。 そのうちに、見方や捉え方、感覚の制御の仕方も 少しづつ覚えていけるでしょう。 一人の人間に出来ることはとても限られているから です。 あなた自身がしたいこと、すべきことに、やがては 連なっていくこともあろうかと思います。 どうか、その眼を失わずにいて下さい。

  • iapetus
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回答No.3

生きとし生けるものは、死ぬのが定めです。 定めとは言え、死の事を考え、恐ろしく思い、それを忌み嫌います。 その恐怖を少しでも和らげるため、宗教が生まれるんでしょう。 そして、我々はその教えを小さなころから、擦り込まれて命を粗末にしないよう教えられ、死を限りなく遠ざけるようにしてきました。 自分の知る命が失われれることも、心の喪失になり、事忌みとして遠ざけます。 生きているということは、生きただけ命を削って行く、ということです。 正と死は、表裏の関係ではありますが、命が削られる結果が死なのであれば、同義であるともいえるでしょう。 定めに対しては、抗うこと自体、意味のない事で、従うしかありません。  しかし、命あるものは、死ぬために生きている、つまり、いつ迎えるとも知れない天寿を全うするために生きているのであり、それは、掛け替えがなく、とても尊いことなのです。 死を受け入れるのは簡単なことではありませんが、受け入れることができるのなら、ポジティブになる必要もありません。 即ちそうすることで、死は「当たり前」のことになるからです。

noname#196134
noname#196134
回答No.2

質問者さんもいつかは死ぬのですから・・・特に思い悩む必要はないかと。 宇宙の中では無が普通で、生は異常で奇跡なんですね。

回答No.1

今迄の人生のなかで、とても衝撃的な身近な方の死を経験されたのでしょうか。 私も数年前に大好きな歌手と祖母がたて続けに亡くなってから、同じような心境に陥ったことがあります。 今現在でもその歌手の曲は毎日のように聴いているし、祖母もちょっと遠くへ行っただけと勝手に思っています。 死生観について考える時期というのは誰にでも訪れることなので、 焦って結論を出したり、無理にポジティブになろうとしなくても良いですよ。 ただ私から言えることは、不安になってしまった相手のために自立した自分を目指すと良いですね。 お母さんがいつ死んでも大丈夫のように家事が出来るようにする、 お婆ちゃんにたくさん「大きくなったね」と思ってもらえるように、もっとお婆ちゃんをお手伝いする、などなど。 あくまでも私の価値観なので、じっくり考えてkurage_nazomekuさんの答えを探して下さいね。

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