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人の死に対する恐怖感
自分が死ぬ分には平気なのですが、 家族やペットに死なれて、自分が置いてかれ、その後の自己反応(極度な悲しみや喪失感)を考えると極端に怖くなります。 たまに想像も映像化されて、まだ温かみのある誰かの腕を抱いて、泣いている自分が頭の中にリアルに表現されてしまいます。 また、テレビで人が悲しみにくれる瞬間を見ると、自分も感情移入してしまいすぐ泣いてしまいます。 どうやったら、人の死による自分の悲しみから逃れることができますか。毎日怖いです。 ネガティブ思考は不幸を招くと、常にポジティブ思考を意識していますが、これは難しい問題です。 どなたかアドバイスお願いします。
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- sentsuku
- ベストアンサー率43% (167/382)
極端に怖くなるとのことで、それはそれで、きっと、わたしには想像できない苦しみなのかもしれません。 ですが、わたしから見ると、大切なものを失うことで、そうやって悲しみを感じる質問者さんは、素敵だと感じます。 わたしは逆に、そういったものを感じないことが、自分の中で悲しく感じています。 肉親が死んだときも、あまり悲しいという感情は湧きませんでした。 ペットの犬が死んだときも、悲しいと思いませんでした。 でも、そういう自分は冷静に物事に対処できるんだとポジティブに考えるようにしています。 ポジティブ思考というのは、現実の自分をポジティブに受け入れるということだと思います。 つまり、そうやって悲しむ自分って、感情が豊かで良いんだと考えることかと思います。 ポジティブ思考に対する捉え方が違っているために、うまくいかないのでは?と感じました。
- ganesha_me
- ベストアンサー率24% (27/109)
それが人の心です。 ちなみに、私は自分の死を受け入れて生きています。 (これはそれほど特別で難しいことではありません。) また息子さんやお孫さんといった家族に看取られて 旅立たれる命を見ていると私は幸せで涙がでます。 大切にされたペットも、あなたに感謝しているでしょう。 死を恐怖だと断定はできません。 私はあなたの怖れは心の拠り所のない不安だと思います。 人は人の輪の中でしか生きられないものです。 人と出会い話をし、仲間とともにあれば、 自ずと安心して前に歩めると思います。 悲しむ時は悲しめばよいし、またそこから教わることもあります。 私は死を不幸と考えたことはありません。 在りのままの人生、ありのままの姿を前向きに捉えて生きています。 ネガティブとは不安になって自分が見つけられない様を示します。 ポジティブは行動し前を向いて生きてゆこうという姿勢です。 以上、若輩ながらご意見させていただきました。
お礼
ちょっと解釈違いかなと思いました。私の書き方が悪かったと思います。すみません。 たくさんのアドバイスありがたいのですが、 私自身自分の死に関しては、ぜんぜん恐怖も感じていないのです。 それよりも私より先に旅立つ両親やペットの死というのが怖いのです。 なぜ、怖いのか。 それは、失った後の自分の悲しみや一人でいることの不安(このあたりは回答者さんの仰るとおりです)が襲ってくることへの恐怖です。 それを先に想像してしまうが故の結果だと私の自己分析の下、わかってきました。とはいえ、今こんな不安になるのも意味のないことなんでしょうが。 アドバイスありがとうございました。
まあ、それが怖くて(耐えられずに)自殺してしまう人もいますから、切実な問題です。 とは言え、基本的に親の方が早く死にますし、ペットも長生きしません。 (ゾウガメでも飼えば別ですが・・・・) 悟りを開くしかありません。 あなた自身だって多くの人間の生と死の果てに生まれてきているのです。 宗教にでもすがってみてください。
お礼
新鮮なアドバイスありがとうございました。 そうやって考えることは、なかったので正直うなずけない部分もありますが、ゆっくり自己解釈していければと思います。 宗教にすがることが今の自分に相応しい選択肢だとは思いませんが、そこは考え方の不一致ですね…新しい意見いけてうれしかったです。
お礼
回答者さんはとっても気分の持ち方が上手で見習いたいです。 なんでもポジティブに考える方法…今の私には必要で、でも得られないそんな技です。 私が素敵にみえるでしょうが、私にはずっとずっと回答者さんのほうが素敵でうらやましいです。 でも気持ちわかってもらえただけうれしいです。 ありがとう!