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死を受け入れる・死を待つ 気持ちをうまく保てません
30代の既婚女性です。 この年になって幼稚かもしれませんが、人の「死」についてとても怖いです。 それを迎えるまで・迎えた後の気持ちの保ち方・心がけ方を教えて頂けないでしょうか? 下記は、私の今と今までの経験です。 ・90代の祖母について 現在、実母が祖母の介護をしています。わたしは、結婚をして家を出ていますが、徒歩圏内に住んでいます。 母は心やさしい性格で大変ながらも、祖母(実母)の介護に専念しています。 今年に入り、祖母が倒れて入院するなどさすがに身内の介護では難しくなり、デイサービスなどを利用しプロの介護を受け、母の息抜きの時間も作るようにしています。 わたしは日中は夜遅くまで正社員として勤務しており、土日は出来るかぎり顔を出しますが、当然自分の家のこともあり、やはり毎週とはいかず、また、顔を出したときに祖母は寝ているといったこともあります。 直接的に介護はできなくとも、母のサポートが出来るよう、食材の買い出しや話を聞くなどしているつもりでいます。 しかし、それも母の苦労に比べれば全くといって大したことではありません。 でも、息抜きに母と外出などは今の祖母に状態を考えても出来ないですし、母も望んでないと思います。 母はよくも悪くも真面目すぎる部分があり、介護にも全力で気疲れしているのをとても感じます。 わたしは、母に/祖母に何ができるのでしょうか? 小さいことでも良いのでアドバイスを頂けないでしょうか? ・祖父の死 祖父は数年前に、認知症で自宅介護ののち、老人ホームに入居、そこで息を引き取りました。 心やさしく穏やかな祖父でしたが、認知症になってからはやはり話が通じ無いことも出てき、あたってしまうこともありました。 しかし、家族に愛され身体は健康でしたし、素敵な一生・大往生だったと思います。 最後に看取ったのも偶然にもわたしが訪問したときでした。辛かったです。 ・ペットの死 数年前、がんと戦ったペットを無くしています。 最後は、家族と相談のうえ、いわゆる安楽死を選ばざるを得ない状況でした。 抱きしめた手から、最後の処置をする医者に愛するペットを引き渡し、処置をうける光景がいまでも思い出され、時と共に薄まってはきたものの、とても寂しくなります。 冷静に現実的に考えると、決断は間違っていなかったと思えるのですが、 当然毎日休まず仕事に行ったこと/もう一緒に過ごせないことへの後悔が募ります。 いつ亡くなってしまうのか・そんな日は来ないでほしいと現実を受け入れられないままその日を迎え、びくびくしていた毎日からの解放かホッとした感覚を思えました。 それは、あたかも自分を守るためかのようで、そんな感情を抱いた自分を責めました。 ペットも当然動くぬいぐるみでは無く・・去った後の暮らしは、心はさみしいものの、現実的に生活(お金/仕事など)は相変わらず・何も困らない ことにも一種の寂しさをおぼえました。 支離滅裂な文章、お許しください。 人生のヒントになる考え方など教えて頂きたく、よろしくお願いいたします。
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私は 短いサイクルの転勤族なので 毎年のように「さようなら」をします。 どんなに親しくなっても疎遠になります。 毎年 引っ越し鬱になりそうなのを耐え 「感謝」ととも去ります。 死別のことを書かれておられますが 人はみな別れるのです。 「人は出会うために別れ 別れるために出会う」 ご家族は長い間いっしょにすごすので このままずっと いっしょに居れるような思い込みをしがちですが。 人は全員100%いつか別れます。 生きていても別れはやってきて あの世に旅立つときがくれば それも別れです。 転勤族の私からみれば むしろ ずっと一緒にいれる幸せをうらやましく思います。 毎日 一期一会と思って 相手に誠意を尽くして感謝をもって接する もうほかには どうしようもないことです。 父との死別は 遺された家族の扶養がずっしりと私の背にかかり 泣くより「これからどうしよう」が先でした 弟との死別は(自殺だったので) もう 半狂乱で 今でも ダメです。 ひきずっています。 親友との別れは(突然死 若死) 一か月は腰が抜け 言葉が出ず 10年経ってるのに まだワンワン泣けます。 ペットとの死別は ただただ 申し訳ない 体調が悪いのに仕事があって病院に連れていけなかった。最後に 仕事から帰ってたわたしに挨拶にヨロヨロしながら寄ってきて首をすりよせたあと ニャンと一声ないて死にました。 ほんとうに申し訳ない申し訳ない。 どんなに覚悟しても心がまえができていても どうしようもありません。 せめて後悔しないよう 誠意をもって日々接しようと思います。 しょうがないです。受け入れるしか・・・
- vansancan
- ベストアンサー率23% (341/1422)
まだ、自分の両親を看取ったことはないのですが、 3年ほど前に、義父を病院で看取らせて頂きました。 ちょうど病院にいたのが私だけだったのです。 義母は体調を崩して家で休んでいて、主人は仕事、義妹(義父の娘)さんとお見舞いを交替して15分ほどのことでした。 私は選ばれたのかなぁ。と思う事にしました。 きっと義父は、自分の血のつながった家族では自分の行った後、泣いたり、精神的に後悔してはいけないと、 嫁である私がお見送りに選ばれたのかなぁ。と。 そして、ちょっと頼られたような気がします。 よく、人は生まれる時も一人、死ぬ時も一人とか言う人がいますが、 私は違うと思います。 生まれる時は笑顔で迎え、 死ぬ時は感謝と、今までお疲れ様。という気持ちで送ってあげたいと思います。 質問者さんも、今まで頑張って生きてこられた方をねぎらう気持ちで、 見送って欲しいと思います。 苦しみながらこの世に留まる事が幸せではないと信じて。
- pastorius
- ベストアンサー率48% (538/1110)
誰にどう死後の世界みたいなことを説明されたって死ぬことは怖いし他人やペットが死ぬのを見るのは辛いけど、自分が死ぬことも他人が死ぬことも避けることはできないんだから、せめてどういう死に方をするべきかということをまじめに考えることじゃないかと思っています。 残された人達が悲しむのは仕方ないけど、死んだ後まで借金を残して迷惑をかけたり、生きている間に迷惑ばかりかけて死んでせいせいしたと思われるよりいいんじゃないでしょうか。
- green351
- ベストアンサー率43% (185/430)
色々な感情が交錯しているようですが、死というのは私たちのすべてが必ず迎えることですから、恐れても避けられないのが現実です。生まれたそのときから死へのカウントダウンが始まっているとも言われます。ただその最期の時が何時なのかは誰にも分かりません。 私も長い間、障害のある母と暮らしていました。“親の介護って大変だろう。”とよく周囲から言われました。しかし私はたまたま障害を持った母と一緒に生活していただけで、介護しているという意識は全くありませんでした。でもその母が亡くなった時には、悲しみよりは安堵感の方が大きかったように思います。当然その後には空虚感が襲ってくるのですが、仕事柄分かっているつもりではありましたが、実際は大変でした。 この質問をお書きになったbabyraccoさんのお母様は今、介護に奮闘中です。プロの力を借りて一生懸命やっておられるということは尊敬に値することです。私個人の考えを言わせていただくならば、今babyraccoさんのなさっていることは決して無駄ではないと思います。どういう状態であれ、子供であり、孫です。そして同姓です。たとえ家族でも異性にはなんとなく遠慮がありますが、同じ女性として接することは出来るのではないかと思います。 私たち人間は物事を忘れやすい動物です。そして自分に都合のいいように解釈を進めていきます。一見悪いことのように思いますが、それが出来るからこそ人間として生きていけるのかもしれません。