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豊かな芸術を生み出す国とは

  資源の豊かな国が豊かな芸術を生み出すのではない。 金融経済大国が豊かな芸術を生み出すのでもない。 宗教王国が豊かな芸術を生み出すのでもない。 では豊かな芸術はどのよーな国から生まれるのであろーか。    

みんなの回答

noname#151127
noname#151127
回答No.5

ベートーヴェンがお好きでしたか。もう少し補足しみてみます。まず、当然のことですが、彼の曲が素晴らしいのは、作曲家の個人的な資質も大きな要因だと思います。また彼の個人的な環境もあると思います。しかし、あの時代は、様々な文化が混じり合った時期です。たとえば神と言ったところで、自明のことではなくなってしまったのでした。キリスト教の他、ユダヤ教やイスラム教はもちろんのこと、ギリシアやイシスやインドの神まで重ね合わさるという有様です。普遍的な神の存在が模索もされたのです。 こうした様相を美術史的にまとめるのなら、バロックが終わってキリスト教の枠組みが解体され、新古典派が始まったということができるでしょう。新古典主義とはより普遍的なものを目指した流派です。その美学は、無駄なものを削ぎ落し、精神の輝きのみを露わにしてみせることにあります(※音楽でいう「新古典派」は二十世紀のことですが、私の記述では、美学における全体の流れという意味で、「新古典主義」という言葉を使っています)。これは芸術だけのことではありません。政治においても、ナポレオンのように、諸外国を統一し、普遍的な国家を築こうという動きがおきます。普遍性を徹底的に追及しようとする時代の流れの中で、人種や貧富に捉われない人権をはじめとする、今日の基礎となる考え方も生まれてきたのです。 現代で、新古典主義と同じことが可能でしょうか? 答えは半分、否です。二十世紀において、新古典派のような普遍性を追求したのは、実はナチスでした。実際、彼らの理論的な転居となったものは、しばしば新古典主義です。しかし彼らは普遍性という言葉を取り違え、ある特定の民族だけが、普遍性に到達できると考えました。そして政治的な侵略だけではなく、芸術においても、それに反する流派の排除を行います。退廃芸術などとパウル・クレーが呼ばれたことは有名でしょう。どこが豊かな芸術を生み出す国か? ナチスによれば、答えはギリシアであり、その血筋を引くドイツということになるでしょう。 ナチスが「漬かっている」考え方であることは明らかです。とはいえ、考えてみれば、ナポレオンもまた、侵略者ではあったのでした。普遍性を求めるということは、他の異質なものをも、自分の枠組みに回収し、統一ないとなりません。この「統一する」という行為が、「侵略」なのか、それとも、何かの平和的な行為なのか。これが大変、難しいのです。現代で、ある国家や時代が普遍的な統一を求めて動き出すことは難しいことでしょう。 しかし原理としての普遍性という意味なら、現代はより深い知識を持っているといえます。それがうまく作用すると良いのですが、どうでしょうね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

芸術てのは人間存在の発現ですから 人間が存在する以上 どんな国であれ芸術は生まれるでしょう。 では、豊かな芸術て何でしょう。 偉大な芸術という意味でしょうか。 どんな国でも芸術は生まれますが、その国が 軍事、経済大国でなければ、世界に広がらず 歴史に残りません。 影響を受けた人間の数が多い芸術を豊かと 言うなら、やはり大国でしか豊かな芸術は生まれない のです。

noname#151127
noname#151127
回答No.3

まず質問文の意味を私がどのように解釈したかを示すことから始めてみます。「ーーでもない」とありますけれど、これは資源の豊かな国、経済大国、宗教王国から豊かな芸術作品が誕生し得ないという意味ではありませんよね。というのも、キリスト教大国でも、素晴らしい芸術作品がありますから。また貧しい国でも、素晴らしい作品はあるものです。そこで、人の道さんの質問は、どのような国からも豊かな文化が生まれ得るのだが、決定的要因は三つのいずれでもない。何が決定的要因か、と問うていると解釈しました。 これに答えるには「豊かな芸術」を定義しないとなりませんが、私は敢えて、普遍的な視野をもつ芸術が「豊かな芸術」であるとしてみたいと思います。普遍性は、アルケーと呼び変えても良いかもしれません。 すると問題は、普遍性に到達できるか否かです。たとえばマーラーは元ユダヤ教徒ですが、キリスト教の影響を受けることで、良い作品を残したように思います。つまりユダヤ教徒がユダヤ教徒のための作品を生み出すのではなく、ユダヤ教の枠組みに捉われなかったことで、主観的な枠組みを抜け出し、普遍性に近づいたと思われるのです。 何かの宗教やコンセンサスに「漬かっている」だけでは、普遍的な視野をもった作品はできないでしょう。スポンサーに媚び諂うだけでは、良い作品はできないでしょう。自分の作品を客観的に見るだけの視座が無ければなりません。というわけで、お答えは「漬かっていない」国、と言うことになるでしょうか。それをより一般的な言葉では、どう表現したら良いのでしょうね。猪突先生なら、様々な文化が混ざり合い、程よい不安定さがある国、と言うかもしれません。私もこの考え方に同意しているのですが、それは交易が盛んな都市、様々な視点が交錯する場、という風に思います。

hitonomichi16
質問者

お礼

サイコロさん、 「普遍性は、アルケーと呼び変えても良いかもしれません。」 と、 「何かの宗教やコンセンサスに「漬かっている」だけでは、普遍的な視野をもった作品はできないでしょう。」 上の2つの文については、特に有りがたく受け止めています。 ベートーベンの生きていた時代は、現代と比べて経済的には豊かではなかった。 しかし今でもベートーベンの音楽を超えるものは生まれていない。 クラシック音楽の世界においてベートーベンの時代は多くの素晴らしい音楽家と音楽作品を生んでいます。 なぜこれ程多くの豊かな音楽がこの時期に生まれたのか、現代においても超えられない豊かな芸術を生み出す条件とは何なのかと問うたのです。    

回答No.2

質問者の芸術の概念がはっきりしないので微妙ですが 現代で言う芸術の多くは経済効果の賜物であると思います。 音楽、絵画、造形、舞台、建造物、等々はスポンサーや パトロンの援助で製作される場合が多いと思います。 その昔は、パトロンの中に宗教団体や権力者、資産家がいました。 貴方の言う処の芸術とは何を指示しますか?

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

「表現の自由は、「経済的な自由」よりも、厚く保護される(より、公権力の規制になじまない)」 と、ゆーておいて、いいのかねえ

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