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仏像の変遷について
- 仏像の変遷とはどのようなものだったのかを紹介します。
- 初期の仏像は目はパッチリ鼻筋あごの線は通った彫りの深い容姿で、全体のプロポーションもスマートでした。しかし時代を経ると糸目下膨れで団子鼻、全体的にも寸胴な感じに変わってきました。
- この変化はなぜ起きたのかについて考察します。
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僕はその地域で崇拝される人物を具象化したものの違いに起因すると思います。 1番目の写真は、目を開けた中東人青年の立像 2番目の写真は、中年のアジア人の目を閉じた座像 1。 若さを崇拝の対象とする文化は、ヨーロッパに多く、博物館や美術館で見物人を集めるのは青年期の人間をモデルにしたものが多いと思います。 2。 年長者を、その内的な成熟の結果、賢人、悟りを開いた者として崇拝する文化は、東アジアに多く、中国の伝統的な美術に、不老長寿の境地を開いた仙人などとして登場するのは、白髪の老人が多いと思います。 初期の仏像は、ヨーロッパに向いた若者崇拝、外形美や活動を重視する文化で育ち、第二の写真の仏像は、東アジアに向いた老人崇拝、内的な知識やそれを養う瞑想を重視する文化で成熟した、とも読めます。 今の日本は伝統の2の上にアメリカ式の1が接ぎ木され、目下答えを模索中、といった世相なのかも知れません。なぜ「日本のマネキンは西洋人なのか」という観光客の問いが、このあたりを見ているように思います。
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- Verhalten
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仏教は北魏で最盛期を迎えますので、 飛鳥文化(仏教文化)にキーがあると考えました。 ウイキペディアで恐縮ですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%96%87%E5%8C%96 「北魏様式」「南梁様式(南朝様式)」 ここまで来れば研究者のレポートに辿り着くのは容易な作業だと思います。 http://homepage3.nifty.com/chigakubu/sousaku/maya/youshiki.htm >どちらが芸術的に優れてるという話ではないので、念のため。 聞いた話ですが、 仏像は、成仏した心を表現した物なのだそうです。
- trajaa
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日本における初期。 飛鳥時代の仏像には、よくあるふっくら大仏系の仏像の他に、「弥勒菩薩半跏思惟像」の様にとってもスマートなのもある。 初期は、その伝来を忠実に伝えようという考え方も当然あるのだろう。 しかし、時代を経るにつれて、より身近に感じられる容貌に変化していくのでは無いだろうか? そう言えばキリスト教圏には黒い聖母像というのも有るらしい、マリアさんと土着の信仰との融合という説がある。 普遍的なモノとローカライズされたモノが上手くバランスを取っていけるのが世界宗教の条件なのかも。
- nacam
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仏教には、元々仏像というものは存在しませんでした。 マウリア朝のアショカ王が、深く仏教を保護し、国外に仏教の布教団を大量に派遣して、仏教が広がります。 その後のクシャーン朝のカニシカ王も、深く仏教に帰依し、インドで仏教文化が最盛期を迎えます。 そのクシャーン朝の本拠地は、現在のアフガニスタンで、そこで、ギリシャ文化と交わり、仏像が造られるようになります。 当時アフガニスタンにいた人達の多くは、イラン系のソグド人でした。 ソグド人の容貌が、仏像に取り入れられたため、初期の仏像は、アーリアン系の顔つきが多くなります。 仏像文化が、再度インドに流入し、そこで大乗仏教が生まれます。 インド人は、アーリアン系と、ドラビダ系の混血であるため、イラン系に比べ、顔つきがかわつてきます。 それが、中国を経て日本に入ってくることにより、より現地風の顔つきとなってゆきます。 それは、東南アジアでも同様です。 初期の仏像は、アフガニスタンから西域を経由して、もたらされたもので、後期のものは、一旦インドに戻り、唐の時代に中国にもたらされたものになります。
- trajaa
- ベストアンサー率22% (2662/11921)
素人ながら。 作成した人の民族的な容貌が違うからという考え方はないのか? インド系の方は「目はパッチリ鼻筋あごの線は通った彫りの深い容姿」の方が多いと思うし 中国や日本に伝わって以降の事を考えると 東アジアで福・徳のある人は大抵がフックラふくよかな容貌をしている。
- tanuki4u
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ガンダーラの仏像は、ギリシャ人が作ったから http://heizehexin.blog55.fc2.com/blog-entry-163.html 「図録の作品解説によると”古代より西アジアや地中海世界によくみられ」上記より引用 http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/city/203.html 日本製だから、日本人のイメージできるのは、日本人から中国人くらいまで。
お礼
なるほどつくられた地域の民族の風貌が反映されてるんですね。 しかし、仏像がそれぞれの地域で無から作られたわけではなく、例えば最初はインドから中国に オリジナルの仏像が伝来し、それをもとにしつつ現地のイメージも入りつつ独自の仏像が制作され それがまた朝鮮半島に行き日本に行きという流れかと思うのですが、そういった流れの中で過渡期的な容姿の仏像というのは無いのでしょうか? あとタイなど東南アジアの仏像はまた独特のものがあります。 顔は東洋人的ですが、胴が非常にスマートでウェストが強調されている感じです。 これは現地人がこういった風貌なのでしょうか? あるいはこれが過渡期にあたるデザインなのでしょうか? http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a0/23/pilgrim_1215/folder/625123/img_625123_18781092_1?1225603798 http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a0/23/pilgrim_1215/folder/625123/img_625123_18781092_2?1225603798
お礼
確かにおっしゃる通りだと思います。 ただ仏像がインドから東アジアに伝わってきた時、現地人と全然違う容姿だとしても、仏像(というより仏)というのはこういう姿なんだ、という認識の下にそれに忠実に作られるということはなかったのでしょうか? 徐々に独自の解釈は加わってくるにせよ初期にはそういう模写的な仏像がありそうですが。 キリスト教でイエスや聖人の絵像は別に日本人や中国人のような顔に書かれないですよね。