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理科って何を勉強すること?

今日学校の先生が授業で「理科って何を勉強すること?」と聞いたので 自分は「自然の神秘について勉強することです」というと 大爆笑されて「何?君、宗教?」といわれたり「では、あなただけ ”自然の神秘”を勉強して下さいね。他の皆さんは”自然”を勉強して下さいね」と自分の意見は一蹴されました。 これに自分は激しい憤りを感じました。 理科は”自然の神秘”について学ぶのではないのですか? それなら理科って何を勉強することなのですか? 皆さんの意見を聞きたいです。お願いします。

みんなの回答

  • miz6_6
  • ベストアンサー率0% (0/6)
回答No.16

理科って言うのは受験勉強じゃないですか?科学は違うけど。科学者って言うのは自然の摂理を明らかにする人で、理科を勉強する人は科学者になりたい人。

  • eiectron
  • ベストアンサー率59% (58/98)
回答No.15

本当は、専門家などいないのですが、専門家としておきます。専門家とは、ある限られた部分のことについて、理屈をまとめている人を言います。  いいチャンスなので、割り切る意味で、思っているまとめたお話をお話します。  この問題は、言葉の問題です。書くと1冊の本を書ける程きりがないのが、曖昧言葉の世界です。神秘という言葉の理解の仕方を見てわかるでしょう。  出来るだけ簡単にします。  結論から言いますと。私は、あなたの方が先生より良い説明です。先生の方が、単純で曖昧で、人間の心(心理を表す言葉)が入っていないない点で、無生物の言い方です。他人(科学者や国語辞典)から与えられたものを暗記しているだけ、国語のの単純な、しかも自分の狭い経験に考えに基づいたと受け取られる表現です。言葉は色々な使われ方をしていて、単純なものでなく、悪く言うと、曖昧言葉なのです。  先生に聞いてみたいものです。自然って何ですか、どういう意味ですか。どう答えるでしょう。色々ああだこうだと言うでしょう。  神秘と言う言葉は宗教だと思って、決め付ける点でも考えが足りない。まして人前で得意がっているとしたら。  不思議も、神秘も、5感からでた心の表現で、大差ないのです。神様って何、秘密って何、を合わせて誰かが作って使い始めただけです。不思議より多少意味が混じっただけ微妙と言うだけ。言葉に関心のある人が、宗教者、文学者、哲学者・・が使い方を広げ、結果的に曖昧言葉になっているのです。それでは困るので、同じ理解(共通理解)をするために、標準の国語辞典を作っているのです。  言葉は実感と経験と共に覚え、使うものです。この経験不足(科学者、文学者、哲学者、芸術家、詩人、漫才・・色々な人の表現を経験しているかどうか)の人とで食い違いがでてきます。ことばを覚えて使うには、小、中、高、大学、の順序を踏む必要はないのです。  英語は誰がいきなり覚えても良い事で分るでしょう。  不思議は小学生が使い、神秘は宗教の教祖が使うものなんて言うことはないのです。親との生活、テレビ、講演で 実感を持って記憶してしまえば、かまわないのです。   自然って、自分の自と全然、然り、漠然・・の「然」を合わせてどんな意味?   自然ってどうしてあるの。しぜんの神様が作ったのでしょう。神様って誰。  秘密ってどういう意味の言葉?秘密を探っては悪いの?  「神」様の作った自然の「秘」密を探ってはいけないの。  頭文字をつないだ、神秘をさぐるとか、勉強するといったらだめなの。  そうしたら、「勉強」ってどういう意味なの、他人の見つけたり、考えたことを、後追いして暗記していくだけの事なの。  先生の言う、自然を勉強する、って言うと、ただ科学者の発見した事を出来るだけたくさん習って暗記するうように努力するという気持ちの入らない知識の後追いのように聞こえるけれど。  その言い方は間違っていないが、神秘は宗教信者たちが使う言葉であって、科学で分析できない事を表す「あきらめ言葉」だから、そういう言い方は国語ではxでバッテンなの。間違いなの。へんだなー!わかんない。  自然の神秘を探ると科学者はしょっちゅう使っているけどなー!先生は聞いたことないの?先生?!  言葉の作りすぎなのです。意味、使い方が人様々で広げていき、曖昧言葉なのです。特に、感覚、心の状態を表す言葉は全て、経験と実感がちがいますから。  最近は、質問に対する説明や、答えが理解できましたか、とか分りましたか、と言ってきた事を、猫も杓子も、大丈夫ですか。という状態です。体の異常や安全に使っていた言葉だった筈なのに。    ノーベル賞受賞のアメリカの科学者が年末の討論会場で言っていましたが、作文には正解がないでしょう。科学には正解かあってハッキリします。言葉の曖昧な世界が嫌いで、それで科学を選びました。といっていましたよ。  政治の討論を聞いて分かる様に曖昧言葉の世界です。    科学言葉は、5感用語も使って作る部分も多いですが、1ことで、「はっきり言葉の世界」です。万国共通で、老若男女、小、中、高、大学生、博士、技術者、せんせい、人種・・の区別なく共通の、しかも意味が1つきりではっきりしていて、融通の効かない、ごまかしのきかない言葉です。  電流、電圧、放射線、数字、記号、数学、力、・・・。  宗教信者、占い、文科系の人・・・の中には、科学は冷たい、・・・などといって、この、はっきりするのを嫌う人が多いのです。悪く言うと、ごまかしがきかないからなのでしょうね。よく言うと、角を立てない、要はあいまいにすませるわけです。  科学とは、  自然現象の事実を   (不思議と感じて、又は神秘と感じたまま放置せずさっぐる事で始まった、といえるのです。先ず、感じる事がないと始まらないのが科学。ですから、自然を勉強するは真に曖昧表源。自然の何を探る、というのでなければならない。自然の神秘を探るの方が誰が考えても良いではないですか。さまよい動く心理分析にとどまっているのが、宗教屋哲学でしょう。その原因物質、例えば原子、分子とその電気作用で動いている所まで突き止めたのが科学です。・・・・。)  どのように人間言葉で表現したら、老若男女、小、中、高、大学生、博士、技術者、せんせい・・の区別に関係なく、誰がやっても、いつでも、何処ででも、同じ自然現象を間違いなく再現できるし、同じ物を作れる。  という「説明文、又は暗記文、を作ること、又は言い当てる事」を科学と言っているのです。  大きな基本となるものには法則とつける事が多いです。  この暗記文を作るのに専念している人を科学者と言っているし、自然現象を総括して理解出来る、単純化した大きな基本的な事を、暗記すべき説明文で言い当てた人に、現在は、ノーベル賞で報いています。  この大きな基本から出た、枝葉のこまい事(技術的なこと)は、学校、病院、会社、などで、教授、博士、に昇進するとか、部長、課長になるとか、特許をとって利益を売るとかになるわけです。  曖昧では、事故の元になるし、物も作れません。だから 温度、力、条件を数字ではっきりさせ、操作の手順も曖昧表現でなくなるのです。ちょっと違っただけで別な物が出来ますから、科学技術は孫、ひ孫の時代と、無限に出てきます。特に生命の医学は未知だらけ。曖昧だらけ。部分と綜合の組み合せが無限だから。  わき道にそれてきましたので、やめます。  日常の5感で作られ、発展してきた曖昧言葉(意味が多様)の世界(宗教、文学、芸術、・・)が先に作られ、曖昧ことばになり、その後で、意味が1つきりのはっきりした科学用語が作られ、食物、飛行機、発電所、パソコン・・の物質製造が作られ、文化人などといっている はっきり言葉の違いについてでした。  

  • chi-kon
  • ベストアンサー率43% (58/132)
回答No.14

そうですね。 質問自体正解がある質問とは思えませんし、 あるとしたら教育カリキュラムのどこかにかいてあるのかもしれませんね。 自然の神秘という回答は私は賛成ですが、 神秘というのはいくらか主観的な感じがします。 神秘に思えるかどうかはやはり個人差があると思います。 私でしたら「自然の真理」って答えたかもしれません。 まぁ質問自体がナンセンスですよね。 先生に逆にきけばよかったのにって思います。 もしあなたが徹底交戦する構えであるならば 先生の発言は非常に問題のある発言ですのでしかるべき処置をとるのも「世の中の自然」を学べるかもしれませんね。

  • blue_moon
  • ベストアンサー率30% (60/195)
回答No.13

こんばんは。 既に良回答が出揃っている感が有りますが。ちょっと黙っていられなかったので。。おじゃまします。 まず、その先生の対応はちょっとあんまりですね。生徒がマジメにした回答を(たとえその先生にとって想定された望ましい回答ではなかったとしても)嘲笑するという対応は、あまりにも酷い。最悪です。本当に教職者かと思いました。 でも、無理矢理ちょっと好意的に解釈すると、もしかしたら先生は“神秘”という単語に過剰反応しちゃったのかな、とも取れます。 科学の成果って“何だか良くわからないけど(神懸り的に)わかっている”って思われている面も無きにしも有らず。特に“どうやって解るか”が解りにくい分野はね...。 私なりに、もうちょっと突っこんで言うと、理科を学ぶということは、自然の“神秘(解らないこと)”を発見し、それに対峙し調査し解釈し理解する手法を学ぶこと、だと思うんですけどね。 その先生の言う、単に“自然を学ぶ”だけって、要は既知の知識を知るだけに留まっている印象です(それは理科の(学習の)目的ではないはず)。 まず“不思議だな”“何故だろう”って思う心は、本当に大事にしてください。そしてその先に“どうやって解るか”を学んで下さいね。

  • 38endoh
  • ベストアンサー率53% (264/494)
回答No.12

先生の幼稚な言動は少々理解に苦しみますが,かといって「自然の神秘を学ぶ」という回答も良い回答ではないと思います。 例えば「風邪を引いたときアオカビを食べると治る」と主張しても,それは非科学的,オカルト,宗教などと罵られるかもしれません。自然の神秘を神秘のまま鵜呑みにして学ぶことは,やはり非科学的だと思います。 しかし「アオカビによって生成されるペニシリンが抗生物質として働いて風邪が治る」と主張すれば,決して罵られることはないでしょう。このように,自然の神秘から普遍的真理や原理を見出すこと,そして体系立てて理論を組み立てるのが科学であり,その初頭科目が理科だと思います。 せめて「自然の神秘を解きほぐすこと」もしくは「自然の神秘を解きほぐす過程とその結果を学ぶこと」という答えが良かったかもしれませんね。

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.11

>理科は”自然の神秘”について学ぶのではないのですか?  難しいところですが、学校理科を勉強して 神秘が分かったとか、解けた人っていないん じゃないでしょうか?  神秘って、「神が秘めたるもの」という 宗教的意味で、人の力を超えた神の力で 隠されていることだから人間には分からない。 理解不能を意味するものです。 自然の神秘”について学ぶのだとすると・・・ 理科の問題なんか 1)空はなぜ青いんでしょう?  それは神秘だからわかりません。 2)磁石のN極とS極はなぜ引き合うの  でしょう?  それは神秘だからわかりません。  で、全員満点ですね、きっと。 >それなら理科って何を勉強することなのですか?  自然現象について、人間がとりあえず結論を出して いること、つまり人知のおよぶ範囲だけ 皆で覚える。これが理科です。  理科が分かっても神秘は何も分かりません。 あなたの理科の先生が、神秘を理解して いるように見えないでしょ。

  • First_Noel
  • ベストアンサー率31% (508/1597)
回答No.10

この先生は器が小さい. 先生としても科学を教える人としても. でも欲を言えば, 「自然の神秘を客観的に捉え普遍的に表現する」 とかだと,そんな先生でも理解は可能だったかも. 言葉で表現すると解釈様々でしょうから.

  • quoth
  • ベストアンサー率31% (158/506)
回答No.9

学問というのは、先人の知恵を基にして新しい事を学んだり発見していくことです。 所詮、この先生は解っている事を教えているだけです。自ら新しい事を見つけようとはしていないのです。向上心をなくしたつまらない人です。 皆さんの回答にもありますが、あなたの考えは決して間違っていません。むしろ今の教育では歓迎されるべき考え方です。 昔私にこんな事がありました。倫理の時間で昔の偉人さんがいろいろなことを言っていたのを勉強するのですが、テストではだれがどう考えたかを問う問題ばかりがでました。どうしても納得できなくて、 「倫理ってだれがどう考えたかより、自分がどう考えるかの方が大事なんじゃないんですか?」 と先生に問い詰めましたが、先生曰く 「それはそうんだんだけど、だれがどう考えたかを「正しく」理解する事も大切なんだよ。テストではそこをみているんだ。」 と教えてくれました。 でも自分がどう考えるかは、どこでどう評価されるというのがまったくないので、どうする事も出来ませんでしたけどね。

  • i536
  • ベストアンサー率32% (75/231)
回答No.8

「理科って何を勉強すること?」と聞いた以上、 自分が事前に予測できなかったどんな回答が返ってきても、 無視しないで正面から受け止めるのが尋ねた側の礼儀です。 また、あなたの回答は教師の質問の範囲から外れていませんから、 ご質問に書かれたような教師の対応は言語道断です。 学校教育の現場なら、なおさらです。 理科という言葉もそうですが、勉強のとらえかたもひとりひとり考えが違います。 したがって、「理科って何を勉強すること?」ときかれたら、 ひとそれぞれで、いろんな答えが出てくるはずです。 もちろん、どれが正しいとも間違っているともいえないです。 「自然の神秘について勉強する」も正しい答えのひとつだ と私は思います。

回答No.7

理科ですか・・・。 あなたのいうことも間違いではないと思いますし、先生のいうことも間違いではないような気がします。 ただ、個人的にはあなたの意見に近いですね。 以前までは絶対に科学では証明できないだろうということでさえ、現代科学の発展に伴って次々と解明されてきました。そういう意味では昔は神秘的に思われていたことが科学により証明されてきたわけですから特に間違いではありません。 また、科学には100%や完璧といったものが存在しませんのでそういう意味では神秘的なもの、未知の領域のものを学ぶといってもおかしくはありません。 今まで数多くの科学者が生み出され、中にはとてつもない発見をした学者も多くいます。そういった人たちは神秘的なものに対して「何故だ?」という気持ちが強く、その結果偉大な発見や証明につながったのだと思います。 もしも神秘的なものに対する興味や探究心がなくなったなら科学は廃れていくものだと思います。神秘的なものを神秘的と思えない、今ある科学に満足しているようでは・・・。また、あなたの学校の先生の発言は教育者としては失格ではないでしょうか。あくまでも想像ですが、こんな発言をしているようであれば理科という科目を理解できていないと思いますよ。あなたはあなたで、今思っていることを大事にしてください。それが理科を好きになるきっかけにもなるのですから。

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