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天皇や僧侶の生没年
前にも質問していたらすみません。さて歴史上の人物は近代以前は生没年はわからない人が多いですが、天皇や僧侶は生没年がはっきりしている人物が多く、とくに天皇は生年月日、崩御日までわかっているのはなぜなのでしょうか?
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以前にもお答えさせていただいたかとは存じますがその時の回答を今一度記させていただきます(QNo.6910744)。 ※歴史や史実を記した記録を「史料」と呼びます。そこには御指摘にあるような戸籍などの公的記録もあれば、『権記』や『山科家礼記』等の様に貴族の個人的な記録としての「日記」そして『源平盛衰記』『太平記』といった「軍記物」と呼ばれる文学作品、更には公式史書としての『六国史(日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・文徳実録・三代実録)』や『吾妻鏡』『後鑑』『徳川実紀』そして私撰の史書(稗史あるいは野史とも呼びます)である『四鑑(大鏡・今鑑・水鏡・増鑑)』や『愚管抄』『玉葉』『明月記』『太平記』『神皇正統記』を始め寺社に伝わる記録として『東大寺要略』『大乗院寺社雑事記』『蔭涼軒日録』など様々な史料があります。 人物の誕生や没年を知るにはこうした史料から一つ一つあたっていくしかありません。またAという史料には○○年○○の月に生まれた(或いは没した)と記録があっても別のBという史料には異なった日付が記されていた等の話も珍しくはありません。ここで大切なことは「こうした違いがなぜ生まれたのか」を知る事であって、そのためには更に多くの史料に目を通して「史実を確定する」と同時に「史料の信頼性を確かめる作業」が必要です。 また質問者様が事例に挙げられている「戸籍」が持つ史料としての信頼性ですが、これは戸籍を丹念に読んでみると、同じ世帯でありながら前回の戸籍作製の時とは異なり「幼児」「老人」「女性」「奴婢」の数が異常に多い家族構成の世帯ケースが散見されます。これを「偽籍」と呼びます(この辺に関しては早川庄八氏の『日本古代の文書と典籍』吉田孝氏の『律令国家と古代の社会』岸俊男氏の『古代籍帳の研究』等に詳細な研究があります)。これはなぜだとお考えですか?。 律令体制に基づく徴用課役などから逃れることを目的とする行為であり、それほどに当時のシステムが過酷なモノだったことをうかがい知ることができます。 因みに前出の史料を御覧になるには『史料総覧』が便利です。記載されている史料の出典先を探し、該当史料の原典を『大日本古文書』や『大日本古記録』『古事類苑』等に求めていくことで、ご自身の目で確認することもできます」
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- isa-98
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大きく分けますと 史書(歴史書) 記録(公の機関の記録も含む、日記、紀行文) に分けられます。 史書一覧 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%E4%B8%80%E8%A6%A7 日本書紀は対外的な国史書ですが、その為、多くの誇大な主張が多く含まれています。 その為、これ一冊でもって正しいと認識する訳には行きません。 >とくに天皇は生年月日、崩御日までわかっているのはなぜなのでしょうか? http://www.nagai-bunko.com/shuushien/siryou/hei/kiroku/hei-kiroku.htm 御所勤めの役人の日記や公の記録があります。 こう言った「史書」と「記録」を比較検討しながら歴史は決めています。 戦国時代の史料として有名な物に「多聞院日記」があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%81%9E%E9%99%A2%E6%97%A5%E8%A8%98 秀吉の関白就任の時の驚愕の様子を「先代未聞」と表現しています。朝野驚愕の一大事であったらしい事 が伺えます。 このように、寺院では古くから記録を残す風習があり、識字や和歌などの教養が高かったのが 生没年がはっきりしている理由のひとつです。
- misawajp
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しっかりした記録が残されているからです 僧侶は 没年は記録が残されてることは多いですが、生年は親王とうでない限り残されて無いことが多いです なぜ没年の記録の方が残り易いかは 自分で考えてください
- kraftkraut
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古代より天皇家に関する古文書、歴史書が残されているからです。 古事記、日本書紀は神話的な内容が強いため、 天皇家といえど最初期の人物は実在性が疑われています。 古事記、日本書紀以後は複数の古文書、歴史書の存在が確認されており 考古学者や歴史研究家の手でほぼ確実な系譜であると公表されています。 日本に限らず世界各地で信用できる文献が残っている場合 日本史より古い時代の王や皇帝の生没年が明らかになっています。
- tanuki4u
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まずは 日本書紀とか 六国史のような正史が残っていること その後は、貴族の日記が残っているから。 日記というと土佐日記とかを思っちゃいますが、貴族の日記の本筋は朝廷儀式のノウハウ集を子孫に残すことです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%A0%82%E9%96%A2%E7%99%BD%E8%A8%98 「子供に対する意識」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E5%BF%83%E9%99%A2%E9%96%A2%E7%99%BD%E8%A8%98 家制度というか家の家業が確立する平安後期からはさらに明確です 「基平の公私にかかわる行事についての記述が主要」 朝廷儀式で避けて通れない事の一つが天皇の葬式やら、次の天皇になるやつはだれ?という情報。