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シリアと旧ソ連

は、どのくらい仲がよかったのですか

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  • DieMeute
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回答No.1

かなり良かったです。 最初からとても仲が良かったというわけではありませんでしたが、段々と関係を深めていきました。 特に顕著となったのが1956年の第二次中東戦争です。 アラブ諸国とイスラエル、イギリス、フランスの対立となったこの時、ソ連がアラブ側に付き味方しました。軍を派遣したわけではありませんが、外交上、アラブ側について戦争も辞さずという姿勢を見せ、アラブ諸国の好意を得ます。 その時からシリアとソ連の仲が急速に縮まります。 1957年から急速に両国の貿易は拡大し、経済技術援助協定なども結ばれ、ソ連から武器の大量供給も行われました。 この両国の接近に危機感を抱いたアメリカがシリアでクーデータを仕掛けソ連寄りになった政権を転覆させようとしますが、失敗し逆にアメリカ大使館員が追放され、より一層、シリアはソ連寄りになる事になります。 これによりシリアの共産圏化に危機感をさらに募らせたアメリカはシリア隣国のトルコとヨルダンに大量の武器を送り、地中海に艦隊を派遣して、それ以上、ソ連の勢力圏が広がらないよう対処しようとしますが、シリアでは反米デモが起きるなどして、さらなるアメリカへの反発が起きます。 さらにはトルコとシリアの間で国境紛争が発生し、アメリカがトルコが攻撃されればトルコを守るという声明を出した事から、より一層、シリアとアメリカの仲は悪くなり、シリアとソ連の仲が深まります。 ただし、シリアではソ連との関係にある程度の線を引いており、ソ連の言いなりになったり衛星国になったというわけではありませんでした。 ソ連としても当初はアラブ諸国でも支援の重点をエジプトに置いていました。 1955年~1965年の間にソ連によるエジプトへの軍事援助額は12億ドルになりますが、シリアへはその四分の一で3億ドルほどです。 1972年にはソ連がシリアに対し同盟関係の締結を求めますが、シリアはこれを拒絶していますし、他の親ソ国のように国内にソ連軍のための基地を提供する事もありませんでした。 しかし、1978年にエジプトがイスラエルと単独で和平条約を調印し、アラブ対イスラエルの構図の一角が崩れます。 イスラエルと戦う場合、国境を接しアラブ内の大国でもあるエジプトが脱落したのはシリアにとって大きな痛手でした。 しかし、シリアはアラブ民族主義の発展・統一と欧米の帝国主義とその手先であるイスラエルの打倒を国是としてきた事を変えませんでした。 そこで次の手段としてソ連の武器援助の下、シリア単独でイスラエルの軍事力に対抗する方針を取りました。 1980年にそれまで応じてこなかったシリア・ソ連友好協力条約を結び、ソ連と同盟関係に入ったのです。 ソ連からの大規模な軍事顧問団も受け入れました。 そうした同盟関係がソ連崩壊の時まで続きました。 ちなみに、アラブ諸国の中で親ソ国となった国で、ソ連崩壊直前まで軍事顧問団がいたのはシリアだけです。 また、他のアラブ諸国の中の親ソ国では色々な状況から西側諸国の戦闘機や戦車を購入している国が多いのですが、シリアはソ連が崩壊するまでの間、西側の戦車や戦闘機は一度も購入せず全てソ連製でした。 アラブ諸国の中では、冷戦時代からソ連崩壊までの間で、ソ連と仲が良かった国の代表として名前をあげてもおかしくない国だと思います。

buxea
質問者

お礼

非常に詳しい説明ありがとうございました。よくわかりました。

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