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リビアと旧ソ連
は、仲がよかったのですか
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お互いの腹の中はともかく、冷戦後半は良かったです。 リビアは1951年に独立しましたが、その頃は王様のいる王制で、ソ連より西側諸国に近い関係でイギリス軍の基地やアメリカ軍の基地もありました。 しかし、アラブとイスラエルの対立の構図から欧米との関係を嫌う者が多く出てきます。 そのうち1969年にリビア軍のカダフィ大佐(この時はまだ大尉でした)がクーデーターを起こし政権を奪います。 そしてアメリカ政府、イギリス政府との交渉によりアメリカ軍とイギリス軍をリビアより撤退させました。 アメリカとイギリスと手を切り、カダフィ大佐はアラブ民族主義による国家建設を始め、パレスチナ難民の立場に立ちイスラエルへの対決姿勢を打ち出します。 この姿勢は当初、ソ連に近づくものではありませんでした。 1971年6月12日に行ったカダフィ大佐の演説では・・・ 「アメリカ、あるいはソ連の支持無しに生きる事のできない国は地獄に落ちろ!」と過激な事を言っています。 アメリカ、ソ連の両超大国を嫌ったカダフィ大佐ですが、イスラエルと戦ったり、自分の政権を守るには武器が必要です。 そこでフランスから武器を購入し始めます。 しかし、リビアの南にあるチャドで1971年に内戦が発生します。 リビアと国境を接するチャド北部のイスラム教徒がチャド政府と衝突したのです。 そこでカダフィ大佐は同胞であるイスラム教徒を援護するため内戦に介入します。チャド北部には鉱物資源があり、それを手に入れるのも目的でした。 ここで問題になったのはチャドは過去にフランスの植民地であり、まだフランスと繋がりがあり、チャド政府はフランスに支援を求めたのです。 ここでフランスとリビアの利益が衝突する構図になり、リビアはフランスから簡単に武器を購入するというわけにはいかなくなりました。しかし武器は必要です。 そんな時、1973年に第四次中東戦争が発生します。アラブ諸国は敗北はしましたが、その使用したソ連製武器はかなりの威力を発揮しイスラエル軍に損害を与えていました。 そこでカダフィ大佐はソ連に接近する事を決め翌年1974年にソ連を訪問し友好関係を求めます。 そしてソ連から大量の武器を購入するようになりました。 ただし、ソ連と友好関係を結んだと言っても、必ずしもソ連の行動を全面的に支持したわけではありません。 ソ連のアフガニスタン侵攻は非難しています。 以後、リビアは大量にソ連の武器を購入し、ソ連崩壊前は約2000両のソ連製戦車と、250機を超えるソ連製戦闘機を持つようになりました。 そのパイロットの教官にソ連の軍人が派遣され、防空システム施設の要員もソ連軍人が務めていたと言われます。 また、リビアはソ連が他のアフリカ諸国に武器を送るための武器集積所としても活用されていたと言われます。 そうした関係がソ連が崩壊する直前まで続きました。 まあ、リビアは武器が欲しいのでソ連に接近し、ソ連も対アメリカの尖兵、アフリカ諸国への足場としてのリビアを活用し、お互いがお互いを利用する関係だったと言えると思います。
お礼
詳しい説明ありがとうございました。