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ミス・間違いに関する結論と挑戦へのトラウマ
- ミス・間違いは根本的にはよくない事であるが、始めからノーミスで成功するのは不可能であり、試行錯誤して努力することが重要である。
- ミスした場合は叱責ではなく注意やアドバイスを行い、改善点や反省点を共有することが役割であり、ネタにするなどの陰険な行為は避けるべきである。
- 特定のレベルに達した人の不注意なミスは避けなければならず、特に同僚や上司、顧客に影響を与えるミスはしてはならない。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者が6年間も掛けた回答です。 自分を納得されられる回答なのでしょう。 それに反論は意味が無いと思います。 これからの人生でも質問者の考え方で心の整理が 出来る事を願っています。
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- ekopon
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罵倒・辱めのトラウマは、失敗そのものに起因するのではなく きわめて真剣に物事を捉えるという質問者様の性格からきているように感じました。 性格はそのままで、物の見方・考え方を柔軟にすればもっと楽になれると思います。 ブレーキやアクセルペダルに「あそび」が不可欠なように、 何事もワンクッション置いてから反応するように心がけると 冷静に対処できるようになると思います。 「失敗」についてなら、畑村洋太郎氏の「失敗学のススメ」などを読まれたらどうでしょうか?
- papsinex
- ベストアンサー率50% (1/2)
人間というのは最初「間違い」やミスがあるのは当たり前でそれに対して異論はないが、問題なのは「その後」だ。 ミスした、間違いをした人間のその後の行動がすべてだよ。他人から罵倒されて「何をやってんだよお前は!!!」と、言われるなんて事は普通にある。 誰しもが失敗は経験するんだから確かに思いやりはあるには越したことはないが そんなことはきみが6年立って分かったと同じく先輩中学生にも分からなくても何の不思議もない。 そんな言葉云々よりその罵倒した相手のせいにしてやらなくなった君のほうが、何よりも問題だよ。やる気のある人間はどんな辛い事がありどんな事を言われても努力を止めたりはしない。 逆に、やる気のない 人間は何らかの理由で必ず止める。 やる気のない人間が止めるのは、他人は関係ない。 やる気のない自分を棚に上げて他人のせいにしているんだよ 人の失敗を責めないと考えたのはいい事だと思うがそんな事よりも君自身が何に対しても負けないようになる事だな
- aran62
- ベストアンサー率16% (485/2911)
六年掛かって出した結論に対してどう思うかであれば、本人が出して納得した事なのでそれ以上は何も指摘する事が無いが結論になるでしょう。 それに対して敢えて指摘するなら自己弁護が多すぎる。 失敗をしました・・温かく見守ってください。この考え自体が温い甘ったれた考えです。 中学の三年間人の何倍努力しました? 出来ない理由のオンパレードなら今の政権と一緒です。 虐め・罵倒等をせずに優しく諭して欲しい。優しく諭せば頑張って伸びるのかい? 高校に入学一からスタート出来る切っ掛けもトラウマ・・の理由で逃げたのと違いますか。 入学して直ぐに虐め・罵倒されたのかい、違うでしょう。 社会ではミスしたら改善じゃなく全ての責任をかぶれるかどうか問われるのです。 其の肝が据われるかどうかで会社内の評価が決まります。 つきつめて言えば改善も努力も会社での行動では最低以下、遣って当たり前結果が出てそれが全てで、失敗・ミスがあった時に初めてあいつはこんな努力とか頑張ってたからとかで周りがそのミスを認めてくれるかです。 認めてくれなければ会社を辞めるしかありません。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
【「成功体験」を一度として感じる事無く過ごさなければならなかった。 それがとても辛かったのです。】 成功体験も、失敗体験もすべてアナタ個人のものですから、他人の観点から、お墨付きをもらおうということが 最初の間違い。 それから、簡単に、トラウマを使うことも間違いです、死にそうだった、アメリカのベトナム帰還兵から始まった言葉ですから。 傷ついたぐらいで丁度ですが、これとても、傷ついたといったもの勝ちという感じですね、自分に甘い。 他人にとってはあなたが6年立ち直れなかろうが、60年寝ていようが、関係ないです。 あなただけの問題、そして、人はそういう悔しさを忘れがちだからこそ、臥薪嘗胆ということをして、忘れないようにする。 もちろん、この意味知ってますよね? しかし、臥薪嘗胆をしただけでは、次はミスしない、ステップアップすることを意味しません。 コレもわかりますよね? あなたのは、タダの臥薪嘗胆で、忘れないだけ。 ステップアップの工程を含まない6年です。 ミスはしてはいけないということと、ミスはしないという、ミスを許さないということ、ミスを想定するは、全部別物です。 個人としてはミスはしないと志すが、ミスをしたときを想定してのシュミレーションをするのは、当然です。 スポーツなら、すぐに次の動作に移れるような、体の動き、精神のタフさ、そのモチベーションがソレを保証する。 スラムダンクを読んでみて、そうは思いませんか? 社会的システムもそうです。 あってはならない、ミスを想定して成り立つ。 リカバリーをどうするか・・・です。 すぐに対処する、コレのために、トレーニングも学びもある。 コレは、臥薪嘗胆ではないです。 ただ、悔しいではダメだということ。 年初の箱根駅伝で、昨年は21秒差に泣いた、東洋大が9分以上の大差で優勝です。 柏原君だけに頼るレースをするからだと反省、一人ひとりが2秒を縮めるにはどうするか、考え、行動し、積み上げる、 途中修正もする。 確か、出雲だかなんだかのレースでも32秒差の2位だったとか。 当然に、また、一人ひとりが修正です。 ココまでやって、ステップアップです。 ミスを忘れないだけでは、タダの臥薪嘗胆。 苦いから忘れない、痛いから忘れない・・・立ち直れないぐらいにアナタのトラウマから得たもの。 ただ、記憶しているだけです。 アナタが今になって、多少ともバスケがうまくなったのは、本当の意味でのトレーニングが始めてあなたにとって出来たからにすぎません。 別に、相手が必要だったということではなく、あなたが走るなら、 あるいは、一人で3pシュート練習を6年やってもいいわけです。 しかし、アナタのミスから学んだのは、ミスをしないということを忘れないための、臥薪嘗胆に過ぎない。 その経験を忘れるな・・・だけです。 重要なのは、すぐに動くこと、すぐに対処すること。 同じミスをリトライ、リカバリーできるかどうかは、保証されません。 システムとしてそのようになってる。 ミスがいいとか、悪いとかそういうレベルでとどまっているのが、まだ、臥薪嘗胆です。 ミスはある、ではどうするか、次はあるかもしれない・・・してはいけないが、ではどうするか・・です。 この、臥薪嘗胆ですが、私の高校の頃の漢文の教師がこういいました、 「コイツ本当に馬鹿だよね、こうやって毎朝、思い出すようにしないと 思い出せないようなことを寝るのも大変で、朝もいやな思いして、 努力して忘れないようにして、まぁ、一生懸命なんだけど、忘れないだけで こんなにエネルギー消耗して、損じゃない?」とね。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
>「罵倒」「虐め」と言った様な事は絶対にすべきではない。 >陰険なイジメのような事をして「その人の失敗」をネタのようにふるまうのは絶対に駄目で、 >その人が一生懸命にやって起きてしまった失敗ならば、改善点やこういう点が良かった。 >という反省などを言ってあげるのが上司やその人を取り巻く周りの人たちの役割である。 >「この人が先にある正解に辿り着く為には、ちょっと時間がかかる」と思い、協力してあげるのが基本である。 理想論だけどね、そんな環境は学校だろうが会社だろうがスポーツチームだろうが滅多にありません。もしそういう環境におかれたら、そういう環境に出会えた事を神に感謝すべきであって、出会えなかったことを神に呪うのは間違いです。それは、宝くじのはずれくじを持って「なんで当たらないんだ」と文句をつけているのと同じです。 だからこの先、質問者さんがまたもし何かに挑戦した場合、多くの場面でまた失敗するでしょう。自分でもうんざりするほど失敗すると思う。でも、それは環境のせいじゃないんです。失敗して負けたなら、それは結局「自分に負けた」ことになるんです。 質問者さんの中学生時代も、罵倒に負けたんじゃないんです。罵倒された自分に負けたのです。 ただ、人間というものは敗北から多くを学びますが、残念ながら勝利からなにかを学ぶのは非常に難しい生き物です。あるプロゴルファーも、「私は敗北から多くを学んだが、まだ勝利からはなにひとつ学んでいない」といったほどです。だから、敗北は自分が成長できるチャンスでもあるんですよ。 何かに挑戦したくても勇気がもてない質問者さんに、タイガー・ウッズのこの言葉を贈ります。 「届かないパットは、永遠にカップインしない」
- tebyoshi
- ベストアンサー率21% (29/138)
はじめまして。 辛かったんですね…。 「ミスに対しての定義」が正しいか? という質問に対しては 「人、状況や過程、性格、経験により一律には言えない」 が私の回答です。 文章を読んでいて、私は「再挑戦」に対する恐怖心を排除したい、との質問だと思いました。 恐怖心はどこから来ると思いますか? 成功体験が無いから? ミスして罵倒されたから? 違います。 自分に負けているからです。 トラウマなんて簡単に使っちゃいけない言葉だと思いますが私だって三十数年生きてきてそれに当てはまるような事はひとつやふたつありますよ。だけど結局打破できるのは自分の心一つなんです。 ミスしてしまったら0になります。 でもマイナスになる事は無いのです。やってもやらなくても0なら やってみて1になったら儲けもの。 もっと楽に行きましょう。 大丈夫。
- tsuyoshi2004
- ベストアンサー率25% (665/2600)
シンプルに感想を述べれば、「失敗はあくまでも失敗。それを回りがどのように評価するかは回り次第。」だと思います。 個人的には失敗しても許される環境での成功経験は真の成功経験にはなりえないと思ってます。 スポーツでいえば、シュートを外したら交代させられるかもしれないしベンチで罵倒を浴びせられるかもしれないという覚悟でシュートをして決めるのが正しい成功経験で、外しても何の罰もない状況でのシュートの成功はただの練習です。 交代や罵倒というプレッシャーの中でシュートを外して本当に交代させられたり罵倒を浴びせられるかは回りが決めることで本人が決められることではないでしょう。 強いて言えば、回りの反応を変えられるのは、普段の練習態度とかそんなものしかないでしょう。 「あいつは誰よりも練習しているし、あいつがシュートを決められないのであれば仕方ない。」というくらいの練習態度しか回りの反応は変えられないと思ってます。 仕事でも同じことで、クビをかけて仕事をすれば、事前の準備や想定も一層真剣に慎重にするでしょう。 その結果は成功確率が上がります。そしてその準備や想定している姿を見ていれば上司も同僚も失敗しても納得してくれるでしょう。 行き当たりばったりで挑戦して失敗しても回りが「ほら見たことか!あんなんじゃできるわけない。」としか評価されません。 もちろん、新入社員など経験が少ないものはその準備や想定がベテラン社員がする準備や想定に比べれば粗末かもしれません。でも、回りが見て新入社員なりのベストが尽くされているかどうかは見ていればわかります。 言い換えれば、最低限でも「自分の中では100%の成功率」という自信を持って挑戦していないことは周囲から見れば「無謀」にしか見えません。 イチローでも中田でも「この打席は凡退」とか「絶対にこのシュートは入らない」なんていう気持ちでは打席に入ったりシュートを打ったりはしないでしょう。その瞬間は「絶対にヒットが打てる。」「絶対にシュートが決まる」と思ってバットを振ったりシュートを蹴ったりしていると思います。 それでもイチローでさえ6割以上は凡退するし、中田だって半分以上はシュートを外すんです。