- 締切済み
過去の経験をいつまでも引きずりたくない。
【失敗を恐れず挑戦し、とにかく初めの一歩を踏み出して転びながらでも学んでいく為に・・・】 23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以来、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・バスケなので体と体がぶつかるのは仕方ないのに当たると「キモイ」「死ね」等の暴言を吐かれる ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて来る ・ミスしたら馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことを、まだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる状態でも、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされる。 自分でカットインしてシュートに持って行きたいけど、もし外れたら何言われるか分からない、酷い罵倒をされるかもしれない。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。 それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 「熟語を全て頭の中に叩き込んでから、英語を喋る」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っていると断言できます。 よって僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識しないといけない。。。 ここで皆さんに質問です。 こんな経験をした僕が、一体どうすれば2つの理論が誤っていると「実感を伴った形で」認識することが出来るでしょうか? 多くの回答、お待ちしております。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- date2014
- ベストアンサー率22% (13/57)
2つの理論を修正しようと考えることをまず放棄する。 新しい事実を上書きしていく事をおすすめする。 不完全な状態で敢えて何事も挑戦してみる。 つまり過去にあったイジメと同じ状況を何でもやってみる。 これは単なる「実験」である。 そして同じ結果が出るのかどうか確かめる。 この結果を確認するためにチャレンジするという意識に変える。 ただの「検証」である。 感情における「心」を排除し「頭」で理性的に考えることにしよう。 同じ状況で再現する場合の結果に対する恐怖感は心で考えている証拠である。 結果によってあなたは、「過去と同じ環境や条件が同じ結果を招くことはない」 ということを学ぶと思います。 あとアドバイスとしては、小さな成功を積み重ねていくことをオススメする。
- sum0121
- ベストアンサー率4% (6/136)
気持ちはわかりますが 質問者様はひょっとすると自分への自信のなさからなにかに挑戦するのも 億劫になっており、それを転嫁というかたちで過去のつらい思い出になすりつけている のかもしれません。まずは些細なことでいいので成功体験をすることです。 小さな自信が大きな自信になったときに頭の霧が晴れること願っています。 頑張ってください。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。
- meikaku12
- ベストアンサー率2% (3/109)
そんなに考えなくても経験していけばなんでも認識していきますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。
- beest002
- ベストアンサー率12% (51/421)
理論では理解出来ているってことは 生きていれば、いつか答え(認識)もできますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。