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中国の歴史書などに「三族」皆殺しとありますが・・・
たとえばAが主君に謀反した場合、Aの一存だったとしても家族はもちろん三族(父方の一族、母方 の一族、妻の一族。父・子・孫、父母・兄弟・妻子)全てに罪が及ぶわけですが当時の中国の戸籍は どうなっていたのでしょうか。 姻族は近くにまとまって住むとか人質のために一カ所に固められるような風習があったのでしょうか。 疑問に思うのは追っ手はどうして誰々が「Aの一族」だということがわかったのでしょうか。 見せしめに幼子まで皆殺しというのは当時の習いとはいえ酷だと思います。 謀反する側も文字通り命がけでしょうが。 いつの時代でも例え正当な理由があろうともクーデターなど「権力争い」は醜いものですね。
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補足
「科挙」とは隋にできた制度ですよね。なぜ突然「科挙」が出てくるのですか。 言葉足らずでしたがそこまで下ったところではなく「史記」などの「古い時代」のことをたずねたかった のですが。 ご回答いただきましたが「なぜ三族がわかったのか」という質問とは遠いようです。 別に「権力争い」に固執しているわけではありません。ただそういったこともあったであろう、という だけのことです。決め付けないでいただきたいです。 もちろんクーデターなどでなくとも、讒言により一族もろともではないですが、自害させられた呉子胥 などの話は有名ですし、権勢を振るい、専横の限りを尽くし、挙句滅ぼされた、という人物エピソード も存じています。