貨幣の本来の姿は
・それ自体が実質的価値を有する。
・持ち運びが簡単。
・腐ったりして滅失しない。
・均質である。
・分割が可能。
・価値の安定性。
・真正品という保証。
このような条件が必要とはW.S.ジェボンスが述べています。
従って純度の定まった貴金属を、一定の形にして刻印を付加した「鋳貨」が最も貨幣に相応しいと
いうことになったのです。
本来「貨幣」とは本位貨幣を表すものですから、紙幣や補助貨幣はあくまで貨幣の代用物なのです。
また貨幣は交換尺度の基準となるべき物です。純金1グラムに対して便宜上1000円という名称が
付けられたとします。農家は米を生産し、その米2キログラムが1000円とされたとします。
また、漁師は鯛を水揚げし、その1匹がこれも1000円とされたとします。
貨幣の無い時代は農家の人は直接米を持って、漁師に会い、鯛一匹と米2キロを交換します。
しかし貨幣が登場してからは、まず米2キロを売って、金1グラムからなる1000円金貨を得ます。
そしてそれを漁師に渡して鯛1匹を買うという経済活動が行われるのです。
米2キロ=金1グラム=鯛一匹・・・・他にもビール1ダースとか、バター1ポンドとか
凡そ1000円と判断された物は等しく金1グラムと等価ということが原則なのです。
ですから、貨幣と言う物の本質的な機能は「一般的交換手段」及び「一般的価値尺度」であると言えます。
現在は信用通貨の時代で、本位貨幣はありません。今の貨幣は全て「貨幣の代用物」なのです。
それは国に対する信用度が古代や中世とは全く異なるから成り立つのです。
最初にあげた貨幣の機能はほとんどが信用通貨でも代用できますが、
「実質的価値を持つ」という点は、本位貨幣にのみもたらされる機能なのです。
一国の紙幣はその国家という法的秩序の及ぶ区域においてのみ強制通用力を持つもので、
その国家が消滅すれば、紙幣はただの紙切れになります。
これに対して本位貨幣は地域を越えて無制限に通用するというところが大きく違うのです。
現実的には金価格の高騰などで金本位制度は崩壊しましたが、今でも金という物は、
やはり価値の尺度、実質的価値を持つものとして、貨幣と同じ扱いをされているのです。