※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:救いの御業に向かう信仰心)
信仰心の果てに辿り着いた絵描きの道
このQ&Aのポイント
4年制大学在学中にアニメ絵描きを目指すことを決意し、大学卒業後も絵の勉強を続けている者です。
キリスト教教育を受けた大学で友人と出会い、教会に参加するようになりましたが、人間関係の問題に悩み、絵の勉強に専念することにしました。
頑張りの末に自分の作品が評価され、神様の義として認められる喜びを感じましたが、未熟さから新たな不安と恐れが生じ、描くことができなくなりました。心の迷いと感動の再獲得を求め、アドバイスを求めています。
自分は4年制大学に在学中、大学の勉強とは異なってアニメ関連の絵描きになりたいと思い、大学入学から絵の勉強を始めて、大学を今年の3月に無事卒業して、フリーターをやりながら絵の勉強をしている者です。
自分が在学していた大学はキリスト教教育に属した大学であり、在学2年目にして初のクリスチャンの友人が出来ました。当時は自分の大学生活において人間関係の悪化が自分の心を悩ませていたので、その友人に悩みを打ち明けたところ、教会に誘われ、始めて触れる聖書や礼拝においてイエスキリストの事を深く知って祈っていきましたが、中々人間関係が良い方向に改善されず、もうここは人間関係の改善をあきらめて、絵の勉強に専念していきました。ここで神様と自分の夢(絵描き)との関連性はまったく無かったと思いました。しかしだんだん教会生活において自分が目指すべき夢を神様にお願いする、委ねる様になり、自分が気に入る聖書の言葉でローマの信徒の手紙5章の中で、『艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性を生み出し品性は希望に変わる、、、』という言葉通りに絵の勉強を忍耐しながら頑張りました。
そして絵の勉強をし始めて5年目に自分の作品を買ってくれるという人にめぐり合うことが出来ました
。『あなたの絵はお金で払う価値のある絵です』と言う評価を頂いて、しかもお金ももらって人生初にした大きな出来事でした。そしてそこから自分の描いた一つのジャンルの作品をたくさんの人たちから良い意味で評価されるようになりました。そしてそれが神様の義ということがわかり、それを牧師に相談したところ、『聖書の言葉通りに働いたのならそれがあなたの義です。』と言われ、自信を持ちました。そして数日後のある日、とてつもなくこの世の喜びではないものすごく大きな喜びに満たされるようになり、神様が自分に預言してくれました。『あなたはアニメ関連の幅広いジャンルの絵を描くことが出来る。』、そのような預言を頂きとてつもなく感謝しました。しかし自分の画力はまだまだ未熟でありながら、自分が以前描いた作品ではない作品を描いたら人にどう思われるだろうかというあらゆる不安と大きな恐れも生じるようになり、だんだん絵が描けなくなったしまいました。聖書の中には、信仰による恵みは行いによるのではないと言う箇所があるのですが、画力も伴わない自分が新しい一歩を踏み出せなくなってしまい、正直苦しい展開でいます。
自分の心にキリスト(聖霊)を向かい入れたいのにいつも心が迷い、以前預言によって告知されたあの素晴らしい感動も見失う所まできていて正直苦しいです。
状況改善に何らかのアドバイスをクリスチャンの方々にもらいたいので宜しくお願いします。