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和船が外洋に進出できなかった理由とは?
西洋ではガレオン船などが外洋に進出し大航海時代を迎えていたころ、日本では近海を航行する和船しかありませんでした。 日本でかつて作られていた和船はなぜ外洋に進出できなかったのでしょうか?
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- ur2c
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既出の回答にあるように、政策上の理由がありました。そのため船の構造にいろいろな制約が課せられていて、技術的にも外洋航海は無理でした。特に甲板がないことと、舵が弱点だったようです。参考 URL に大雑把な説明があります。ただ、参考 URL に「風切り」と書いてある操船法は「間切り」(まぎり)のまちがいです。 なお、間切は今で言う tack (上手回し)ではなく、jibe (下手回し)だったそうです。 堀内雅文; 大和型船--航海技術編--; 成山堂書店 1982 の p.148 に桃節山の西遊日記 (1865) に載っている図解が再掲されています。
- waltz-of
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大航海時代は何世紀化忘れましたが江戸時代なら鎖国制度があったこと 特に外洋に出てゆく意味がなく日本近海でも魚が豊富にとれたしイギリスみたいに世界の海を制覇する野望がなかったこと 日本人の世界観が日本周辺の中国や遠くてもインドまでしかなかったこと
- ultraCS
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勘合貿易や朱印船、倭寇なんかは、和船で中国や東南アジアには行っています。ですから、鎖国という状況の下でそういう用途が無かったというべきなんじゃないですかね。 また、日本の西側や南洋には国や島があることが当時の知識でもわかっていましたが、東側(太平洋)に陸地があるという知識が得られたのは鎖国直前出し、当時の国力では大型外洋船を作って乗り出そうというモチベーションもなかったのでしょう。この頃、太平洋(この名もなかったけど)に向かって出港するのは、南方浄土に向かう捨身行である「補陀落渡海(ふだらくとかい)」くらいでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E6%B8%A1%E6%B5%B7 なお、大型外洋船を作るのは、竜骨や肋材を持たない和船の構造では実現が難しいというのも一因かと思います。
- take-on3
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外洋に出て交易をしていた船(人)もありましたが、 その後鎖国政策が始まってしまいましたので。 なので交易の盛んな地には帰って来れなくなった人達の日本人街がありました。