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側室は名誉なことなのでしょうか?

昔の人(徳川家康など)は側室というのがあったのですよね? 側室とは今で言う愛人に近い存在ですか? 昔の人なら側室でも結構名誉なことなのでしょうか? それとも現代みたいに「不倫の女め!」とご近所から言われたり 「みっともない」と思われたりするのでしょうか? 親などは (本来ならば正室がいいが) 側室になれた娘を誇りに思ったりするのでしょうか? ご回答よろしくお願い致します。

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noname#177363
noname#177363
回答No.4

そもそも、結婚制度が現代とは違うので、「現代みたいに…」という発想自体が当てはまりません。 側室というのは、徳川家のみならず、その家を守るために皇室や公家、有力な武家にも脈々と受け継がれた日本の伝統的結婚制度とも言えます。古くは4~5世紀頃の天皇家に、すでに側室と思われる女性の名前があります。逆に側室を持たなくなったのは大正天皇以降ですから、千年を超す天皇家の歴史で、一夫一婦制の方が圧倒的に短く、新しい制度だということになります。 嫁ぐ娘を誇りに思ったかどうかは、「側室だから不名誉だ」とか「正室だから名誉だ」ということではなく、婚家と実家の格の差の問題だったと思います。 日本では天皇家以上の家格はありませんから、天皇家に嫁ぐということは、どんな家でも名誉だったはずです。 徳川将軍家であれば、側室の多くは庶民や身分の低い武家の出が多かったので、やはり側室でも名誉なことだったはずです。それをきっかけに実家が取り立てられることもあったので、うらやましがられることはあっても、「不倫」だとか「みっともない」などと思われたりはしなかったはずです。 反対に、徳川将軍家の正室には、京都の公家から迎えられたことが多く、武家を見下していた公家の姫にしてみれば、東下りは不名誉というよりは屈辱と感じられたかもしれません。周囲もきっと、陰で「御気の毒に」などと思っていたのではないかと思います。

m8u7h6g5
質問者

お礼

ありがとうございました。

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回答No.10

キリスト教が一夫一婦制というのはなんでであろうか^^。 あんな昔に女性を平等に見ていたわけはないのに、実際に女性の僧侶(尼僧)がキリスト教で認められるのはずっと、後世である。キリストは人格異常者であったのか^^; というように、第二夫人(まあ、正規、不正規という問題は別にあるものの)が悪という考え方は、キリスト教だけと言ってもいい偏った考えで、古今東西で特殊です。 今だって、デビ夫人はセレブで高貴な身分だったのよって鼻高々で、多くの日本人はそんなふうに認めてるようだが、あれは銀座のクラブのホステスでインドネシアの国王に見初められて第三夫人にされた女にすぎないが。あそこはイスラムだから多妻でよかったのだろう。フィリピンはキリスト教多いから無理やったろうな。 はっきりいって、現代でも多くの妻を所有できる者は甲斐性がある立派なオスで一人しか妻のいないのはダメ男という価値観のほうが世界では圧倒的に多いと思いますよ^^;

m8u7h6g5
質問者

お礼

なるほど。ありがとうございました。

  • ithi
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回答No.9

m8u7h6g5さん、こんばんわ。 側室ということは 高貴な男性の妾、または寵愛を受けた女官・女房・女中をいうそうです。だから家来や使用人の性格があります、正式な家族の一員ではないそうです。なる女性は前述の性格上、家臣の娘か領民の娘という一般的には身分出自の低い家の出身ということになります。だからシンデレラ的に考えれば側室でも結構名誉なことだと思います。

m8u7h6g5
質問者

お礼

わかりやすい例えでした。ありがとうございました。

回答No.8

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 いろいろお答えが出ていますが、簡単にまとめると次のようになります。 (1)時の権力者は、自分の子どもが欲しかった。その子が偉くなれば、自分の身も安泰だった。 (2)明治時代までは、「一夫一婦制」と言う考え方はなかった。側室を持つのが当たり前の時代背景でした。 旗本や貧乏御家人でさえ、「めかけ」を持つことが「うらやしがられる」時代でした。 (3)江戸時代に限って言えば、次の将軍職に就く者は「自分の子どもであって欲しい」、また、「将軍の血筋を絶やしてはならない」の意味から、側室を何人も持って子どもをたくさん生産できる体制を作った。 将軍の多くは、公家の娘を正室としましたが、公家の娘は栄養状態も悪く、子どもを産めない体質が多かったことと、いわば、政略結婚でしたので、将軍も余り気に入らなくても正室に迎えざるを得ませんでした。 (4)大奥の序列としては、正室が頂点ですが、その下に大奥総取締がいて、四番目の位として「中臈」(ちゅうろう)と言う位があり、すなわち、将軍の「おめかけ候補」が、多い時代で50~60人居ました。 また、正室や側室にしても30歳になると、出産の大変さから「おしと寝御免」言って、夜を共にすることができませんでした。 そこで、自分の権勢を保つため、自分の部屋子の中から器量の良い娘を将軍に薦めたりしました。 (5)中臈の出身は多くが旗本などの家の出のため、躾や作法が行き届いていました。 (6)将軍に気に入られて一夜を共にすると、翌日からは、「お手付き中臈」と呼ばれ、部屋子が一気に100人位に増え、お手付き中臈の世話に当たりました。中臈の中でも「側室」としての権勢を誇りました。ちなみに、一生涯「お手付き」にならない中臈は「お清の中臈」と呼ばれ大奥で暮らしました。 (7)また、よくあることですが、将軍の湯殿で背中を流していた下級の者にお手が付いた場合にも、翌日からは、「お手付き中臈」に昇進し、部屋子と権勢を持つようになりました。 (8)お手付き中臈が妊娠し、子どもを産んだとき、男児の誕生ならば「お部屋さま」と呼ばれ、女児ならば「お腹さま」と呼ばれ、これまた、強い権勢を誇りました。 11代将軍家斎には、特定されるだけでも側室が16人余りいて、57人の子どもをつくっています。ただし、半数は夭死していますが・・・。 (9)側室になると、旗本や御家人など、家族も扶持米が増え、必ずと言っていいほどお役に就いて昇進しました。また、庶民の娘であっても、親兄弟などがいきなり旗本などに取り立てられたりしましたので、その家としても大変名誉で喜ばしいことでした。

m8u7h6g5
質問者

お礼

詳しいご説明ありがとうございました。

noname#177763
noname#177763
回答No.7

江戸幕府の正室となると公家の女性を迎える事が多く、 公家出身の正室が子供を出産すると公家の発言力が強くなってしまいます。 ですから正室とは名ばかりで、側室に子供を産ませたと思います。

m8u7h6g5
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.6

もう答が出ていますが、ちょっとだけ捕捉を… 側室も「室」とつく限りは正式な奥さんで、何人いても(一夫多妻なので)不倫ではありません。 側室の大半は政略結婚で、殿方がどこかで見かけて「この娘が好き!」で愛人にしたのではありません。 (例外はありますが) たとえば、一時は豊臣秀吉の後継者として関白になった豊臣秀次には、下は13歳から上は60歳まで、のべ40人の側室がいましたが、そのうち、秀次と恋愛をして側室になった人は、たぶんいなかったと思います。 皆、その姫たちの親が、「側室にして下さい」と言って来て側室にしているのです。 万が一、秀次に気に入られて、その子供を産めば、彼女たちの親は、関白の子供の祖父母になるのですから、名誉どころの騒ぎではありません。 子供は生まれなくとも、関白殿下のもとに娘が嫁いだというだけで名誉なのです。 ちなみに、「親の都合によって好きでもない人と結婚させられる娘さんがかわいそう」とお思いかもしれませんが、恋愛結婚が大部分を占めるようになるのは、戦後になってからですから… 「恋愛結婚は、身分の低い者がするはしたない事」というのが、むしろ時代の常識だったんです。

m8u7h6g5
質問者

お礼

>「恋愛結婚は、身分の低い者がするはしたない事」 勉強になりました。ありがとうございました。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.5

側室になるには、王様に気に入ってもらわなくてはなりません。 なので、競争が大変です。 ただし、ある女性が側室になるということは、その家が王室とつながりを持つことになります。なので、合法的に側室となった場合には、名誉であり、かつ実利もありました。 重婚とか、宗教問題とかかかえると、周囲の顰蹙を買うことが多いです。ただ、これは王も顰蹙かつ非合法なので、例外といったほうがいいでしょう。

m8u7h6g5
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#180427
noname#180427
回答No.3

まず、愛人からでしょうね。 あなただって、嫌いな女を側室に、しようと思います?(笑) 昔は、跡継ぎを残す為に、女の腹を借りるというのが普通ですものね。 家康、秀忠、は別にしても、宮から正室を迎えるのは、当然となりましたけど、 お人形さん相手では、面白くもなんともない。 当然、自分の気にいる女を相手にしたい。 ですから、正室とは、名ばかりで、側室の方が羽振りが良いのです。 詳しく話しだすと、3000文字では、足りません。 側室の娘は、誇りなんてものではありませんョ。

m8u7h6g5
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • tukihana
  • ベストアンサー率23% (11/46)
回答No.2

昔は一夫多妻制が当たり前ですので、側室といっても正式な婚姻関係に基づくれっきとした妻です。 愛人ではありません。婚姻関係にないただの愛人は妾といいます。 したがって身分のある人の側室になるのは名誉と言っていいと思います。 もちろん身分は正室より下に扱われますが、世継ぎを生めればそれも逆転しうるものでした。

m8u7h6g5
質問者

お礼

側室も妻なのですね。ありがとうございました。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

支配階級にいた昔の人はその権力を世襲することで代々維持しようとしますから、子孫が絶えては困るのです。そこで子供を産める側室を置いたのであり、それは権力者の子孫を作るということで名誉なこととされたのです。

m8u7h6g5
質問者

お礼

名誉なことなのですね。ありがとうございました。