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外の価値と中の価値
池田晶子さんの本を読んでいたら 時代や状況によって変わってしまう「外」の価値は本当の価値じゃない、本当の価値は君の「中」にあるんだよ と書いていました。 まだいまいちピンときてないんですけど、この言葉がなんとなく好きです。 という事は、私達が普段、嫉妬や見下しの軸にしている 金、学歴、容姿等の社会的な価値は、単なる「飾り」でしかないという事でしょうか? では中にある本当の価値とは?
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質問者が選んだベストアンサー
池田さんのご本は読んだことがありません。しかし、精神現象学や木田元さんの影響など、たぶん同じ系譜のものを吸収していると思いますので、ご参考までに述べます。 自分というものを決めるものさしには、atribut(属性) と identite'(自己同一性)があります。 アトリビュというのは、まさに、学校名や職業、容姿、家柄、居住地、国籍、などなどを意味します。 これは状況によって変わるもの、変えうるもの、うつろうもので、他律的です。 裏口入学も美容整形手術も髪の色も、お金で買うことができるでしょう。 学歴や家柄を詐称すればそれが影響力を発揮します。 給与額や預金高が高くても国家が破綻すれば、持てる紙幣は紙屑同然です。 戦争や亡命では、居住地も国籍も変えるか隠すことさえあります。 こういうものは、自分を説明するのに便利な事柄なのですが、アトリビュであり、外からの力で剥がされ、奪われ、あるいはあてがわれているものです。 もう一方のイダンティテ、英語だとアイデンティティのほうは、自分自身であること、ただそれだけを意味しています。 自分であることをやめてしまいたい、他の人になってしまいたい、自分を殺してしまいたい、というようなネガティブな気持ちにならないための、本来備わっている根源的な力なのです。 精神不安定によって、自分についての記憶や主観や感覚が、錯綜したり混乱したりせず、自分を振り返ることができる、自分の考えを持つことが出来る、ということ。 そうして、自分のイメージという鑑を、心の中にしっかりと持っているので、自分の心に照らして善悪や道理を判断することができ、自分を導いていけるのです。
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- hekiyu
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死を思うのです。 もうじき死ぬ、となった場合、お金に価値を感じる でしょうか。 社会的地位や学歴、容姿に価値を感じるでしょうか。 死を思って、それでも価値がある、と感じるものが 質問者さんの言う 「中にある本当の価値」 だと思います。
この世は空(くう)である.空であるが故に,移ろい往く. 自分の価値を知るならば,存在としての価値はゼロである. つまり存在自体に価値など無いと知ることなのだ. では,自分の中の価値とは何か?それは存在自体ではなく, 存在を伴って現れる,志向性である.ゼロを決して,ゼロの ままにはしておけない志向性.それは愛であろう.自を労り 同じ様に他を労わろうとする愛.しかし,財産を所有する者 は,その財産を守ろう,更に増やそうとする欲望に囚われや すいが故に,他を労わろうとする愛が薄れ,自を労わること も出来なくなるのだ.すなわち移ろい往く財産に囚われる事 によって,愛もまた移ろい往くのだ. 結果,移ろい往くことの無い,ゼロを知ったうえでの愛が, 自分の中にあるならば,それが自分の価値となり,ゼロが, ゼロではなくなるのである.つまり,価値を求めれば価値は 無く,価値を求めなければ価値が生まれるという事である. これは,何の為でもなく,ただ,黙々と働くという行為に 相当する.そこに移ろう事の無い,真価を観るのだ.
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