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罪の償う方法は…?

私は、沢山の罪を犯しました。ただ、法には触れていません。 ですが、沢山の人に迷惑や心配をかけてしまったり、自分の体もボロボロです。 私は無宗教だし、神様仏様などを信じてはいませんが、「肉体は神様仏様からの借り物」ということを聞き、肉体は寿命がきた時には、綺麗な状態に戻してお返ししなければ、と考えるようになりました。 ですが、罪の意識から解放される…とまではとても言える立場ではないので、どうにか償う方法はないでしょうか? 家庭があり(子供はいませんが)金銭的にギリギリの生活をしていますので、お金をかけることは出来ません… 「ただの自己満足だろ!許されることはない!」と言われるのも承知の上で質問させていただきます。 仮に神様仏様がいるのでしたら、懺悔し、罪を償いたく思います。たとえ、何年かかっても償っていくつもりです… 真剣ですので、冷やかしなどの回答はご遠慮下さい。 よろしくお願い致します。

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  • michael-m
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回答No.5

『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』これは親鸞の説いた教えですね。 結構間違った解釈をして悪い事をしている者も極楽に行けるんだなどと言いますが、違います。 自ら悪と自覚した者こそが救済の対象であり、悟りを開けば往生するという意味です。 では善人とは何か。 もし貴方に対し、「助かるわけ無いよ」などというものが居たら、或いは善人面する者が居ればそれこそ悪人です。 この世に多かれ少なかれ、人に迷惑をかけていないものなど居ません。だからそれを以って自分を責める事は無意味です。自覚し対処するのと責めるのとは全くの別物ですから。 もし自分は人に迷惑を欠けた事が無いというものが居れば、それこそ猛省を問われるべき者です。 親鸞は人間の本性は悪人だといっています。つまり善人は自らが悪と気づく事もできない悪なのです。だから救済の対象なのですが、自らを悪として認め、悟りを開かぬ限り救済される事がありません。 幾ら浄土の教えとはいえ、全員が往生するわけじゃないんです。 貴方の場合、自分が罪人だと自覚して居るのだからその時点で自覚すると言う事をクリアしています。つまり十分に救済の対象になっています。 では償いとはなんでしょう。穴を埋めればそれでいいのだろうか、償ったといえるんだろうか。 もちろん相手に対し責任を取る必要があれば責任を果たせばいいのですが、法的にも人道的にも穴埋めのできない罪というものがありますね。 いきなり相手に対して償いたいと申し出ても相手が躊躇する事もあります。 これに対する償いは即ち功徳です。相手の為に祈る事、これが布施の心です。 貴方がこれから何かしら、些細な事でもいいから善行を施すとします。それにより徳が積まれます。その徳それを祈りによって相手に与える事が功徳です。功徳は大きく育って自分の処に戻ってきます。これが「情けは人のためならず」の真意です。 それを更に他人に振り分ける、これが布施の心です。 布施は祈るだけが布施ではありません。一生懸命働く事も布施です。 自分が気付かずに犯す罪や意図的に犯した罪は清め祓いによっても拭われます。 神道の祓いの語源はスサノオが高天が原で行なった暴行についての償いを言います。私達が神社に参拝するときに行なう手水は禊ぎといい、これはイザナギが人間が立ち入ってはならない黄泉の世界に立ち入った穢れを清めるためのもの、これもまた罪です。 更に鈴を鳴らしますが、これも鈴祓いといって祓えの一つです。 つまり私たちが参拝する時には手水と鈴により清め祓いをしているのです。 実際には拝殿に上がり、祝詞を上げていただく参拝をしなければなりませんが、これには玉串料という費用がかかります。これはスサノオの暴行に対する賠償金が起源でもあり、昔は金額が決まっていました。 今は費用がかけられないということなので、まずはこの費用を捻出できるようにとお願いする事がいいと思います。無理は禁物です。 そして、定期的に寺社に参詣すること自体も布施である事を認識しましょう。 賽銭は毎回捧げる必要はありません。 よく賽銭は供物だと言いますね。日本は農業国ですから祈願といえば秋の豊作です。つまり作物を捧げるというのは本来秋だけなんです。それ以外ではせいぜい春の豊作祈願で年2回です。 一所懸命働き、年1回、或いは春秋の2回だけ、いくばくかの賽銭を上げれば善いということです。 これらは信仰心がなければ、意味のないことでしょう。でも神仏も信じず、法に照らしても処罰されない罪を償う事は現実としては無理なことです。 敬神崇祖の念を持たねばこの罪を許されるということはありえませんから、神仏を信じなければ解決法が無いというより罪でないものに囚われるなとしか言いようが無いのです。 どうするかは貴方次第です。

その他の回答 (4)

回答No.4

どんな罪を犯したのか、教えてください。

akmmktrn
質問者

補足

犯罪といいますか… 大量服薬、瀉血、リストカットなどです。

回答No.3

人生のリセットは、いつからでもできます。 償いの思いを持った瞬間から、あなたは変わっています。 償いは、あなたのこれからの人生を規制し、窮屈にします。 あなたの周りの人が、一人でも多く、あなたと出会えて良かったと 思える人を目指してください。 色々な人がいます。 人の人生は、それぞれ、みんな違います。 だから、その人らに「あなたに出会てえてと良かった」言ってもらうことは、 大変な労力が必要です。 いつかあなたが、この欄で、アドバイスをして多くの人の手助けをしている 事を願います。

回答No.2

貴女の周囲で困っている人を助けてあげればいいのでは と思います。 道を歩いてゴミが落ちていれば拾えばいい。 階段でお年寄りが困っていれば荷物を持ってあげたらいい。 子供が泣いていればどうしたのと聞いてあげればいい。 ・・・・ 懺悔したければ、滝にあたって詫びてもいいです。 ただ、罪を償うには償う相手が必要となりますが、相手が望 んでいなければ償いにはなりません。 宗教はお勧めしません。他者に頼って自分を償う行為の極 めつけだからです。 罪は罪を生んだ原因を探してそれを解決しないと真の償い にはなりません。起こってしまった結果はもう元には戻らない ので原因を撲滅するのが貴女の究極の償いです。 他者に頼るのではなく、他者の考えをよく聞いて自分の考え 方と照らし合わせ、そして行為に及ぶことです。 ここの相談で「地球で一番の悪者は?」というのがありました。 皆さんの回答は、「人間」でした。人間とはそういう存在なので す。これを説明すると大変なページ数になるので止めますが、 貴方の罪など本当は大したものでなく、黙ってもっと悪い(罪) ことをやっている人間が大勢います。 決して自分を過渡に責めないように。

akmmktrn
質問者

お礼

ありがとうございます。 1日1善でしょうか?ゴミ拾い…いいですね。昔、個人的に海岸清掃していました。 私が見知らぬ人と接することで、その人を汚してしまいそうな気がして怖いと思う部分もあります。特に無垢な子供に… いつも挨拶してくれる沢山の人にも、引け目を感じ、笑顔が引きつります。 私からの挨拶を無視されれば、「やっぱり私の醜い心は外見からでもわかるのか…」と思っていました。 宗教に入るつもりはありません。宗教に専念している方には失礼ですが、宗教は胡散臭く、欲や悪も存在していると思っているので。 確かに、悪=人間のような気もします。 人間(人間の欲と言ったほうがいいのか…)によって罪のない命が数えきれないほど消えている。動物たちも… 私が犯した罪の原因は沢山ありますが、結局は私の弱さが全てだと思います。自分をしっかりともっていなかったから… 強くなること、自分を持つことが、償いの道へ繋がるのなら、まずはそこから始めます。 寿命が来た際は、神や仏ではなく産んでくれた両親へ、そして未来の命のために…と思い、肉体自身への償いも行っていきます。 乱文失礼しました。 ありがとうございます。

  • hossy_721
  • ベストアンサー率37% (25/67)
回答No.1

質問がすごく抽象的なので、あまり参考にはならないかもしれませんが、聞いて下さい。 あなたは、たくさんの人を傷付けて、同時に自分もボロボロになっているんですよね。 そして経済的にもギリギリで生きている。 私は、ボロボロの状態で生きていくということが、償いだと思うのですよ。 罪の意識と戦いながら、死ぬことも許されず、生きていく。そして死んだ時に初めてその苦しみから開放される。それがあなたの背負った「業」なのではないか。私はそう思います。

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